〈哀悼〉パリで大成功した高田賢三に日本政府は冷たかった 無名で渡仏し才能を見いだされた不器用な青年の心は最後まで「あくまでも日本人」 山口 昌子 在仏ジャーナリスト 高田賢三が4日、新型コロナウイルスの合併症によりパリ郊外の病院で亡くなった。81歳だった。日本のメディアは大々的に訃報(ふほう)を報じたが、実は第一報はフランス通信社(AFP)の至急報だった。日本のメディアはその後追い報道だ。 AFPが至急報で報じたのは「コロナ死」以前に、賢三、というよりKENZOが第一級の世界的デザイナーだったからだ。日本の民間人の訃報がAFPの至急報で報じられたのは1991年8月に死去した本田技研の本田宗一郎、99年10月死去のソニーの盛田昭夫ぐらいしか思い出せない。この二人と比べ、日本での生前の高田賢三はちょっと“不遇”だったのではなかろうか。 フランスの最高勲章を受章した賢三 KENZOが日本でフラン
