
お尋ね
「M-1グランプリ」という番組の放送後、出演した若手芸人がSNS上で審査員の上沼恵美子氏に暴言を吐いたと話題になりました。遙さんはどう見ます?
20代男性

遙から
M-1グランプリ、私も観た。午後6時34分の放送からラストの午後10時まで、しっかり見た。長時間番組を最初からテレビと向き合う本気の見方をしたのは、出場者がまず本気だから。
実は、AKB48の「総選挙」も好きだ。彼女たちが本気で闘うから。私はどうやら本気の出演者を見るのが好きらしいし、高視聴率であることを考えると、そういう視聴者はたくさんいるのだろうと想像できる。
本気は、上沼恵美子氏の登場でも伝わるものがある。関西ではどれほど喋ってもまるでそれが日常かのような流暢さや力の抜け感がある彼女だが、あきらかにそこにいた彼女からは、非日常を感じた。真っ赤なジャケットと真っ赤な口紅。それを選ぶ彼女の心理を憶測するに、気合い充分、「やったるで」感満載だ。M-1という漫才の1位を決める番組だが、審査員自身がすでに緊張の極みにいることがうかがえた。
出場者も本気、審査員も本気、観る側も本気、それだけでワクワクして画面と対峙した。
さて、若手芸人がした発言だが、「感情的に審査した」こととその理由を「更年期障害」と発言したことで、女性全員を敵にまわした、かのようだ。
更年期障害は置いといて、まず、感情的じゃなかったか、と問われれば、充分に感情的であったと私は思う。そこに好き嫌いも混ざり、そして審査得点には他の審査員とは極端に開きもあるほど、彼女は「好き」な漫才師には高得点を出した。
だが、他の審査員との点数のあまりの開きに彼女自身が複雑な表情をしたのを私は見逃してはいない。
「私の好きが点数に反映しすぎた結果となったなぁ」という感情を私は読み取った。
好きじゃない漫才師に対してはコメント自体を「好きじゃないので」と拒絶した。
出場者が望んだ「本気」の勝負
上沼氏の採点は、徹底的に自分の“好きか否か”を隠さず最前面に出したものだった、ということだろう。次に、その点が責められるべき点か否か、だ。
では問うが、他の審査員は好き嫌いを出さなかっただろうか。それを露わに口にしたのが上沼氏だとしたら、他の審査員とてそれを口にせずとも好きか嫌いかが点数に反映しないワケがない。上手さ、魅力、を判定するのに「芸に魅入られる」というものがあるとしたら、すでにそこが“好き嫌い”の領域でもある。
元々、芸人さん達は、自らの芸風を「これで勝負」と挑んでいる。そこに託す感性はそもそも“好き嫌い”じゃないのか。
好きを追究して極めて、自分の芸に完成させた。そんな芸人さんが審査をするなら、そもそも芸を自分のセンスで磨いてきた人たちだから、他人の芸とて自分の琴線に触れる芸でなくてはならない。つまり、“好き”だ。
そうではなく公平性とか、将来性とか、そういうまっとうに聞こえるものを重要視したいなら、昔のスタイルだった“文化人”たちが審査した時代に戻る。そこに反発したのがそもそも芸人たちだった。
「漫才をしたことがない人間に、なぜ、我々の漫才を採点されなければならないのか」
という反発を背景に、“文化人”審査員が消え、今の、トップクラスの芸人さん達が「自らもやってきた漫才」の、後輩としての漫才を吟味し審査するスタイルが確立した。
審査員が知識人ならば、「今すぐ面白くはないけれど、こういう漫才師に将来を託したい」とか「彼らは今は地味だが、必ず将来、比類なき漫才師になる可能性を感じる」とかいう、しごくまっとうな、公平性、客観性、将来性、を加味した採点があっただろう。
自らも好き嫌いで選ばれたはず
しかし「今、最も面白い漫才師」を、プロの芸人が選ぶなら、将来性もへったくれもない。“今”がすべてになる。今面白いかどうか。ならば、“笑い”は、当事者の感性に頼る他ないのだ。
「好き嫌いで選びやがって」という不満もあろうが、そもそも、漫才当事者が選ぶ漫才なのだから、“好き”を選んで当然で、そこに人間性やら将来性やらは関係ない。
そういう土俵で選ばれた元M-1王者が、審査員を「感情的に選んだ」と批判するのは、自らの地位を否定するようなものだ。あんたたちもまた、“好き嫌い”で選ばれたんだよ、と。そのことの自覚のなさ。もっと言うと、あなたたちをかつて選んで王者にしてくれた審査員たちの悪口を言っちゃいけない、という“人間性”的なものを度外視し、“面白さ”のみに特化したから、こういう、選んでもらって出世した若手が、その「ご恩のある審査員」を否定するというお行儀の悪さを生むのだ。面白さだけで選ぶ落とし穴が今回、露呈した、と私は見る。
さて、番組批評はこれくらいにして、この騒動からは学ぶべき社会の一面がある。
女性上司が部下に対し、感情的になった時、「更年期障害」という悪口が出る。これはM-1のみならず、一般社会でも起こり得る。機嫌不機嫌を隠さない男性も普通にいる。だが、部下が「彼は感情的な人事をする。男性更年期か」という声はあまり聞いたことがない。
女性も男性も、感情的だ。だが、女性上司に対して若い男性からそういう言葉が出る、ということは肝に銘じておいたほうがいい。
男性審査員が「僕、彼らのような漫才が好きで」と口にしたところで、「好き嫌いで選んだ」という批判は出なかった。見えてくるのは、若手男性が反発したのは“感情的”なことではなく、“女性”だったこと。
本音はこのあたりではなかろうか
彼らが自覚しようがしまいが、彼らが酔わないでは発言できなかった本音、というのは、自分たちを審査する相手が感情的であることではない。
また、更年期障害という症状を持つ人間に対してではない。
そういう表現を使ってでも批判したくなった相手とは、つまりはその理由は、オンナ、にある。
女性に好き嫌いで選ばれること。もっと言えば、審査員という権力者側に女性がいることではないのか。
本気で審査しようと挑んだ上沼氏がその本気の拠り所としたのは、自らの好き嫌いだった。
それのどこが悪いか。
好感度、という言葉自体が、好き嫌いのモノサシだ。上沼氏に非があるとすれば、その好き嫌いを隠さなかった。つまり本音でしゃべったことにある。
人間性が最低でも能力があると判定される人と、人間性は素晴らしいが仕事がイマイチの人間と、どっちを選ぶかは企業の好みだ。どっちを選ぶかですでに企業の将来戦略とも言える。
仮に、上沼恵美子氏が、彼らの言うように審査員として相応しくないような人間性だったと仮定しよう。だが関西では毎週確実にテレビから笑いを視聴者に安定して提供している現役のプロだ。笑いの安定供給などなかなかできるものではない。仮に人間性が最悪だったとしても、能力はトップクラス。そういう、若手芸人にはマネしようにもできない力があっても、彼らはそこを評価しなかった。そこへの敬意があれば、安易な反発は出なかっただろう。
もし、これが企業で起きたなら、今回のように若手から悪口を言われたくらいで「では引退します」にはならないだろう。そういう声を聞き流し辛抱しながら働くしかない。しょせん悪口だから。
女性上司を侮るなかれ
自分を批判した後輩に対して、「審査員からの引退」という言葉を使いながら、彼女は辛抱を放棄した。
「引退」と言うが、私には「かかってこんかい」というメッセージが届くのだ。
女であることに反発された女性上司が「では、私、引退します」と宣言するのは、自らの能力の必要性を組織に問いかける勝負を彼女は取ったのだなぁ、と感じる。
いいじゃないか。
引退をチラつかせながら、組織の出方を見たいもんだ。
闘い方にも“本気”を感じる。つまりは、若手男性ごときに負けないくらいの勝負をして生きてきて勝ってきた女の本気を感じる。
この勝負、若手芸人はさっそく謝ったらしいが、情けない。吠えたのだ。噛みついたのだ。
それが本気なら、とことん喧嘩しろよ、と思う。
すぐ謝るくらいなら、本気の女には不用意に噛みつかないほうがいい。
なぜなら、負け、が見えているから。喧嘩は勝つ時だけすればいい。
この勝負、どこからどう見ても、上沼恵美子氏の勝ちなのだ。本気のレベルが生き方も芸もマグナム級に若手男性とは違う。彼女はきっと復帰する。
正しい審査なんて私は期待していない。そもそも、正しい審査なんて、ない、と思っている。人間社会とはそういう理不尽さと不条理さに満ちている。
本気と本気がぶつかりあえば、本音と本音が出て、グチャグチャになる。なんと人間臭い。そういうものが私は“好き”だ。
来年のM-1を今から楽しみにしている。若手芸人さんよ。女性上司をあなどるな、だ。
最初のご質問にお答えしよう。
上沼恵美子氏は感情的か? 私の答えはイエス。
上沼恵美子氏は好き嫌いで審査したか? 私の答えはイエス。
だが、彼女に反発した芸人よりも、彼女はもっともっと面白い。
それが私の好き嫌いだ。

『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
ストーカー殺人事件が後を絶たない。
法律ができたのに、なぜ助けられなかったのか?
自身の赤裸々な体験をもとに、どうすれば殺されずにすむかを徹底的に伝授する。
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。