ご相談

上昇志向の強い同僚といると、自分ももっといろいろ積極的にならなければ、と思わされます。が同時に、ふと思うのです。ああいう人たちは「上昇の先」に何を見ているのだろうかと。(20代男性)

遙から

 仕事を頑張り、結果、家族が崩壊し、何のために頑張ったのだろう、というのがある。

 また、仕事を頑張り、親の介護もちゃんとできず、自己嫌悪というのもある。

 先日共演した漫才のM1グランプリ参加者の芸人さんに聞くと、頑張るのはプライドのためだけで、いい家やいい車などの贅沢は興味なしと断言した。

 負けたくない、勝ちたい、そういう欲求の向こうに何があるかを彼らがまだ経験していないだけで、カネの力、権力の力、平伏す人たち、を一度経験したら、彼らは同じ言葉を吐くだろうか、と思った。

5時から5時まで

 東京で、世界一流を誇るホテルのエグゼクティブフロアを体験することができた。

 関西にも同じホテルはあるが、やはりそこは“東京”のそれだった。ロビーラウンジは46階。そして、宿泊するエグゼクティブフロアは53階だ。

 どこまで上に上がるねん、という思いは、まるで東京に空気のようにある上昇志向の高い野心家たちを是とする迷いのなさというか、それをカッコいいとすることへの疑いのなさというか、そういう人たちが見る風景を体験できた。気分はレポーターへと変わっていった。東京での成功者たちはどんなものを目にし、そこではどんな気分を味わえるのだろう。私は、貴重な体験をくれた友人と宿泊することになったのだった。

 過去、いいホテルとか、そこでの特別待遇というのは私も経験はあった。

 だが、それと絶対的に異なっていたのは、「ここは日本イチを誇ります」という誇りのようなもので、関西によくある“アットホームな”といったアプローチではない。

 エグゼクティブフロアにあるクラブラウンジで、一日中、そこで食事やお茶やお酒が飲める。上質で上品な空間で、配置もよく考えられており、おひとり様からじっくり話したい客用まで、あらゆるバリエーションの状況に対応できる空間や家具の配置になっていた。

 その一番奥、じっくり話したい空間に案内された。なんと私と友人はそこで、夕方の5時から、翌日の夕方5時まで、本当にじっくり話をすることになろうとは。本人たちも考えられない展開になった。

 最初は「どこに食べに出ようか」とか、「近所にしゃぶしゃぶがあればいいね」とか計画していたのに、気が付けば、クラブラウンジから一歩も、外に出ない…。

 それくらい居心地のいい時間を確保できたのだ。

富士山と東京

 高級ホテルにはこういうクラブラウンジのある特別料金の特別ゲストルームが用意されていることが多い。だが、そこで執筆をしようにも、例えば子供連れの家族客がいれば結構賑やかになるし、隣りの席のオヤジが私の顔やパソコンを覗きこみながら、歯をシーシー吸う音が聞こえ、辟易としたこともある。

 施設として上質を誇っていても、本当に快適な空間を確保するのは難しい。

 だが、今回宿泊したクラブラウンジは違った。その証拠が異常なる我々の長い滞在だ。

 ワイドビューの窓ガラスの真正面には富士山が同じ目線かというくらいの高さで見えた。

 東京という街を、180度の眺望で見下ろせた。

 そして10分おきくらいに、我々のところにスタッフが飲み物や食べ物を注文どおり、要求どおりのスタイルで持って来てくれる。静かだ。声を張らずに喋れる。遠いところで何やら楽器の演奏が始まったが、その音は心地よいBGMとして聞こえるように配慮が行き届いている。

 ライブが始まろうが、他の客の出入りがあろうが、関係なく、自分の部屋にいるかのようなくつろぎと、贅沢な眺望と、スタッフの徹底した「どんな要求にもお答えします」という姿勢があった。

 「成功者は、こういう体験をするわけか」と友人に話した。

46階の船底

 大勢のスタッフに常時配慮を受け、美味しいモノを食し、富士山を一人占めできる。

 この高さまで登りつめた自分を映像化するように、東京を見下ろす。

 この東京の頂点に立つ自分、という錯覚を、現実のものとして実感させてくれる空間だ。

 「危険だ」

 そう感じたのは、たまたまロビーに下りた時だった。46階のロビーにはたくさんの人がいた。普段ならそれが普通のことと思えていたはずが、あまりに快適な空間に慣れた後では、その喧騒が妙に煩わしく、脱出したい気分になったのだ。

 船でいうなら、最も値段の高い部屋から、船底に降りた気分というか。

 そう。人は頂上に上がると、その下は船底に感じてしまう。例えそこが46階でも、だ。

 マンションで46階なら、親戚全部呼ぶほどの自慢だ。それが、

 「早く、クラブラウンジに戻ろう!」

 と友人と逃げるように53階に上がるほどの、空気の違いを感じさせた。もう錯覚は始まっている。

 食べて飲んでばかりの私たちは、これではいけない、と、ホテルのフィットネスフロアで運動することにした。そこも、私が経験してきた中でもトップクラスのフロアデザインだった。とても使いやすい。ランニングマシンを使っていても、真正面には富士山だ。そしてまた東京を見下す。

 だが、ある音に現実へと引き戻された。

絞って絞って

 …男のうめき声だった。

 運動器具は最先端のものが並んでいる。それを使用している男性が、何度も妙なうめき声を上げるのだ。力を入れる時に自然に出る声ではなく、自己顕示欲を音にしたような、周りをイラッとさせる声…。

 いや、確かに気にはなるが、普段だったら許容範囲だったかもしれない。しかし、それまで過ごしていたのは、あの静かで快適なクラブラウンジで、その空間からちょっと離れた途端に耳に入ってきたその音が、もう我慢ならないように感じたのだった。

 出世したらこんなご褒美が手に入る、ということを経験してみた。それは、ひとたびそこを離れると、46階が船底に見え、うめき声のおっさんに絶望を感じる、といった狭量さを私にもたらすものだった。自らを本気で“特別な人”と錯覚をしてしまいそうな。

 改めて考えてみる。

 結局、我々はその空間のみを愛したわけだ。なぜなら、静かだから、喋れるから、自由に食事できるから、景色がきれいだから。

 だったら、その条件のみを満たす場所なら、東京の53階である必要はない。

 さらに焦点を絞って絞って、いったい何が楽しかったか、を振り返ると、それは友人とのほぼ24時間のお喋りだ。それはそれほどその友人が面白い人物であり、私が好きな人であり、その人と集中して向き合えた、ということに他ならない。私が出世してそのフロアを私物化できたとして、それほど面白い友人がおらねば、退屈で退屈で、富士山も見飽きたことだろう。

 なにが最も楽しかったか、を、究極にフォーカスを絞ると、それは“友人”だった。

面白いのは…

 友人は、東京で成功している人だ。その人と24時間喋ってみて、富士山、東京都を見下ろす眺望、かしずいてくれるスタッフたち、成功にまつわるいろんなご褒美はあろうが、一番のご褒美は、24時間に耐え得る体力ならぬ、“ネタ”だ。お互いいろんな経験をして今日がある。しばらく会わぬうちに、ネタはたまる。その披露とリアクションと感想と意見。そして夢。友人の前にまず、自分が生きて経験して発見したこと。それらの多さが24時間を埋めてくれる。我々は互いのネタの披露をしたのだ。

 帰りのタクシー乗り場、まだ喋り続け、笑い続ける我々をスタッフが見送ってくれた。

 ずいぶん仲がいいのねぇ、とばかりの表情だった。

 違う。必死で生きて、毎日が失敗で、それを共感できる者同志だから喋るネタも尽きない。仲がいい程度では24時間喋れない。その大前提として、必死で生きている。そうなると、今度はまた、成功の意味や定義も希薄になる。

 成功って、どんなだろう、と想像しつつ、必死で生きていることのほうが余程の面白さなのだと知れた。

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