高宮郡の「人穴」三例の記述が似ているから、そのうち2ヶ所が古墳ならあと1ヶ所も古墳だろうという推定ができる。しかし他郡の例を見ると同じ名前でもバラバラの認識が集まるだけ。 豊田郡大浜村*1にも、古墳の石室を「人穴」の名で記載してある。 黄幡山人穴 海辺ゟ凡壱丁余リ山根ニ土穴九ヶ所御座候、高サ凡六尺広サ壱間斗も御座候、入込ハ凡九尺斗リニ而深サハ相見ヘ不申候、穴之内両方石築上ケ上之方ハ長石ニ而渡し口狭ク、奥ハ板戸ヲ立る如く平石を二枚立誠ニとを立候様相見ヘ申候、此戸石ゟ奥ハ如何御座候哉夫ゟ先キ見受候もの無御座候、是レハ神代之昔シ家居無御座候以前、土穴ニ住居仕候而土蜘蛛と号候由伝ヘ承リ申候、此穴も全ク是等ニ相当リ候様被相考申候、誠ニ穴中深く数千年以前ニ作候様ニ相見ヘ申候、尤三ツ之内壱ツハ崩レ居申候得共、今猶奥之分ハ築石少々相残居申候、折節穴近辺ゟ土瓶等掘出し候事も御座候得共、多く折割損シ申候ニ付其
