あなたは「呼び屋」という職業をご存じだろうか。海外のアーティストを招いて公演を実現させることを生業とする彼らは、長年に渡ってその手腕で日本の音楽史を彩ってきた。
本書の著者は、マドンナやボン・ジョヴィの日本初公演を実現させるなどして、呼び屋として名を揚げた。茨城県の小さな村で生まれた男は、いかにして多数の著名なアーティストを日本に招聘できるほどの大物となったのか。
本連載では、『呼び屋一代 マドンナ・スティングを招聘した男』(宮崎恭一著)より一部抜粋・再編集して、50年にもわたって国内外のアーティストと関わってきた著者の人生の軌跡と、彼が支えてきた日本の音楽シーンの変遷についてお届けする。
『呼び屋一代 マドンナ・スティングを招聘した男』連載第22回
『「JYJ」と「右翼」が原因で倒産!?…日本の音楽史を彩ってきた「呼び屋」に救いの手を差し伸べたのは「世界一の指揮者」だった』より続く
高円宮妃殿下をご招待
ヨナス・カウフマンは、ドイツ出身のテノール歌手。2006年メトロポリタン歌劇場での「椿姫」で注目を集め、以後、国際的に活躍する。ヴィットリオ・グリゴーロは、イタリア出身のテノール歌手。23歳のときに史上最年少でスカラ座デビュー。ファン・ディエゴ・フローレスはペルー出身のテノール歌手。20歳からオペラを本格的に学び、1996年プロデビュー。
日本での公演の提案に対して、カウフマンは「マゼールさんのマネージメントを10年間もした方なので、日本に行きます」と即答してくれました。僕らは意気投合しました。僕は会場を取ってきちんと正式なオファーを出すので、「エージェントはどこですか?」と彼に聞きました。ニューヨークの会社だというので、マゼールから「ザック、このままニューヨークに行きなさい」と言われ、ニューヨークに立ち寄って条件を詰め、帰国しました。
2015年のリサイタル公演で、会場は東京・赤坂のサントリーホールと川崎市のミューザ川崎シンフォニーホール、大阪のフェスティバルホールを押さえ、3公演。彼はピアニストを1人連れて来るということでした。ギャラは30万ドルでした。2人あわせてのギャラですが、オーケストラを入れたオペラではなくリサイタルだから安いといえば安いものです。
サントリーホールでの公演では、僕は高円宮妃殿下に「お出ましになりませんか?」と電話でお誘いしたら、「ぜひ行きます」というお返事だったのでご招待しました。
その日、公演の途中、けっこうな揺れの地震があって、妃殿下は隣に座っていた僕に「演奏、止めちゃうんじゃないかしら」とおっしゃいましたが、カウフマンはシャンデリアが揺れる天井をちょっと見上げたけど最後まで歌いました。
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ホールは2000人の観客で満席でしたが、無事、リサイタルは終わりました。終了後、貴賓室でカウフマンは妃殿下とお会いし、「今度はオーケストラで聴きたいですね」「是非やりますので、この次もいらしてください」というやり取りがありました。