1858年(安政5年)、日米修好通商条約締結後、開港を迫られた江戸幕府はそれまで小さな漁村だった横浜に貿易港をつくることになった。その後横浜は領事館や商館、洋館、住宅などが建ち並ぶ港町に成長していった。 1859年(安政6年)、ジャーディン・マセソン商会上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)は、「ジャーディン・マセソン商会横浜支店」を設立。これが日本に進出した外資系企業の第一号といわれている。 ジャーディン・マセソン商会は、商館の建設を鹿島建設の創業者である鹿島岩吉に依頼。建設にあたっては、香港本店から連れてきた中国人部下に英語で指示し、中国人部下が漢字を使った筆談で日本人に伝えたという。初の洋館建設は苦労が多く「英一番館の大建築工事は中々の苦心と努力とを払われた」[1]が、最終的には「工事は順調に進んで、利益も多く、是で一寸基礎ができた形であっ
