第86話 使徒の消失
朝起きたら、丁重に招いていた使徒の一人がゲストルームから忽然と消失していた。
「どうしよう……」
かくして、第七使徒サリエルは再び頭を悩ませることとなる。
「だ、大丈夫ですよ、ミサ卿なんてすぐに見つかりますよ!」
俯くサリエルに全く根拠の無い慰めの言葉をかける第十二使徒マリアベルの台詞にある通り、失踪したのは第十一使徒ミサ。
今朝、世話役のシスターが起床準備のために入室したところ、大きな天蓋付きのベッドには蹴っ飛ばされて散乱した布団があるだけで、そこで眠りについているはずの神に愛された少女の姿はどこにもなかった。
その悲劇的な一報は、修道院の規則正しい生活習慣を送り、夜明けと共にすでに起床していた十字軍総司令官サリエルの耳に届いた。
「現在、首都ダイダロスの全門を閉鎖し厳重な検問を行うと同時に、街中に捜索の兵を出しております」
こうした戦闘以外の不測の事態に素早く対応するのは、サリエルの副官であるリュクロム大司教の役目である。
今回の使徒三名のサリエル見舞いの訪問は、公には伏せられているので、現場で捜索する兵士達にはとある重要人物とだけ伝えられている。
しかしながら、ミサの容姿は何点かの特徴を伝えるだけですぐに分かるほど目立つものであり、実際に見た事が無い末端兵士であっても見かければ即座に判別できるだろうと予想がつく。
だからこそ多少込み入った事情があろうとも、首都ダイダロスに潜伏している限りは、すぐに見つけることが可能だろう。
そう、ダイダロスに居れば、の話である。
「ミサ卿が‘能力’を使っていれば、誰にも気づかれず首都ダイダロスの外に出ていることでしょう」
ポツリと呟くようなサリエルの言葉に、二人の麗しき兄弟は痛いところを突かれたとばかりに鎮痛な面持ちとなる。
「『空中要塞』のことですよね……」
うんざりしたような顔つきで、マリアベルはミサの持つ厄介な能力名を口にする。
「確かに、空を飛ばれてしまってはいくら地上を探そうが無意味ですね。
城に篭られてしまえば、補給の必要も無いので姿を現す機会も、気まぐれ以外にはありえませんし」
第十一使徒ミサの誇る『空中要塞』は、自称でも誇張でも無く、全く文字通りの効果を秘めた恐るべき能力である。
もしも‘ソレ’を利用しているのだとすれば、発見できるのは天馬騎士などの実際に空を飛ぶ者しか不可能だ。
「私が、出ます」
サリエルは、今自分に出来ることを提案する。
十字軍総司令官といっても、サリエルにこうした戦闘以外の事案に上手く対処する能力は無い。
自分は口出しせず、臨機応変に的確な指示を出せるリュクロムに任せきりにしてしまった方が効率よく兵が動くだろうことが理解できていた。
「申し訳ありません、戦場以外でサリエル閣下のお手を煩わせるようなことは決してせぬよう心がけておりましたが……」
「気にしないでください、ミサ卿は私の客人なのですから」
リュクロムは感謝を篭めて深々と頭を垂れた。
「ところで、マリアベル」
「え、なに兄さん?」
ふいの問いかけに思わず素で応えてしまうマリアベル。
「第三使徒ミカエル卿は、今どちらへ?」
そう、サリエルの見舞いに馳せ参じた使徒は三人、失踪したミサ、この場に居るマリアベル、そして、この大騒ぎの中にあって姿を見せない美貌の第三使徒『聖女』ミカエルである。
「ああ、ミカエル卿なら、ミサ卿の失踪を聞いて――」
「それは大変ですねぇ、では、私も探しに行きますよぉ~」
「――って」
呑気に応えて、そのまま優雅な朝の散歩にでも向かうような足取りで、その場を立ち去っていった、とマリアベルは伝えた。
「ミカエル卿との連絡手段はあるのですか?」
「……あ」
探しに行く、と言っても、この見知らぬ街であるダイダロスの一体何処を探すというのだろうか。
真っ当に考えれば、城の周辺でもぐるっと一周すれば「見つからなかった」と言って帰って来るだろうが、相手は無限の魔力を持つ使徒である。
その気になれば地の果てまでも歩いて行けるに違い無い。
『聖女』の二つ名は伊達では無い、彼女は己の身など全く省みずにミサ捜索を続ける可能性がある、見つからない彼女を心配して、どこまでもどこまでも歩いて行く献身的な姿が目に浮かぶようである。
「これは、二次遭難の可能性もありますね……」
何故彼女を止めなかった、と弟の迂闊さをしかることなく、リュクロムは溜息をつくように重苦しい言葉を吐いた。
「ミカエル卿も、探しておきます」
本当に申し訳ない、と二人の兄弟はサリエルへ寸分のズレも無い華麗な動作で頭を下げた。
またしても1章ぶりのサリエルの出番で始まりました、第7章『迎撃準備』です。
タイトルでお分かりかと思いますが……準備だけでまだ戦闘は……
ともかく、クロノがどんな作戦で十字軍を待ち構えるのか、そんな祭りの前の準備期間的な楽しさをお伝えできれば幸いです。
では、明日もお楽しみに!