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二年ほど前からちょっとこだわっているテーマ(?)がある。「短歌」二〇一九年十月号の「諸橋さんと遊ぶ」が最初だっただろうか。「諸橋さん」は諸橋徹次のこと。『大漢和辞典』『広漢和辞典』などの編者で漢字研究の第一人者である。その諸橋さんと「遊ぶ」とは、たとえば、 譶(はやくち)に言ふことなかれ誩(あらそ)ひて人に言ふならなほさらのこと わが母校双ヶ岡中学に叕(つづ)り来しかの日の決意に又も叒(したが)ふ といった遊びである。 一首目は、早口で言ってはいけない。人と争う場合なら、なおさらのこと、というほどの意味であるが、もちろん歌の内容の深さに意味があるのではなく、すぐわかるように「言」「誩」「譶」を一首のなかに組み入れつつ、一応意味の通る歌に仕立てた言葉遊びである。 二首目は、「又」が一つから四つまでの漢字を、すべて入れているところがミソである。私の母校の双ヶ岡中学が入っているところにちょっとリ
簡単に定義するなら「数の魔性を詩性に利用すること」となるだろうか。中村明は《数字に関連したことばを文章中にちりばめる修辞技法》(『日本語の文体・レトリック辞典』、東京堂出版)と定義する。これが修辞となりうるのは、《その模様と表面上の意味とで濃淡二重のイメージを仕掛ける》ことになるからだ(同前、「類装法」の項目。数装法は類装法の一種とされる)。たしかに数には数としての意味(何個、何ヶ月目、等)と、視覚的模様がある。 映画『マトリックス』では、主人公ネオの住居の部屋番号は101。これは、のちに自分がThe One(救世主)であると知ることの暗示であり(NeoがそもそもOneのアナグラムである)、世界がプログラムされたMatrixという仮想現実であることの暗示であり(二進法)、またオーウェル『一九八四年』に登場する拷問・洗脳室「一〇一号室」からの引用である。 村上春樹『1973年のピンボール』に
【永井祐さん】1981年東京都生まれ。早稲田大学1年の時に早稲田短歌会入会。大学では水原紫苑ゼミを受講。2011年、第一歌集「日本の中でたのしく暮らす」を刊行。2020年、第二歌集『広い世界と2や8や7』を刊行し、第2回塚本邦雄賞受賞。 番組で紹介された永井祐さんの作品↓。 ★松潤になりたいと思ったことが思ったことはいちどだけある ★ゴキブリは色がうすいとこわくない 梅雨の玄関の靴のとなりに 永井祐さん、今年は〈佐藤佐太郎〉を研究されているそうです。番組では次の短歌が紹介されました。 ★公園のくらがりを出でし白き犬土にするばかり低く歩きぬ 佐藤佐太郎『歩道』(戦前) ★草木(そうもく)のかがやく上に輝(かがやに)をしづめしづめてゐる空気見ゆ 佐藤佐太郎『形影』 ◎入選歌 ★「ごめん」まで入力して一番誠意がなさそうなスタンプにする(東京都 みえるてさん) ★なでますかと言われるだけでこわかっ
ガキの頃 遊んだ山の裏側にこの刑務所は当時からある パンクスの誇りのゆえに囚われてこのドブネズミなお美しく 刑事さん その段ボールは開けな……うわっ、ブックマークもチェックしないで 自称記者が自称新聞記事により自称報じたおれの職業 好きなだけののしったってかまわないので加害者も「さん」付けで呼べ 彼女とかいない時逮捕されたからいまひとつこう盛り上がらない 護送車のカーテン開けちゃダメなのは中の人のため? 外の人のため? 脱衣所にひしめきあえば入れ墨の侠(おとこ)の中に左翼が一人 独房に悲しき活字中毒者むさぼるように起訴状を読む 就寝を告げるインストゥルメンタルの「ひとり寝の子守唄」はブラック ひとかどの犯罪者なり 二月目 夢の中でも獄中にあり 今朝読んだ三面記事にでかでかと報じられてた人と談笑 拘置所がもし百人の村ならば村長選の候補百人 冤罪は五パーセントはあるだろう 君も捕まったら分かる
この歌集評を書こう、という段になって、「あとがき」の余白に私の文字で「偶発的必然について」と記されているのをみつけた。本書を何度か読むあいだに、過去の私が、そう書きたくなったのだろう。過去の私から、いまの私への手紙のようだ。本書を通読すると、このテーマ、ないしアイディアを私にもたらしたとおぼしき歌が三首ある。 たった三首、とはいえど、やはり《必然》の語は、それぞれの作品においてなにがしか異様な感触を湛えている。一首目、《必然》的なのは語り手の出生地とも、《台風》の進路のこととも読めるが、同時に双方を意味しているのだろう。語り手にとって《この場所》は《必然》であるが(語り手は《わが母》以外からは生まれ得ない……言葉遊びのようだが)、《母》にとって妊娠出産の時期・場所、パートナーは偶発的なものだろう。つまり【必然的である事柄の、条件はつねに偶発的】である。一首目は、このテーマがもっとも明白に現
この連載の第六回で、「濫喩」を、中村明による定義を借りて《感覚の交錯や論理的な矛盾を抱えた比喩などを提示して刺激する修辞技法》(『日本語の文体・レトリック辞典』、東京堂出版)にまで拡張しておいたのだが、いま思えばこれは拡張のし過ぎであった。《感覚の交錯》(つまり共感覚的な表現)についていえば、むしろ〈異例結合〉と呼ぶべきかもしれない。例えば川端康成『雪国』には、異例結合が頻出する。「甘い丸さ」「静かな嘘」など。 さて、これを複数のフレーズにまたがって交差させたものが〈交差呼応〉である(とはいえ、のちにあげる例においてのように、必ずしも「異例」ではないものも含める。詩的効果が生じるかにのみ、焦点を合わせたい)。中村は《彗眼で聞き、地獄耳で見る》(同前)という例をあげている。
(水の奥処へ……) 斎藤 秀雄 水の奥処へ多くの私が移ってゆく いつか私と呼ばれることになる諸断片 まだ私になっていない未私 奥処――何にとっての? いくらかは底へ沈み いくらかはこなごなにほどけて散ってしまうだろう……。 底――何にとっての? 水の多くの領土 水蒸気になりかけている水 氷になりかけている水 粘性をそなえた水 浮かんだり沈んだり混じったりできない 速度の線が水の領土を区別して抑え込んでいる 速度の線のみがあって上下はないのかもしれない 未私はなかばほどけた布のような断片 ほつれた織物、多くの繊維が織られたもの さまざまな繊維、ナイロンの糸、ガラスの糸、骨、リボ核酸 ゆるい織り目を水がとおる 繊維がゆるんだり緊ったりする ゆるんだ繊維が別の繊維とまた織物をなす ほどけた繊維はほとんどどこかへ消えどこかに沈殿する 断片はそれぞれが知覚である 或るひとつの断片は引用である 「骨の
篭と宿営地 斎藤 秀雄 喪神のエレボスの手を雪片のか黒きまでに蝕む朝か エアダクト絶えず結露のしたたりて巫娼の腹を舐める冷光 霜の香のふと離陸せりはろばろと天球上を這う墨流し 日の冴える地平の木々はほの白い錫釉、国家は黒い牛乳 糖蜜が雪にしぶきてしずかなる、否、無音なる刵刑の匂い 巫医の首刎ねて恍惚たるまひる氷の下に蘭黒く咲く 贋祖国なれば幼き皇帝よ去勢の牛を乳柱とせん 手は谷にあったと気づく ももいろの膚を撫ぜて樹海へ向かう 宇宙卵果然と腐りひびわれをはらわたのなき鳥ども集る 目は闇に慣れて円天井のそこ重量のないプリズムが降る タグ: 斎藤秀雄, 短歌
福島県文学賞は、本県文学の振興を目的に昭和23年に創設され、県民の皆さんの作品発表の場として親しまれています。 県文学賞情報 第77回福島県文福島県文学賞について 令和6年度第77回福島県文学賞については、次の通り募集する予定です。 趣旨 県民から作品を公募して優秀作品を顕彰し、本県文学の振興及び文化の進展を図る。 応募資格 応募時点で福島県在住者または県内の学校・事業所に在籍・勤務する者とします。 ただし、東日本大震災の影響により県外に避難している者及び県外で勉学中の県出身の学生・生徒を含みます。 募集部門 (1)小説・ドラマ部門 (2)エッセー・ノンフィクション部門 (3)詩部門 (4)短歌部門 (5)俳句部門 応募受付期間 令和6年7月1日(月曜日)~令和6年7月31日(水曜日)(消印有効、メール応募の場合は午後11時59分まで)とする。 第76回作品募集要項との主な変更点 (1)郵
角川「短歌年鑑」(平成26年版)の特別論考で小高賢「批評の不在」と島田修三「聖域のほとり」がともに永井祐の歌を話題にし、特に小高は永井らの歌が「分からないという声が一方にありつつ、いつのまにか認知されてゆく」現状を危ぶむ。『日本の中でたのしく暮らす』刊行からまもなく二年。ささやかな肯定感を求めて生きるナイーブな若者像といった時代論や世代論から語られることの多い歌集だが、私はいったんそこから離れて歌の作りそのものを吟味する必要を感じている。と言うのも、永井の歌の肝はモチーフや時代感覚よりもむしろ辞の部分にあると思うからだ。 かつて菱川善夫は「実感的前衛短歌論—『辞』の変革をめぐって」(『短歌』昭和41年7月号)で、安定した辞の規定力とその余韻のうちに「自己」の詩の充実を目指したのが近代短歌であり、第二芸術論を経て、そうした辞の安定性を拒否することで時代の危機と不安の中から人間の悲劇を見つめよ
第7回詩歌トライアスロン三詩型鼎立受賞連載 内在 斎藤 秀雄 白い内在 痛みの位置を滑らせて地平へめくれあがりゆく筒 生き死にのましろき闇へ歯を離す 知覚に開け閉めが昇りゆく 火を練れば空は縹の花畑不要となればはずす花首 糸のように砂が墜ちては法となる鏡面状のへりなき地盤 蛾を焼けばけむりは風の骨格を紡錘としてみずから紡ぐ 切り花の切られるまえのしばらくの笑う幼児のような充溢 花の死をたのしむ水に耳を漕ぐ水に死はひどくゆっくりとくる 心臓に顔を容れるとなつかしい怒りが欠けることなくありぬ 目に重る土の深さのおぼつかな杭のまわりの土減ってゆく 石突きに蝶を殺せばこめかみの雪のようなるものながらえる タグ: 斎藤秀雄, 短歌
パレルゴン 斎藤秀雄 胸を日が通るまひるの水煙草けむりは鳥のわたばねならで 太陽の屯する闇深くして木の音楽を鳴らす木の脈 わがみいる偽の鏡やなぐわしき桃の遊びを前線にせん むらさきを雨にまとえるいもうとよ虫が鳥狩る島にて眠れ 蛇口なる馬ゆ流るる硝子体むごき客土ぞ砂じめりせる 海底の塔の振り子の残像の顔や微笑の口のみ残し 柱なす声のみずかね恋えるわが耳の祠をあふるる腐肉 さやぐ毛のつね焦げ臭し腕生みの母は母なる水をわずらう 旅人を栞れば白きみずうみよ苦しみ深くしわ寄る火なれ 折る紙の谿おりてゆく兄の指夢の着岸なき海霧はも タグ: 斎藤秀雄
Quadrant 斎藤秀雄 たまかぎるほのかに脂(あぶら)匂わせて日を離(さか)り来ぬ虹を殺しに 手におりる氷の鳥の吃水の深さに知りぬわが骨の嵩 ひとつぶの塩ぬちの火の構造のときに此岸にある車輪はも 数字譜のほとりやゆらぐともしびを数(すう)の鱗の魚もじりたり 耳ならぶ個室つめたし空調の風の吹きこむ耳らかわゆし 天空を無音のフォルテ激(たぎ)つらめ地に雪が黒したたらす午後 くれないに雲居汚れるデパートの機械に孵化のそぶりあるらん 春風は死なるや滝の心臓にはちみつ色の血を抜く穿刺(せんし) 木の幹にまつわる雨の組紐を木霊の爪の掻き削るべし たまきわるわがうちの洲(す)を恋いきたる鉄の蝶らに肉や与えん タグ: 斎藤秀雄
俳句を作り始めて少し経った頃、当時の師から「短歌もやってみないか」と誘われた。興味はあるが作り方が分からないので是非教えてください、と返すと、「俳句の後ろに七七を付けたら短歌になる」と言われた。音数としてはその通りなのだが、それほど単純なものではないことは、直感的にも理解出来る。第一、有季定型の俳句を書く僕にとって、俳句は季語を要するもの、短歌は必ずしも季語を要さないものという明確な違いがある。結局何も分からないまま、真似事のように短歌を作ってみた。すると、すぐにあることが分かった。僕は、「俳句を作ろう」という気持ちにならなければ俳句は作ることが出来ないし、「短歌を作ろう」という気持ちにならなければ短歌は作ることが出来ないのだ。創作活動自体、始めたばかりだったからかも知れないが、内容によって詩型を使い分ける器用さを、僕は持ち合わせていなかった。そういうわけで、細々と短歌を作っては、一首単位
第8回詩歌トライアスロン・三詩型融合 次点作 読む書物 斎藤秀雄 紙の束ねられたものを 紙に手を 春まけて あなたは読むだろう。 のせて言葉を 紙に 読む手と つぶやけば 手を置く 読む目のとよみが 洞深くまで 夕べかな いくつかのフローを 暗きたぶの木 町をでて 流れが流れてゆく 橋の灯を 町へ 同期しないで あびて木屑は 入りたる スピードで 川下へ 春の川 半透明の断片たちは 流れつつ手を 風下の 透明で 反らせるあなた 森 ひろびろと 図書館の ひろびろと 共有図書館のフロアが 窓にあまたの 巣箱かな しらしらと 花びらが 夕桜 書物たちが 張りついて死の 橋近ければ がちゃがちゃと くちびるの色 しらしら
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