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ts シロクマの屑籠

シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

頑丈な人間・頑丈に見えて命を削っている人間、どちらも恐ろしい

 
 
 
先週読んだ、「眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。」という文章がなかなか忘れられず、以下のようにはてなブックマークを書いた後も反芻してしまっていた。
  


 
あんまり反芻してしまうものだから、上のコメントにおさまりきらなかった気持ちまで書いてしまいたい。
 
 

睡眠時間を削ってもてなす人物談に、複数の「恐ろしさ」を感じる

 
くだんの文章には、風邪を風邪とも思わないような商売人や、身体を削って人をもてなし、圧倒的信頼を獲得する士官が登場する。そうした人物が架空とは思えない。私もそういう人々に出会ったことがあるからだ。
 
そうした人々を見た時、私は複数の「恐ろしさ」を感じずにいられない。
 
「恐ろしい」と思うことその1。
まず世の中に、そういう異常に頑丈な人間が存在するということ。
遭遇率は低いが、世の中には、とてつもなくバイタリティがあり免疫力にも優れているらしく、精力的な活動を続けている人物がいる。彼らは絶えず仕事や事業や研究に邁進している様子で、いつ休養を取っているのか傍目にはわからない。が、そうした人々は休養を挟むのが上手いのだろう。そういう人たちの内実は「まったく休んでいない人」ではなく「普通の人があまり休めない時間や場所でも休める素養のある人」だと私は踏んでいる。前にも書いたことがあるが、ロケバスで熟睡できること、研究室の硬い床の上でもしっかり休めることはそうした才能のうちだ。だから、
 


 
三宅香帆さんのこのXの投稿は、短所というより長所だと思う。新書大賞を受賞し、現在、殺人的にお忙しいはずの三宅さんを支えているのは「新幹線や長距離バスで寝てしまえる→多少なりとも回復できる」能力だと思う。うらやましい! もっとも、あれだけ忙しければそれでも不十分かもしれないから、ご自愛下さいと思わずにいられない。
 
「恐ろしい」と思うことその2。
世の中には、とてつもなくバイタリティがあり免疫力にも優れているらしく、精力的な活動を続けている……ようにみえるがそうではない人物もいる。表向きはその1の人と変わらない。昼間は猛烈に活動し、夜も繁華街で飲み歩いたり猛勉強していたりする。
 
ところが、そういう人が突然死んでしまったり病気に倒れたりすることは珍しくない。たとえばメディア業界で大車輪の活躍をみせていた人がついに倒れた。倒れてみると、やれ狭心症だ、やれ脳梗塞だと、身体の内側がボロボロになっていたりする。医療に従事していると、この、「ある時期までは無敵の体力のように見えて、実際には健康が損なわれていた」人に結構出会う。あるいは20~30代の頃のライフスタイルを中年になっても続けようとして続けられず、それが身体だけでなく精神的・アイデンティティ的にも耐えきれなくなってしまう人にも時々出会う。
 
ということはだ、その1の人間とその2の人間を区別するのは本当は簡単じゃないのだ。もちろん後知恵ではなんとでも言える。だが高齢になるまで派手に活躍し続けてきた人のその活動には再現性は乏しく、すべては生存バイアスでしかない……のかもしれない。
 
それでも、本当に異常に頑丈な人間か、見かけ上は頑丈でも命を削っている人間かを区別するヒントは存在する。それは睡眠時間や血圧や食生活などを確認し、健診のたぐいを受けてみることだ。本当に異常に頑丈な人間は、常軌を逸した活動をしているようにみえても高血圧や高血糖といった問題が表面化することがまずない。逆に、見せかけだけ頑丈な人間は健診であちこち引っかかり、医師からライフスタイルや食生活の見直しを迫られていることが多い。というより、見せかけだけ頑丈な人間はしばしば健診をきちんと受けず、自分自身の健康に目をつむっていることがままある。
 
月並みな提言で恐縮だが、人並み以上に働いている人や活躍している人こそ、自分自身の健康をよくモニタリングし、心身に無理が生じていないか見張っておくべきなのだと思う。もし、データ的に悪化の兆しがあるなら「自分は異常に頑丈な人間ではなかった」と認めたうえで、命を削っているであろう現在のライフスタイルやワークスタイルを見直したほうがきっといい。
 
 

世の中には、身体を潰してでも勝負してくる人間がいる

 
だが私が一番「恐ろしい」と感じるのは、その1・その2で挙げたような人々が世の中にはウヨウヨしていること、そして競争相手として立ちはだかるかもしれないことだ。
 
今日では厚労省が「働き方改革」を主導している。この制度改革のおかげで、一般的な労働者が過労死してしまうリスクはたぶん減っているだろう。
 
でも、それは一般的な賃金労働者の話、それも、終業後に働いたり勉強したりしない人々の話でしかない。賃金労働だけですべてが完結する人は「働き方改革」で過労死しなくなったかもしれないが、そうでない働き方や生き方をしている人にはあまり関係のない話だ。
 
世の中には、管理職や経営者と定義される立場の人もいる。管理職や経営者は、「働き方改革」におさまらない部分がある。でもって、本当に激しく競争しているのは彼らだ。彼らの労働には際限がなく、彼らはしばしば人に会わなければならない立場にもある。管理職や経営者にとって、異常に頑丈な身体は天性の素養というほかない。頑丈さによってもたらされる豊富な手持ち時間を仕事や会合やアップデートに割り当ててくる人に打ち勝つことは、凡夫に可能だろうか?
 
頑丈さが見せかけだけの、本当は命を削って働いている人々だって十分に恐ろしい。長いスパンでみれば、本当は命を削って働いている人はいずれ健康を損ねて退場するだろう。だけどその時が明日なのか、1年後なのか、10年後なのかは誰にもわからない。命を削っているようにみえて、実は、本当に頑丈な人間なのかもしれないのだ。
 
健診の結果などを知らない部外者からすれば、目の前で異常なほど働いている管理職や経営者がその1に該当するのか、その2に該当するのかは区別がしづらい。よしんば区別がつけられ、「ああ、この人はじきに健康を損ねて退場するな」と推測できたとしても、彼/彼女が実際に退場するまでは手強いライバルのままだ。短期的にみるなら、そのような働き方ができる人を相手取って競争し、打ち勝つのはやっぱり大変だと思う。
 
で、そういうのは管理職や経営者だけじゃない。
動画配信する者、小説を書く者、漫画を描く者、等々の創作活動をする者はみんな、どれだけ創作に打ち込めるのか、どれだけインプットしアウトプットできるのか、どれだけ資料集めや研究に時間と体力を費やせるのかが切実に問われている。もちろん、素養の高低や要領の良しあし、AIやウェブや図書館を活用できる度合いも問われるだろう。だが、第一に問われるのはバイタリティ、そして集中力の保たれた状態で活動できる時間だ。体力は、活動時間だけでなく活動のクオリティにも直結する。創作そのものだけでなく、(たとえば編集者のような)アウトプットに際してコミュニケートしなければならない人とのコミュニケーションの質をも左右するだろう。
 
その1(異常に頑丈な人間)や、その2(本当は命を削って働いている人間)に該当する人は、ライバルたちよりもずっと活動限界が遠く、長く・集中して活動できるのだ! 最強じゃないか! と思わずにいられない。
 
実際の創作者や表現者の寿命をみていると、その1に該当している人はそれほどおらず、実際には心身を削りながら創作に打ち込んでいる人の割合が多いように思う。ぶっちゃけると、その1とその2の境界なんて本当は誰にもわからないし、くっきりと区別できるものでもない。創作する者は皆、多かれ少なかれ心身を削っているだろうし逆にどこか頑丈でもあるのだろう。が、中期的であれ長期的であれ、人並み外れた頑丈さと人並み外れた活動量を発揮できる創作者は、そうでない創作者にはできないことをやってのける。創作活動に人並外れた時間と体力と集中力を投下し続けられる人は、ちょっとぐらいの素養の差ぐらい、インプットやアウトプットの物量で圧倒してしまう。
 
 

そういう人々と互角に戦えるか?

 
だから私にとって、冒頭リンク先の商売人や自衛官の話は「不健康だな」という印象よりも、「でもうらやましいよね」という思いと「こういう人間をライバルとしなければならない戦場は過酷だ」という印象が勝る。
 
昭和時代に比べて、トータルの労働時間が短くなったとされていて、統計的には管理職などでも労働時間は減っているとされている。また退勤後に業務について勉強したらそれは労働時間の一部だ、という声も聞こえる。それらを字句どおりに受け止めるなら、日本社会では労働者同士の過当競争はなくなった……ように聞こえる。
 
しかし現実はそうではないと思う。まったく、そうではない。管理職や経営者のような立場の人もいるし、創作活動については時間制限は無い。体力や精神力に抜きんでた人・自分の命を削っている人はげんに存在する。そうした、異常に働いたり創作したりする人々の寿命があと1年なのか、10年なのか、50年なのかは誰にもわからない。わからないが、とにかくそういう人々が存在し、そういう人々と戦わなければならないフィールドがあるのは事実である。そして、そうした人々の仕事や創作への熱意を「働き方改革」のように画一的に制限することはたぶんできないだろう。
 
異常に頑丈な人間と、実際には命を削って異様に活動している人間は、これからも世にはばかるだろう。というより、世の中のある部分は彼/彼女らの異常な活躍や活動に支えられている。そういう、命の蝋燭の太い人間や命の蝋燭を盛んに燃焼させてくる人々と同じフィールドで戦わなければならないことを思うたびに、私は戦慄する。
 
 

子ども目線で昔のガンダムを思い出す──ある石川県民の場合

 


 
内田弘樹さんとその周辺のXで、「過去、初代ガンダムはどんな受け止め方をされていたのか」みたいな話が盛り上がっていた。それと並行して「ジオン軍は悪いやつらとして描かれていたか&受け止められていたか」「初代ガンダムの作中描写に、第二次世界大戦の戦争の残り香は漂っていたのか」等々も語られていた。『Zガンダム』や『ガンダムZZ』の話にまで飛び火して、なんだか収集のつかない様子だ。
 
それもこれも『機動戦士ガンダム ジークアクス』のおかげだ。2025年に昔のガンダムの話が盛り上がるのはありがたいことだ。
 
で、私もちょっと昔語りに参加したくなった。ただし大人目線のガンダムの話は他の人にお任せして、子ども目線でガンダムを楽しんでいた日々について語りたい。ガンダムにどんな風に出会い、ガンダムをどんな風に受け止めたのかは、年齢や地域によって結構違っているはずだ。そこを意識して、子ども目線の昔話をしてみたい。
 
 

1979年~1985年、初代ガンダムの時代

 
私にとって、『機動戦士ガンダム』とのファーストコンタクトは最悪だった。4歳ぐらいの頃、保育園で泣いている私に保育士さんが「ロボットだよ」とテレビをみせてくれたのだ。そのロボットがガンダムだった。
 
当時の私は保育園まで通園バスで通っていて、帰りの時間は15時半ぐらいだった。ところがその日は家族の都合で16時過ぎまで居残りさせられていて、他の園児は誰もおらず、ひとりぼっちの私は半ばパニックになっていた。そんな時に見せられるアニメが面白いわけがない。
 
しかも、その日のガンダムは渋い内容だった。白い宇宙船=ホワイトベースと緑色の悪そうな宇宙船=ムサイが宇宙空間を航行しているさまがやたらと映っていて、ガンダムが、悪い敵をやっつけているようには見えなかった。たぶん、サイド7~地球降下までのどこかの回だったのだろう。たとえば『コンスコン強襲』の戦闘シーンだったら保育園児にも楽しめたかもしれないが、どうあれガンダムは4歳児には難しすぎた。
 
次にガンダムの記憶がはっきり残っているのは、1981年、小学校1年生の頃だ。この時点ではまだ、私はテレビ版のガンダムを通しでは見ていない。だというのに、私はもうモビルスーツの名前とかたちをだいたい覚えていた。学校がガンダムの話で持ちきりだったせいだろうし、劇場版三部作が公開されたせいだろう。
 
当時の私たちにとって、ガンプラはまだ遠い存在だった。クラスメートの間で大流行していたのは、森永が販売していたガンダムのチョコスナックだ。いわゆる食玩ってやつで、チョコスナックにモビルスーツの小さなプラモデルがついていて、100円だった。私たちは競うようにこれを組み立てて、やれ、シャアゲルがかっこいいだの、ゴッグはかっこ悪いだの、そんなことをしゃべりあっていた。この食玩では私はかなり引きが良くて、ゲルググやガンダムといった人気のモビルスーツをさくさくと手に入れている。
 
また、私たちの間では「ガンダムI」「ガンダムII」「ガンダムIII」という分類がしばしば使われていた。まだガンダムは初代しかなかったから、劇場版に沿ってガンダムを三分割していたのだ。やがて夕方にガンダムの再放送が行われ、私も不完全ながら視聴できた。不完全というのは、水曜日と金曜日の夕方に出かけるせいで週5回の放送うち2回は視聴できなかったからだ。ビデオデッキが我が家に到着するのは1987年、まだ先のことだった。
 
今日の大人のアニメ視聴とは異なり、一話も漏らさず視聴するような態度・習慣は私たちには欠けていて、いい加減なことをお互いに言い合っていたよう記憶している。しかし、「シャアはかっこいい」ということではだいたい意見が一致していた。私たちの年頃では、地球連邦軍が「善玉」でジオン軍が「悪玉」以上の複雑なパースペクティブを持つことはまだ難しかった。にもかかわらず、シャアは小学校低学年の間ではかっこ良いとみなされ、ガンダムごっこではシャーの役は花形だった。なんだかわからないけれども悪そうなやつら──マ・クベとかキシリアとかギレンのような──とは別格だったのだ。
 
こうした初代ガンダム人気は、Zガンダムが放送されるまで案外と長く続いた。ガンプラの影響は絶対に大きい。地元のおもちゃ屋にガンプラが出回るようになり、学年が進んだおかげで私たちもガンプラに手が届くようになっていた。年上のお兄さんたちがアッザムやビグロといった渋いものをつくっているのをよそに、私たちはザクやドムやガンダムに夢中になった。なお、私はこの頃からジムのデザインが好きになりはじめていて、その後もジェガンやヘビーガンといったジム系モビルスーツを贔屓にし続けることになる。
 
 
そうそう、ガンプラといって忘れてはならないものがふたつある。ひとつはMSVだ。
 

 
モビルスーツバリエーション、略してMSVは私たちの間でも好評だった。ザクキャノン、ジムキャノン、高機動型ザク、等々。『Zガンダム』がオンエアーされるまでの間、MSVはそれなり話題になっていたしガンプラの選択肢にもなっていた。
 
もうひとつは『プラモ狂四郎』だ。
  
1980年代はボンボンやコロコロといった月刊児童漫画雑誌がかなりの影響力を持っていて、たとえばファミコンブームに際しては『ファミコン風雲児』や『ファミコンロッキー』はけっこう読まれていたと思う。ガンプラの場合、『プラモ狂四郎』だ。「ガンプラとガンプラがバトルする」といえば『ガンダムビルドファイターズ』だが、当時の小学生たちはプラモデルを使ったごっこ遊びで実際にそれをやっていた。で、『プラモ狂四郎』はそれを漫画として高度な水準で具現化させ、いきなり金字塔を打ち立てた。1980年代の子ども目線でガンダムを、ひいてはガンプラを回想する際には、『プラモ狂四郎』は視野に入れておいていい作品だと思う。
 
 

『Zガンダム』や『ガンダムZZ』を、私たちはもっと単純に観ていた

 
そして待ちに待ったガンダムの続編がオンエアーされる。『Zガンダム』、それから『ガンダムZZ』だ。ところが石川県ではその順番に視聴できなかった。これは石川県固有の出来事だったと思う。
 
石川テレビは、『ガンダムZZ』を1986年7月25日から週1ペースで放送した。なんの前知識もなく見る『ガンダムZZ』は、「メカはカッコいいが、筋書きのさっぱりわからない作品」だった。しかも石川テレビは、よりにもよって『ガンダムZZ』を朝の6時15分から放送した。筋書きのさっぱりわからないガンダムを、朝の6時15分から視聴する根性と習慣は当時の私には無かった。
 
対して『Zガンダム』は1987年1月7日から4月15日にかけて、週5回のペースで「夕方の再放送枠」で放送された。このため、石川県では『ガンダムZZ』より後から始まった『Zガンダム』が、『ガンダムZZ』よりも早くに終わる格好になったのである。
 
『ガンダムZZ』と違って、『Zガンダム』は初代ガンダムから7年後のストーリーであることをわかりやすく見せてくれた。私たちは、やれチターンズだ、やれエウーゴだと、たちまち『Zガンダム』の世界に夢中になった。2025年から見るとわけのわからない主人公であるカミーユ・ビダンにもそこまで違和感をおぼえていなかったし、子どもは残酷なのでジェリドは馬鹿にされがちだった。それでも私たちは小学校6年生になっていたから、初代ガンダムの頃よりは複雑に作品を観ていたように思う。チターンズが毒ガスやコロニーレーザーで虐殺を行ったことについてもあれこれ話し合ったし、ハマーン・カーン率いるアクシズが登場してからの三つ巴の情勢、ダカールの演説、ジャミトフ・ハイマンの暗殺などに沸き立った。そしてカミーユ・ビダンの精神崩壊を衝撃をもって受け止めた。賛否はともかく、強烈なインパクトがあったのは間違いない。
 
そうなると、私たちの目は早朝に放送されている『ガンダムZZ』に向けられる。週1ペースで放送されていた『ガンダムZZ』は、この時点ではまだ完結していなかった。私は、プルのキュベレイがプルツーのサイコガンダムMK-IIにやられるあたりから『ガンダムZZ』を真面目に見始めた。話の筋はあまり理解できていなかったが、百式やZガンダムやキュベレイといった、既に馴染んでいるモビルスーツがたくさん登場することに助けられた。序盤は明るい雰囲気の『ガンダムZZ』も、後半はシリアスな場面が多いので『Zガンダム』の続きものとして十分に視聴できた。私たちの間では、マシュマー・セロやキャラ・スーンといったネオジオンの騎士たちはだいたい人気があった。ジュドーやビーチャやエルといったシャングリラの面々も人気があった。
 
モビルスーツも良かった。ハンマ・ハンマ、ドライセン、バウ、ガズアル等々のガンプラが競うようにつくられた。私は今でも『ガンダムZZ』のモビルスーツのデザインがすごく好きだ。ドーベンウルフ、ゲーマルク、ザクIII改。懐かしいカッコよさだと思わずにいられない。
 
 

SDガンダムの存在感

 
その後、あまり間を置かずに石川テレビは『Zガンダム』と『ガンダムZZ』を再放送してくれて、それらを丸ごとビデオに録画できたので、私のガンダム体験は飛躍的に変わった。ビデオデッキ導入前の小学生とビデオデッキ導入後のティーンでは、アニメ体験の質と量が違い過ぎる。紙幅の都合もあるので、そこから先のガンダム体験については今回は触れない。
 
それより、SDガンダムについても少し触れたい。
 


 
内田さんは、ガンダム系作品の入口として『SDガンダム』シリーズを挙げている。80年代後半~90年代前半のガンダム系作品とのファーストコンタクトがSDガンダムって可能性はあり得たと思う。「SDガンダムからガンダムに入った」という話は、私も一回り下の世代の人から聞いたことがある。
 
はじめ、SDガンダムは私の周辺では流行っていなかったが、『Zガンダム』や『ガンダムZZ』が放送された頃から流行り始めて、駄菓子屋や文房具屋のガチャポンに私たちは群がった。ここでも100円玉が重要だったのは言うまでもない。百式やキュベレイといった有名どころのモビルスーツの塩ビ人形は、もちろん人気だった。今日のソーシャルゲーム等のガチャに比べればかわいいものだが、射幸心をあおられ、たくさん100円玉を使ってしまう人もいた。*1
 
私自身は、塩ビ人形よりも付属のシールが気に入っていた。ガチャポンひとつにつき必ず一枚入っているこのシールは集めている人が少なかったので、譲ってもらったりトレードで交換してもらったりしやすかった。しかも、モビルスーツやモビルアーマーが1コマ漫画のように描かれていて、塩ビ人形よりも表情豊かで原作の面影を連想させた。私はこれをノートに貼り付けてコレクションにしていたのだけど、そのノートを紛失してしまった。本当に惜しいことをしたと思う。
 
そうしてSDガンダムが流行っているタイミングで、『SDガンダムワールド ガチャポン戦記』がファミコン(ディスクシステム)で出た。
  
このゲームはコンピュータの思考時間が長すぎるという、弁護しづらい短所があったが、それを補ってあまりある面白さで私たちを魅了した。シミュレーションゲームとしてはシンプルだったし、対戦アクションゲームとしてもよくできていて、モビルスーツはちゃんと個性的だった。友達同士で集まった時にも、担当モビルスーツをそれぞれに割り振れば複数名で遊ぶことだってできた。 
  
続く『SDガンダムワールド カプセル戦記2』には『ガンダム逆襲のシャア』のモビルスーツまでが含まれていて、シミュレーションゲームとしても対戦アクションゲームとしてもますます洗練されていた。なによりコンピュータの思考時間が短縮され、一番の短所が克服されていたのは大きい。その後、私はスーパーファミコン版やPS版でもSDガンダムシリーズを遊んだけれども、本作の頃が一番楽しくやっていたように思う。
 
 

(ガンプラ等を含めた)玩具は重要だった

 
してみれば、(ガンプラやSDガンダムも含めた)玩具の存在感が大きかったと思い出される。アニメ作品としてのガンダムを楽しんでいる時間は、実はそれほど長くなくて、食玩やガンプラやSDガンダムなどをとおしてガンダムを楽しんでいる時間が少なくない割合を占めていたし、それらが記憶にも残っている。『プラモ狂四郎』をはじめとする紙媒体の影響もたぶん大きい。
 
ビデオデッキすら無かった1980年代の子どもが体験したガンダムと、サブスクリプションサービスが一般化した2020年代の大人が体験するガンダムは、だからかなり隔たっている。アニメとその作中描写の重要性も、細かい点への理解度も違ってこよう。まだ昭和時代に属したあの頃、私たちはシャアをシャーと呼び、ティターンズをチターンズと呼んで親しみ、低解像度でガンダムを楽しんでいた。しかし流行現象としてのガンダムは、都会の青年オタクエリートだけがかたちづくったわけではない。食玩やガンプラをとおしてのガンダム体験、SDガンダムに支えられたガンダム体験もあったはずだし、それらも流行現象としてのガンダムを縁の下から支えていたはずだ。
 
そうした子どもっぽいガンダム体験は、えてして大人になってからのガンダム体験によって塗りつぶされて、なかったことにされてしまいがちだ。それって、さびしいことだと思うし、書き残しておかなければ忘れられてしまうと思う。私は、1975年生まれの(石川県における)ガンダム体験について書いた。これを読んだ他の人も、子ども目線のガンダム体験について書き残したり、SNS上でおしゃべりしたらいいなと思う。
 
 
 
※ついでなので宣伝。昭和~平成の思い出話です。
 

 
もうひとつついでに内田弘樹さんが原作の漫画も。
  
 

*1:そういえば、上級生の間ではSDガンダムは殆ど流行っていなかったので、SDガンダムの塩ビ人形をカツアゲする上級生はいなかったし、興味を持たれることもなかった。全国的にそういうものだったのだろうか?

ヒトの性分化についての面白い本。でも少し手強いかも──『テストステロン: ヒトを分け、支配する物質』

 
最近、ひたすらインプットに集中していたらアウトプットが滞ってしまった。普段、ブログを書くことでインプットとアウトプットのバランスを取り、知識が自分自身に定着する一助になってきたことを思い出したので、ちょっと書いてみることにする。本日、レビューめいたものを書いてみるのは『テストステロン:ヒトを分け、支配する物質』という本についてだ。
 
 

 
テストステロンは重要な男性ホルモンで、人間の性分化に影響し、生理学的・内分泌学的・行動学的に特有の変化をもたらす。しかし、テストステロン「だけ」が人間の性分化を決定づけているとみなすのは考えものだ。著者は、テストステロンも含めたもっと複雑な機構のなかで・もっと複雑な手順を踏んで人間の性分化が進んでいくさまを紹介する。本書の一番のセールスポイントは、そこのところだろう。
 
まず、XとYという性染色体が人間の性分化にとって重要だ。ほとんどの場合、ここが性分化のスタート地点になるわけだが、実際にはそこまで話は単純ではない。Y染色体上にあるSRY*1遺伝子にコードされた、SRYタンパク質をとおして十七番染色体のSOX遺伝子の活性が促され、そのまま順当にいけば精巣細胞への分化が起こり、卵巣細胞への分化が抑制される。精巣細胞ができ、卵巣細胞ができないのは、男性へ分化していく重要なポイントになる。
 
この、まだるっこしい文章が象徴しているように、実はY染色体を持っていることと男性へ性分化していくことは絶対にイコールとは限らない。なぜならY染色体を持っている人が精巣細胞を持つまでには、SRYタンパク質をはじめ、性分化のバトンリレーを介在している色々なメカニズムが存在するからだ。たとえば先天的な問題によってSRYタンパク質がぜんぜん発現しない場合、Y染色体を持っているのに卵巣細胞がつくられる(=性分化が女性側に傾く)ことになる。
 
性分化のバトンリレーはまだ続く。精巣細胞ができあがるとテストステロンがたくさん分泌されるようになり、男性の生殖器が発達し、女性の生殖器はできあがらないことになる。もしテストステロンが出ないか、なんらかの先天的な理由で無効化された場合には、男性の生殖器は発達せず、女性の生殖器ができあがることになる。
 
こんな具合に、Y染色体から始まるバトンリレーのようなプロセスをとおして性は分化するため、Y染色体が性を完全に決定づけるとも、テストステロンが性を完全に決定づけるとも言い切れない。そしてこのバトンリレーのようなプロセスのどこかにトラブルや欠陥があれば、Y染色体があろうとも、テストステロンが分泌されていようとも、範疇的な男性の性分化には至らないことになる。
 
著者は、テストステロンやY染色体をはじめとする生物学的な性分化プロセスの介在をはっきりと認めており、社会や文化によってだけ性が決定されるという考えは違う、と述べている。他方で、テストステロンが性分化のすべてだとか、Y染色体が性分化のすべてだとか、そういった世間に流布する単純すぎる言説も違う、と述べている。
 
 

文化・社会・環境の問題も視野に入れておこう

 
と同時に、本書は文化や倫理について慎重な態度を崩さない。性にまつわる言説は非常にデリケートな領域で、著者の活躍しているアメリカではとりわけそうだっただろう。本書のあちこちに、読みづらさを承知のうえで非常に慎重な表現を心がけたパートがあるのは、性を巡る今日のアメリカの文化や倫理がどのような状態にあるのかを物語ってやまない。どこまで著者が意識しているかはわからないが、そうした慎重な表現をとおして、性にまつわる文化や倫理の現代的側面があぶりだされているとも私は感じた。
 
それとは別に、テストステロンはある意味、社会とも繋がっている。テストステロンによって行動が左右されるだけでなく、その行動をとおして社会のなかで得た境遇や状況がテストステロンの濃度を左右していく面もある。また、多量のテストステロンが人間をただそれだけで凶暴にするわけではない。テストステロンがもたらす変化は、環境からの影響を常に受けている。なにより、テストステロンが行動に影響するからといって、その影響された行動の是非善悪を決めるのは生物学ではなく文化や倫理、そして社会の側であることを著者は確認してやまない。
 
昨今、思春期抑制剤や性別適合手術やホルモン療法といった、性別不合の身体に介入するテクノロジーが進歩している。その使用も文化や倫理、ひいては社会の側が決めるだろう。他方、さきにも記したように性分化のプロセスはバトンリレー的で、複雑で、しばしば不可逆な影響をもたらす。たとえば男性らしい骨格や骨密度ができあがった後に、そうでない女性的な骨格や骨密度に変更することは、現代のテクノロジーをもってしても困難だ。
 
性分化に限らず、身体の発達にはやり直しのきかない部分がたくさんある。そのことを踏まえたうえで著者は、性別不合へのアプローチについて、「資格のある専門家に相談し、さらにセカンドオピニオンやサードオピニオンを得ておくべき」指摘している。それからさらなる研究が必要であるとも。著者のいう研究のうちには、生物学や医学だけでなく、社会科学も含まれるだろう。いずれにせよ著者は、性にまつわる問題が生物学や医学だけでおさまりきらない一面を持っていることに常に自覚的である。
 
 

テストステロンや性分化について知りたい人にはいい本かも

 
このような書籍なので、テストステロンを中心に性分化について色々なことを教えてくれるのが本書だ。男女の性別とその発達について詳しく知りたい人にはお勧めしたい……のだが、この本にも少し欠点はある。それは、読みづらいことだ。
 
なお、ここでいう読みづらいとは、「よくできた新書に比べたら読みづらい」という意味であって、専門書に比べれば難易度はそこまででもないと思う。それでも、生物学や医学に多少なりとも触れていなければ、本書を読むのはちょっとしんどいかもしれない。
 
第一に、本書には生物学や医学では当たり前、でもその余所では当たり前とは言いづらい表現が散らばっている。たとえばダウンレギュレーションとかアップレギュレーションといった言葉だ。一応、一行だけ説明はあるのだが、そういう耳馴染みのない言葉が一行だけで読者への説明として必要十分なのかはちょっとわからない。ところが本書は一行だけ説明したらもう、「あとはもう理解してますねー」といった風に進行していく。けっこうスパルタ的だ。私は医学をやっているので本書の読みづらさをかなり減免してもらったが、そうでない人がこういうノリについていけるのか、ちょっとわからない。
 
第二に、比喩があまり良くない。著者はしばしば、読者にわかりやすくしようとして比喩を持ってこようとするのだが、これがなんだかよくわからない。比喩がないほうがマシではないか、と思う場面もあった。ついでに言えば、同じ語彙の繰り返しがあちこちにみられる。訳した人の問題の可能性もあるかもしれないが、私は、訳した人は原文をできるだけ素直に訳しただけなんじゃないかなーと文面を見ながら思った。さらについでに言えば、今回はkindle版で読んだのだけど、kindle版では挿絵が見にくい。挿絵まできちんと見たい人は書籍版を買ったほうがいい気がする。
 
総合的にみて、著者の人、一般向けの書籍をあんまり書いたことがないんじゃないの? と思った。著者はハーバード大学の講師としては人気者だという。講義はいけているけれども一般向け書籍は苦手ってことだろうか? それとも対象読者をハーバード大学の学生ぐらいに設定しているんだろうか? 著者の人は既にベテランのはずだけど、師匠であるリチャード・ランガムに比べると本の読みやすさではまだまだかなわないようにみえる。専門書書きの人が、ちょっと不慣れな感じで一般向け書籍を書いてみた、みたいな感じなんだろうか?
 
どうあれ生物学や医学の知識抜きでこの本に挑むのはちょっとしたトライアルかもしれない。生物学的には面白い本だし、社会科学方面のイシューについても心配りがあるだけに、もうちょっと読みやすくまとまっていたらどんなに良かっただろう……みたいなことは感じた。生物学や医学にどうしても自信が無い、でも読んでみたいって人は、生物学や医学について他の本で寄り道をしてからアタックしてみるといいかもしれない。
 
 

*1:Sex-determining region of the Y chromosomeの略

雪かきという、法のソト・世間のウチ

雪かきのしがいのある降雪になりましたね。
東北や北陸はもちろん、東京や大阪、西日本でも積雪があるというから相当な寒波でした。
 
帰宅後、しんしんと雪が降る夜の雪かきは孤独で、でも自分が一人の時間になれた気がします。数十cmクラスの積雪が一週間ぐらい続くと嫌になってしまいますが、三日程度なら、沈思黙考しながら身体を動かすチャンスだと思えば、そう悪いことでもないと感じています。
 
でも、近所の人が出てくると急に孤独ではなくなります。挨拶をし、天候の話などかわしてから、お互い、自分の住まいの周辺の除雪作業をする。それはソーシャルなことでもあり、コミュニケーションの一端とも言える何かです。自治会の行事のような義務でもない。だけどやるし、やるのが自然になっている。
 
だから雪かきってどこか多義的な活動なんですよね。表向き、雪かきは交通の妨げを解消するための作業に過ぎないけれども、身体を動かすよう強いることで身体に作用し、近所の人との間に信頼感みたいなものをつくりあげる。世間体という一面もあるし、メッセージという一面もあるでしょう。雪国では、雪かきをしている家かどうかが見たり見られたりします。雪かきをとおして、それぞれの家の事情やポリシーが現れ出る、それをお互いに読み取るのです。
 
 

雪かきをするのは、法がそうせよと言っているからではない

 
令和を迎えた今、雪国でも私有地の概念は東京などのそれに近づき、たとえばよその家の空き地に雪を積み上げるようなことをする人はまずいません。しかし、私有地ではなく公有地である路上の雪に関しては、自治体が除雪してくれるのをただ待っているだけの人は雪国にはあまりいないでしょう。なかには自治体が頻繁に除雪してくれる道路沿いにたまたま住んでいた、なんて人もいるかもしれませんが、そういう人でも、私有地と道路を繋ぐエリアの除雪、たとえば自動車道と私有地の間の歩道の除雪などは結果的にせざるを得ないように思います。
 
そうした近所の除雪作業は、もちろん自分の家の車の出入りを助けるものではあります。が実際には数十cm級の積雪でもない限り、やらなくても致命的に困るものではありません。少なくとも「うちの前は雪だらけになっていても平気」な人にとってはそうでしょう。そして、その雪だらけの道路が凍結し、その凍結した道路で誰かが転んで尾骨骨折をしたとしても、その責を道路の除雪をしなかった家のせいにすることはできないように思います。「公有地をどうにかする責任は、その公有地を管理する自治体にある」という考え方を突き詰め、さらに「公有地が積雪で往来不可能になった時には自治体を責めることができる」まで考えを突き詰めた場合、誰も道路を除雪しない、まであるかもしれません。
 
でも、雪国に暮らしていながらそんな風に考えを突き詰めている人は、きわめて稀でしょう。ほとんどの人は、ある程度の積雪があったら住まいの周辺の除雪作業に繰り出すのが当たり前になっていて、それが交通事情を助けているし、ご近所がご近所であることの符牒みたいになっている側面もあります。雪国の人が道路を除雪するのは、法によってそれが義務化されているからではなく、かといって自分の家の車の出し入れのためだけでもなく、もっと違った何か、私の好きな言葉でいえばゲマインシャフト的な動機*1を連想させます。そうしたことが疑問の余地なく「当たり前」になっていることがここでは重要で、振り返って噛みしめるに値することだと私は思います。

そして、現代社会は個人主義社会であるにもかかわらず、雪かきには個人主義ではおさまらない、または、個人主義からはみ出してしまう何かがあるよう思います。いや、これは雪かきに限ったことでも、雪国に限ったことでもないですよね。個人と社会を取り持つものとして第一に法があり、法こそが現代社会では最重要なのだけど、実際の生活には法的枠組みの外側にも個人と社会……というより個人と世間を繋ぐ活動が存在し、その活動によって地元の暮らしが成り立っている一面もあります。自治体の持つ力が大きく、人口密度が高く、法に基づいた社会契約の履行が前景に出ている大都会のど真ん中ではそうした法のソト・かつ世間のウチに属するような活動や慣習は目立たないかもしれませんが、地方においてはこの限りではありません。
 
振り返ってみると、地方には、そういう法に基づいてやれと言われているわけではない、けれども地域の生活を良くするためにだいたい皆がやっていて、それが世間体やコミュニケーションと紐付けられていることがまだ結構残っているよう思います。それがあまりに自然なこととして、みんなに内面化されているため、普段はあまり疑問に思わないでしょう。しんしんと降りしきる雪は、その、みんなに内面化されていて普段は疑問に思わない雪国人の心構えというか社会慣習というかを作り出す自然条件です。逆に、そういう自然条件がなかったら、人はもっと純粋に法的人間になれて、もっと純粋に個人化され得るのかなぁ……などと雪かきの終わり際に私は思いました。
 
 

*1:ゲマインシャフトの意味がわからない人は、「旧来の地域社会」という言葉をあてがっておいて読み取ってください

せっかちな社会で、熟成に時間のかかるワインとどう向き合うか

 
blog.tinect.jp
 
 
上掲は、今朝、寄稿させていただいたbooks&appsさんの記事だ。ワインを趣味にして良いことも悪いこともあったので、それらをまとめたつもりだ。健康至上主義な人はワインなんて近づかないほうが良く、もっと健康に貢献する趣味を探したほうがいいと思う。それからワインを貯蔵できる空間が足りない人にもおすすめしづらい。ワイン趣味でボトルネックになるのはお金や健康、その次が空間だ。たとえば狭いワンルームマンションに住んでいると、ワインを熟成させて待つためのスペースが限られてしまう。
 
「ワインは待つことも趣味のうち」について、もう少し書き足したい。
 
上掲リンク先で、私は以下のようなことを書いた。

特に中年になって思うのだけど、ワインならではの面白さは、待つということ、そして歳月に思いをはせることにあると思う。子どもが生まれた年にまとめて買ったワインを、子どもが10歳の時、15歳の時に飲んでみて、子どもが成人した暁には祝杯をあげるようなプレジャーにはワインはぴったりである。そうでなくても、長く寝かせたワインを抜栓した時、ワインが円熟の域に達していた時の喜びはなかなか替えがきかない。

将来有望と思われる若いワインを買って寝かせておくのは楽しく、コスパの良いことだ。長熟可能性の高いワインは10年程度でも値上がりするから、リリースされてすぐに買っておくと飲み頃の時期に買うより安くつく。そのうえ「ワインをやっている感」を長く楽しめるのも良いところだと思う。10年、20年と熟成を待っている間、ずっと付き合っている感じがするのは独特だ。極論を言えば、長熟するワインを数十本買って寝かしておくだけでも「おれはワインが熟成するのを待っているんだぜ」感が楽しめる。
 
しかし、ここまで書き終わってふと思った。そういうワインとの向き合い方はコスパは良い。でもタイパで考えたら、これってタイパの悪いワインとの向き合い方じゃないか?
 
さきほど私は「ワイン趣味は空間がボトルネックになる」と書いた。ワインを貯蔵する空間があまりないのに長熟するワインを寝かせておくと、その空間はずっと同じワインボトルに占拠され、いわばデッドスペースになる。ワインセラー内の貯蔵スペースの回転率と考えれば、そういうワインをたくさん抱えていると回転率が悪くなる。
 
そして現代の住まい、特に日本や東アジア諸国の大都市にありがちな手狭な住まいに住んでいる人にとって、貯蔵スペースはそれほど余裕がなく、貯蔵スペースに余裕がない人にとって長熟させなければ飲めないワインはタイパ的には性質が悪い。
 
世の中には、数十年かけて熟成するワインもある。ボルドーの有名どころがその最たるものだし、イタリアのブルネッロやバローロ、ポルトガルのポートワインなどもハイクラス品はだいたいそうだ。せっかちな人は絶対に待っていられない。中年からワインを始めた場合、ワインが飲める身体のうちに飲み頃を迎えられるか、甚だ怪しい場合もある。
 
じゃあ、そうした長熟ワインをコスパもタイパも良いかたちで愉しむにはどうすればいいだろうか? 言うは易く行うは難し、だ。答えはたぶんこうだ:地下に巨大なワインカーブの洞窟を備えた住まいを持つこと、若いうちからきっちり長熟ワインを買いそろえ続けておくこと、そして親からそうしたワインコレクションを継承し、子々孫々にまで継承し続けることだ。そうすれば、長熟ワインをいつでも・割安に楽しむことができる。

が、こんなのは通常は不可能なので、待っていられない人は「そもそも長熟ワインなんて買ってられない&待ってられないよね」ってことになる。
 
 

ワインのタイパが変わり始めている(気がする)

  
ところで最近、ワインのつくりが少しずつ変わってきていると耳にする。その変化のひとつに「昔に比べて早飲みしやすいワインが増えてきた」ってのがある。
 
たとえばボルドー左岸のカベルネ・ソーヴィニョン主体でつくられたワインは、まともに飲めるようになるのに十年単位の歳月が必要と言われたものだし、私も待ちきれずにボトルを開け、がっかりしがちだった。ボルドーの場合、それほど高く評価されていないワインでさえ、10年以上経っていたほうが打ち解けて華のある姿をしていることが多い、とも感じる。ところが最近、若い品を抜栓しても心地良い体験が待っていたりする。作柄の出来不出来もあるかもしれないけど、なんか飲みやすくなっていませんか?
 
ブルゴーニュワインでさえ、いわゆるクラシックな品は時間がかかると言われてきた。ピノ・ノワールやシャルドネといった新鮮さも魅力たり得る品種でも、一級や特級を急いで飲むなんて馬鹿げたことだ(今でもそう思っている)。それが、案外そうでもない品に遭遇することがあったりする。シャブリの一級なんかもそう。十年以上前のシャブリの一級は値段がそこまで高くなく、それでいてすぐに飲める様子でもなかったので貯蔵スペースが乏しい私のような人間には手が出しづらい印象だった。でも今は「いざとなったら飲んでしまえばいいじゃないか」って気持ちで買いにいける品になってきている。
 
名醸地のワインたちが早飲みしやすくなってきているとして、それが良いことなのか悪いことなのか、私にはちょっとわからない。たとえば2010年代後半~2020年代前半につくられたボルドーやブルゴーニュのワインがどれだけ永らえて、最終的にどこまで高い打点が出せるのかの答え合わせをするには最低でも10年、できれば20年は待たなければならないだろう。だとしても、せっかちな人でも楽しめる作風のワインが増え、タイパ的に付き合いやすいワインが増えていくとしたら、それ自体は良いこと、少なくともワインを売る側と買う側にとって好ましい一面があるのは間違いない。
 
 

タイパ良ければすべてよし? @ワイン趣味

 
ただ、そうやって若々しいワインを若々しいうちに飲んでおいしがっている時に、本当にこれで良かったんだろうか? と思うこともある。
赤ワインにしろ白ワインにしろ、買って間もないうちから楽しめるのはありがたいし、早飲みの、活き活きとしたさまを愛でるのもまた良い。でも、たとえば2019年につくられたワインを2025年に飲んでしまったら、2035年にそのワインがどんな姿をしているのかは確かめられなってしまう。早く飲めるようになったからと、早く飲まれてしまうワインが間違いなく失ってしまうものがひとつある。それは「可能性」だ。
 
ここでいう「可能性」を全部のワインを持っているわけではないし、ワインの熟成可能性はものによって大きく異なる。しかし大器晩成型のワインってやつは確実にあるわけで、世界じゅうのワインが早く飲める方向にシフトした時、若いうちは飲めたものじゃなくても数十年後に大輪の花を咲かせるワインが出てこなくなる、少なくともその「可能性」がだんだん顧慮されなくなっていくとしたら……それは喪失じゃないだろうか。
 
ワインという遊びには、「今、そのワインが持っている素晴らしさ」を楽しむだけでなく、「将来、そのワインが持ち得る素晴らしさの可能性」をドリームするところもある。それがワインという趣味に、時間的な奥行きを与えてもいる。せわしない現代社会において、それはタイパの悪い趣向かもしれない。すぐに味わえず、すぐにインスタグラムで見せびらかすこともできない巌のようなワインたち。しかも、待ちに待ったワインが結局期待外れ、なんてこともある。だけどワインってそういうものだったよね? という思いも、また捨てることはできない。
 
ワインに限らず、タイパを突き詰めるとあらゆるものが即効的・即時的・即戦力的でなければならなくなる。勉強はすぐに仕事に役立つものでなければならなくなるし、読書は実用書しか読まないようになってしまう。人間の評価だってたぶんそうだ。今、大器晩成型の人間を「可能性」と称して雇う余地、ひいてはそのような人間を探して評価して育てる余地はどこまであるだろうか? ないんじゃないか? 「可能性」という曖昧模糊としたものを抱えること、抱えるコストを支払うことにあなたならどこまでイエスと言えますか?
 
タイパが重視される社会とは、勉強も読書も人間も、できるだけ早く・できるだけ確実に成果を出せなければならない社会だと思う。ワインという気の長い趣味ですら、趨勢とは無縁ではない。そしてタイパを重視する人間は、勉強も読書もワインも、そういう風に向き合うようになってしまうだろう。少なくとも最近の私はそんな風になってしまっているので、なんだかワインに申し訳ない気持ちになります。
 
 









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