岐路に立つ日本のゲーム──小沼竜太×斉藤大地(司会=さやわか)「日本のゲームは世界の教養になるのか」イベントレポート
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2024年12月18日、ZEN大学とゲンロンの共同公開講座第9弾として、『NEEDY GIRL OVERDOSE』や『殺戮の天使』などのタイトルでプロデューサーをつとめる「インディーゲーム編集者」の斉藤大地と、『ペルソナ』シリーズや『FGO(Fate/Grand Oder)』といったメジャータイトルからインディーゲームまで数多くのプロモーションを手掛ける「ゲームの宣伝屋」、リュウズオフィス代表の小沼竜太を迎えたイベントがゲンロンカフェで開催された。司会には屈指のゲーム通として知られるさやわかを迎え、グローバル市場のなかでの日本のゲームの現在地とこれからについて白熱のトークが繰り広げられた。本稿ではその一部をレポートする。(ゲンロン編集部)
小沼竜太×斉藤大地 司会=さやわか 日本のゲームは世界の教養になるのか──コンテンツを「送り出す」最前線
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20241218
日本のゲームは世界の教養になった! しかし……
「日本のゲームは“すでに”世界の教養になっている」。斉藤はそう断言する。斉藤にとって教養とは、「歴史や文脈をおさえていること」だ。それをゲーム制作の現場に置き換えると、「グローバルなゲーム制作において日本のゲームがリファレンス元になることができているか」であり、その答えは「YES」であるという。たとえば、インディーRPGゲームとして異例の大ヒットを記録した『UNDERTALE』の制作者トビー・フォックスは、日本のゲーム(『東方プロジェクト』シリーズや『MOTHER』シリーズなど)に大きな影響を受けたと語っているし、そうした例はほかにも枚挙のいとまがないからだ。
小沼もこれに同意し、日本のゲームは現代のグローバルなゲーム業界におけるラテン語のようなものであるとさえ語る。日本のゲームはある意味ではすでに「古典」になっているのだ。
そう聞くと、「なんだ、やっぱりこれからも日本のゲームは安泰じゃないか」と思いたくなる。しかしながら、日本のゲームを取り巻く環境はかなり厳しいそうだ。いったいどういうことなのだろうか。
日本がグローバルなモバイルゲーム市場をつかむのは難しい
日本のゲームを取り巻く環境の厳しさは、統計にわかりやすく表れている。小沼がスライドで示した統計によると、全世界のゲーム市場のほとんどは東アジアとそれに次ぐ北米が中心になっている。世界市場のうち、なんと70%ものシェアをこの二つの地域が占めているのだ。また、東アジアではゲーム市場全体の75%をモバイルゲームが占めており、その特色がうかがえる。
モバイルゲームといえば、もちろん日本にはさまざまな有名タイトルがある。『モンスターストライク』や『パズル&ドラゴンズ』、『Fate/Grand Order』など、プレイヤーはもちろん、じっさいにプレイしたことはなくても名前は聞いたことがある人は多いはずだ。そして当然、日本のモバイルゲーム収益ランキングではこれらのタイトルはトップ10に入っている。
しかしながら、驚いたことに、日本でよく知られたこれらのタイトルは韓国・中国・北米ではほとんどランクインしていない。基本的に日本のタイトルが上位になるのは日本だけであり、その実績から見るに日本のタイトルがモバイルゲームのグローバル市場を掴むのはひじょうに難しいと小沼は語る。日本のモバイルゲーム市場はガラパゴス化している。たしかに過去の日本のゲームは国際的に「教養」化したものの、そのことと現在の日本のタイトルがグローバルに通用するかどうかはまったくの別問題なのだ。
Steamの急成長とPCゲームの可能性
では、PCゲーム市場に目を向けてみるとどうだろうか。上でも見たとおりPCゲームはモバイルゲームに比べて市場の規模が小さいが、近年、注目すべき変化が起きている。それはPCゲーム販売プラットフォーム「Steam」の台頭だ。
Steamでは有名タイトルを含むさまざまなゲームをオンラインでインストールすることができ、ゲームのアップデートなども自動で行うことができる。SteamはPCゲームのプレイ環境を大きく変え、その最大同時接続者数はなんとこの10年間で836万人から3920万人と、4.7倍にも膨れ上がった。
とりわけ注目すべきはSteamユーザーの63.5%を英語圏と簡体字圏ユーザーが占めているということである(なお、繁体字ではなく簡体字が市場を占めていることには、ここ数十年のゲーム市場を取り巻く大きな変遷が関わっている。その全容はぜひアーカイブ動画で確かめていただきたい)。そうなると、またしても日本タイトルの入る余地がないのでは、と考えてしまいたくなる。しかし斉藤によれば、Steamに関しては必ずしもそうではない。
スマートフォンのモバイルゲームは基本的に販売タイトルが地域別で分けられてしまう。そうなると日本タイトルが世界的に露出する可能性は低くなる。だが、Steam上での販売は地域別になっていない。さらに、Steamではランキングも地域別ではなく、全世界共通で表示される。そうすると日本タイトルが世界のユーザーの目に止まる可能性が高くなる。したがって、Steamではゲームタイトルが地域の壁を比較的超えやすいのだと斎藤は言う。じっさい、2024年の全世界Steamランキングではいくつか日本のタイトルがランクインしている。
日本のクリエイターの「未熟さ」と編集者的存在の重要性
しかしながら、そうはいってもやはりSteamのメインは英語圏と簡体字圏であり、このまま日本のタイトルがプレゼンスを維持し続けられるかどうかはまったく未知数だと小沼と斉藤は語る。つまり、日本のモバイルゲームの現状は厳しく、比較的良い状況にあるPCゲームのほうもどうなるかはわからない。ではいったい、日本のゲーム市場は今後どうしていけばよいのだろうか。
まず重要なのは「クリエイター」の立ち位置であると、斉藤は言う。過度な一般化は慎むべきとしつつ、斉藤は北米のクリエイターはひじょうに自立的でクリエイター業のみならずプロデュース的な視点も持ち合わせているのに対して、日本のクリエイターは社会との関わりをプロデューサーやプロモーターに任せ、自分は創作に集中することで仕事の質を担保していると語る。いわばクリエイターが「大人」の世界から離れることでクリエイターでいられるという環境があるのだ。斉藤はこのような形式を、江藤淳を引きながら「未熟の文化」という言葉で形容する。
では、日本のクリエイターは「未熟の文化」を捨てて「大人」になるべきなのだろうか。彼らも欧米のグローバルスタンダードに適応しなければいけないのだろうか。さやわかはそう疑問を投げかける。しかし、斎藤はかならずしもその必要はない、という。なぜなら、このようなある種の未熟さは日本特有のサブカルチャーの大きな推進力にもなってきたからだ。たとえば、イベントで名前の挙がったアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の、思春期の少年の自意識と密接に結びついた作品のあり方をイメージしてもらえるとわかりやすいだろう。したがって、「未熟の文化」はそれ自体でたんに悪いものというわけではない。
この議論に対し、小沼も日本人のメンタリティは変えようがないので、クリエイターは作りたいものを作ればよいという立場にたつ。そのうえで、それでもゲームを世界に輸出していくにあたっては「これは言ってよい、これは言ってはダメ」といった社会的な文脈や国ごとの文化的な違いをクリエイターに共有できる周囲の存在が必要不可欠だと語る。小沼の見方では、日本的な分業システムに問題があるというより、いまの日本のゲーム業界が多くの作り手を世に送り出す環境を作れていないことが問題だという。
斉藤はさらに、クリエイターの創作物を社会につなげる役割を担うプロデューサー、あるいは「編集者」的存在が足りていないと指摘する。つまりふたりの意見を大きくまとめるならば、これからのゲーム業界において重要なのは、日本の独自性を維持しながらそれを社会化してパッケージングできる編集者や「大人」の存在だということになる。「未熟の文化」の評価や可否については議論を呼びそうな点だが、ぜひ動画でふたりの意見に耳を傾けながらこの問題を考えてみてほしい。
「使節団」と日本のゲームのこれから
では、そうした編集者的存在が日本のゲーム業界にもっと必要だとして、彼らにはなにが求められるのか。ゲーム業界に長く携わってきた斉藤と小沼は、口を揃えてじっさいに海外のプロデューサーやクリエイターに会いに行って話を聞くことの重要性を説く。とりわけ一大市場であり、なおかつ文化的な近さもある東アジアは今後ますます日本にとって重要な存在になるだろう。中国や韓国を始めとした東アジア諸国との人的交流はゲーム業界にとっても急務だ。斉藤はこうした海外遠征を明治期の岩倉使節団にたとえ、いまの日本のゲーム業界に必要なのはまさに「使節団」なのだと力説した。
本稿では触れられなかったが、斉藤が『ブルーアーカイブ』の韓国人シナリオライターにインタビューしたときに日本の「未熟の文化」にアイデンティティ・クライシスを感じた話や、小沼が中国の友人と喧嘩したことによって逆に仲良くなって交流が生まれた話、そしてさやわかの提起した「なぜ任天堂は日本のゲーム企業にもかかわらずいまも世界的に成功し続けているのか」という問いに対する斉藤と小沼の冷静な分析など、これからゲーム業界や「使節団」を担っていくべき人々にとっても示唆に富む話が盛りだくさんだった。そしてもちろん、これらの議論は書籍やマンガ業界、あるいは日本のカルチャー業界全般に置き換えて考えることも可能だ。どのジャンルに携わるひとも必聴の内容となっているので、ぜひアーカイブ動画を購入いただき、全編を視聴していただきたい。(田村海斗)
小沼竜太×斉藤大地 司会=さやわか 日本のゲームは世界の教養になるのか──コンテンツを「送り出す」最前線
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20241218
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