Content-Length: 181063 | pFad | http://anond.hatelabo.jp/20180416
数学系の入門書は、特に事前知識を必要としない点で入門書と呼ばれると聞いたことがある。
記号の意味は、(まともな入門書なら)本の最初に記号の説明が乗っていたりするんじゃないかなぁ。もしくは載っていないとしたら、より常識的(すぎて書くまでもないと考えられている)事柄なのかもしれない。
ありがとうございます。そうなんですよね。
で良くしてゆくしかないんですよね。わかっちゃいるんですけどね…
なんか
「昔もアレルギーは現代と同じくらいあったが、当時の奴らは人の苦しみを分かってやれない無知な鬼畜だったから
みたいな事を言いたげな奴、ちょいちょい居る。
そして勝利は手段に過ぎず、目的は略奪品の配分の最大化である。
つまり彼の基本戦略は「最小限度の戦力で勝つことで、自己の取り分を最大化する」点にある。
熊など雇っても分け前が減るだけ、餌代もかかるだけではないか
・私はコナンマニアというわけではなく、小さい頃TVアニメを観ていたり、思い立ったら新刊を買ったり本誌を読んだり、金ローや年イチの映画を観る程度の知識です。
我々読者は、公安警察官・降谷零がトリプルフェイスを持つことを知っている。
安室透=降谷零=バーボンと知っている、つまり読者と同じ視点の人間は主要人物に限られている。
大多数、つまりモブは、「彼のなりきるキャラクター」にしか知らないのではないのだろうか。
「降谷零」は、幼くは零くん・ゼロと呼ばれ、公安警察として働く生身の人間。
では「安室透」は?
バーボンと同じく潜入捜査のための身分であるが、一般社会に溶け込んでいるという点で、異質である。
「任務の一環として」サンドイッチを作り、笑顔を貼り付け、店の前を掃き、コストコらしき店へ行き、そしてJKを魅了してしまう。
バーボンのほうが、なまじ目的と組織内の身分が明確化されているために、よっぽど解りやすい存在である。
彼はある時突然米花町へやってきて居付き、仕事をし交流を持ち、周囲に慕われている。
いつか「安室透」としての彼はいなくなるはずだが、彼を「私立探偵でウエイターの安室さん」だと思っている人々は、そんなことは知る由もない。
この状況と似た映画がある。
1968年のイタリア映画、パゾリーニ監督の『テオレマ』である。
ミラノ郊外に住む、工場経営者であるブルジョワ家庭(主人、妻、娘、息子、家政婦)に一人の男が姿を現わし、なぜか男と一家との共同生活が始まる。
そのうち家族全員は男の謎めいた魅力の虜となってゆくが、男が家族の前から立ち去ると、残された家族は奇妙な行動を取り始め、家庭は崩壊してゆく。
作中で「男」が何者かは一切語られない。
この物語、まさに「安室透の別の顔を知らぬ者」、米花町の人々の視点である。
この視点の人物は、梓さんかもしれない。安室透を慕うJKかもしれない。マスターかも知れないし、ピンチを助けてもらっている少年探偵団かも知れない。
周囲の人物に、「素敵でかっこいいお兄さん」として振る舞い、優しく触れて期待させていったあげく、忽然と姿を消すのである。
ここまで「安室透」について述べてきたが、彼の空虚さと取り巻く関係は、そのままある少年に当てはまる。
むしろ、毛利家に深く関わり、数々の困難を共にするうちに断ちがたい絆を得ているという点では、コナンのほうがよっぽど『テオレマ』らしい。
コナンを失った少年探偵団はどうなる?毛利家は?園子は?蘭は?
高木刑事や目暮警部も、耐え難い喪失感に襲われるのではないのではないだろうか。
コナンも造られた存在である。異なるのは、安室透は任務のためであり、コナンは元に戻る方法を探るためであるという点。
そこにポアロのウエイトレスで安室透の同僚、梓さんを加えてもいい。
青山先生は、主要人物の心がうまくまとまっていく様子はきっと描いてくれるだろう。
ただ、数え切れないほどの事件で登場した人々の心情の機微までは描かれないはずである。
2日に一度は殺人事件!?『名探偵コナン』のコナンは、あまりにも事件に遭遇しすぎではないか? | ダ・ヴィンチニュース
「『眠りの小五郎』さんと一緒にいた坊や、どうしているかしら…」「どうやら、行方不明みたいです」
こんな会話が交わされているかもしれない。そして、入れ替わりに新一が戻ってくるわけである。
果たして、皆が「コナン」に感じていた魅力を「新一」が埋められるのだろうか。
「安室透」に至っては、かけがえのない魅力を持った青年が忽然と消えるわけだから、ポジションを埋められる人間は存在しない。
彼に憧れを抱いていた人間は、永遠に彼の幻影を追い続けるわけである。
そこには、崩壊が待っているのかもしれない。
少なくとも、灰原を含め3人が確実にいなくなることが決まっている米花町は、異常な街なのである。
新一への伝書鳩…という役目もあろうが、新一は声以外登場しない。コナンが頼られている。そして、安室透は自然に生活をしながら、「自分の恋人」を護る。
新一が元に戻っていれば?安室透がただの公安警察のひとりとして、警備任務につくだけだったら?生まれ得ないシナリオだった。
「いつか壊れる日常」だと改めて認識させられた。待っているのは『テオレマ』のような結末ではないかと感じたのだ。
そして、二人のコンビネーション。
一般的には、「正義か、真実か。」コナンと安室透の対比と対決と共闘が、テーマであり見所とされていたが…。
共通した「造られた存在」を生きるもの。周りを偽る空虚な存在。そして周りを虜にする存在。
目的が終わればこの姿を捨てるが、その目的は限られた人間しか知らないため、周りを切り捨てるしかない運命。
そんなものが共通しているからこそ、分かり合えたものがあったのではないかと考えた。
「ウソつき…」
「君に言われたくはないさ…」
のセリフに集約されているのではないだろうか。
勝手に感じたあむあず(安室透×榎本梓)みについて語って締めくくりたい。
テキパキした手際にそう感じたのかもしれないが、実に唐突な会話である。
世辞を言うべき相手でもない。
普段の接し方を見ていても、どちらかの不毛な片想い…という感じでもなく、平等に良好な関係を築いているようである。
梓さんも、前述のセリフに照れるでもなく、風評被害を恐れて警戒するのみであった。
「降谷零」として、梓さんに好意があるかもしれない。
「安室透」によって抑えられているから、あの程度の露見で済んでいるのだ。
そんなふうに感じられた。
若い男女が親しく働いているのだから、そんな関係になる機会もあるかもしれない。
けれども、梓さんが「降谷零」を知る日は来るのだろうか。
「僕の恋人は…この国さ!」と言い切っていた。
【僕】とは、誰のことだったのだろうか。バーボンではなかろう。降谷零として、そのままの意味で言ったのであろうか。
「安室透」としては、“恋人”を作るわけにはいかなかったのであろうか。
ひとつひとつを愛せないから、まるごと愛するしかない不器用さと取るのは、曲解になるだろうか。
一人の女をだめにした 一人の男の日暮れ時
この歌詞のように、和製『テオレマ』的別れを与え、「安室透」は消えていくのかもしれない。
そうか~「今は」程度の流動的な認識でもいいですよね。たしかに自分の納得感としてはそれで十分なんですよね…。
ところで、当事者の方だと思うのでお聞きしたいのですが、「まだ好きな人に出会ってないだけだよ」と言われたときになんて返しますか…?
増田が元々やってたという舌や歯の動きを自分で試したけど、全然どうやるのか分からないわ
一つ、そんなに上下の歯や舌と顎が密着するのは、噛み締める力が強いか口のサイズが小さいかなのでは?と思った
口のサイズはどうしようもないが噛む力は少し弱められるかな?
口を閉じて食べていても「くちゃくちゃするのやめて」とちょくちょく妻から言われる。直したいがよくわからない。
まず気づいたことは舌の奥の方を上顎と密着させるクセがあって、口の中を陰圧にした状態で密着を解除すると「カポッ」と音がする。密着の方が美味く感じるけど1つの改善案で、なるべく密着させず口の中から肺まで空気の通り道ができるよう意識している。
もう1つは歯を噛み合わせた状態から垂直に歯を離すときにも「カポッ」と音がする。食べ物をすり潰すようにスライドで噛んで、同じようにスライドさせながら歯を離すとかなり回避できる。これもなるべく意識している。
この次の手がない。頬張り過ぎるとよくないのかもと思ったが、少なくしても指摘される。妻の食べ方を観察すると、私より飲み込むのが早そうだ。つまり私は必要以上に噛み過ぎているのか?
そこで妻と同じ程度の噛み具合で飲み込もうとするが喉は詰まるし、数少ない咀嚼でも効率的に音がなっているらしい。
さらに観察すると、私の咀嚼音は妻と比べて水分が多いような「ぐちゃぐちゃ」というような音がなっている気がする。唾液が多いのかもしれないが少なくする方法などわからない。そもそも一般的には唾液と食べ物をよくかき混ぜるのが咀嚼の目的のような気もする。
BGMを鳴らして聞こえなくするのは割と効果的だった。ただ子供が生まれたことで「音を鳴らすと起きちゃう問題」にぶち当たっている。
元増田です。言われてみて気付いたけど自分はまさにこんなスタンスで生きてるし、そんな自分に疑問もない。幸いなことに“たぶんアセク”同士のパートナーもいるから、いまさら分類なんてどうでもいいかなって気持ちも強い。
たぶん悩んでたのは他人に「勘違いだ」「まだこれからだよ」「もったいない」などと言われたときに説明/証明出来ずモヤモヤすることなんだと思う。そしてここまで書いているうちに、こういうこと言ってくる人に真剣に説明する必要はないんだと気付いた。
先日幼馴染みの友人達に上記の一件の後初めて会った。友人と他愛ない話をしながらドライブしたり、ウィンドウショッピングをする時間はとても楽しいはずなのだ。
今回は友人と話をしている間、唐突にに自己否定と自分を責め立てる思考が始まるのが辛かった。
「話したら最後、みんなお前から離れていくぞ、お前はそんな事をしたんだ」そう考えてしまった。
冷静に考えれば、馬鹿馬鹿しいと思えるのだが、始まってしまうとまるで自分一人だけが汚物になったかのような感覚に陥り、友人達と笑顔で会話に参加出来ているのか猛烈に不安になるのだ。
性欲は女にもあるのはわかるし、それが正常で悪いことでもないのは百も承知だし、自分の中にも多少なりともあるのは以前から知っていたのだが、それでも未だに嫌悪してしまう。
もうここまで来ると強迫観念なのかもしれないと、書き出してみて思った。解消するにはどうしたら良いのだろうか…
(p.s:先日の追記に暖かいコメントありがとうございます。自分が思った以上に中々根が深いです。また吐き出させてください、こういった場でないと書けないので…)
○調子
はややー。
五月中旬ぐらいから超忙しくなりそうなので、存分にダラダラしよう。
●3DS
○ポケダン青
マンキーたちを倒して、イガグリを集めるコーナー。
こ、こんなのあったなあ! 超面倒臭い…… やる気が……
始め上手くいってて、途中上手く行かなくなってクライマックスで盛り返すやつあるじゃん。
途中上手く行かなくなる部分いらないのよ。
誰かが足引っ張ったり、どんどん主人公がそっちじゃないよって方を選択したりして、雲行き怪しくなる部分。
お心に余裕あるときは、そのハラハラ感楽しめるけど、今余裕ない。
始めから終わりまで
見てきました名探偵コナン。
個人的にはとてもおもしろく、コナン映画としては、こだま時代を彷彿とさせる作風だったと思います。
人間ドラマや描写をないがしろにしがちだった前監督と違って、キャラをちゃんと愛して動かしているなと。
んで見ている途中に脳裏をよぎったのは「蘭厳しめ」のこと。
あれで散々やられてた基本設定
「蘭は感謝が足りない。なんでも~してよね!~しなさいよね!とやってもらって当たり前だと思ってる図々しい女」
これ全部丁寧に否定されてるなって思いました。
おそらくあれを真に受けた新規もいただろうし、公式になんの凸もなかったとは思えない。無いほうが当然よいんだけど。
作中蘭は新一に縋るけど
「空手で倒せる相手ではない、母親もできることはしてくれてるけど八方塞がり、ただの女子高生は権力の前に無力」
からの
「小さい頃から謎を解くのをずっと見てきた、名探偵である新一」に「真実を解き明かして助けて」と助けを求めるのはカレカノ云々関係なしに自然な流れだった。
眼前で父親に手錠とかそりゃ泣くよ取り乱すよ。藁にもなんにでも縋るよ。
今回ちゃんとみんなに「ありがとう」ってちゃんといろんな人に言ってるシーンがあったし(多分前監督の映画でもちゃんと言ってはいたんだと思う、描写がないだけで)
園子、小五郎、英理、そして新一への想いが深い、とても優しいいい子なんだなって伝わる書き方だった。
たぶん厳しめ(笑)だと
「なんで私が大変な時に新一は帰ってこないのよ!私がこんなに苦しんでるのに!
園子のつてで弁護士くらいなんとかしてよ!お母さんの役立たず!」ってわめいて風見に暴力ふるって補導なんだろうって…
そんなどうでもいいことが蘭が出てくるたびにふっとよぎって苦しめられました。
原作の蘭らしかったというか、少年探偵団もなんだけどようやくまともな扱いを受けたなってしみじみしてしまいました。
制作サイドも「厳しめ騒動」気にしたのかな…って本当疑ったレベルでした。
えーと
結論から言うとキャラ描写文句なしでアクションも派手、推理もバッチリ入る!
良い作品なので
みんなみてね。
というところでしょうか。
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