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ZINEができるまで【出版社を作ろう】
1月以降イベントが目白押しである。せっかくなので来てくれた人が持って帰れるお土産を用意したいと思ってZINEをつくった(たぶん来てくれる人は、ほぼ『14歳からのアンチワーク哲学』や『労働廃絶論』を持っているので、お土産になるものがないのだ)。
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これまでもZINEをつくったことはあったのだけれど、クオリティが低かったので、文学フリマでは無料で配布した。ただ、男ならZINEくらいちゃんとつくれるようになりたいと思って、ちゃんとした生産体制を整えることにした。
さて、ちゃんとした生産に必要なものはなにか? それは、手作り感の山を消し去る体制である。
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これを消すにはどうすればいいのか? このでっかい裁断機でぶった切るのである。
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これを・・・こう!
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で・・・こう!
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(付け加えると、コンビニプリントだと余白が消せないので、そこも裁断機でバッサリいった。裁断機、まじ便利)
ちなみに、これは前から持っていたのだけれど、ちゃんとした生産体制には回転式ホッチキスも必要である。
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そして量産・・・
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こうした細かい作業はいい。ある程度ノウハウを叩き込んで、自分なりの製作スタイルを確立したあとは没頭できるし、精神が落ち着いてくる。たぶん、オフィスからFAXが消えないことや、マクロを組めば一瞬で終わる作業を延々手作業で続ける人が消えないことも、単純作業による精神安定作用に病みつきになっている人が多いからだと思う(とはいえ、新しい手法を学び、慣れれば、そこにもまた新たな精神安定作用がもたらされるわけなのだが)。つまるところ、人は単純作業を欲望しているわけで、もはやこうした単純作業は遊びと化している(もちろんこれも、労働廃絶が可能な理由の一つである)。
さて、内容はと言えば、タイトルの通りである。
『なぜ労働廃絶は可能なのか? アンチワーク哲学論考集』
体系化された一冊の本・・・ではなく、僕がこれまで書き殴ってきたnoteの記事を集め、誤字脱字をチェックし、タイトルをすげ替え、構成を若干入れ替え、まとめたものである。できるだけ話題が被らないよう記事を選出したものの、同じようなことはたびたび書かれていると思う。
とはいえ、同じことを何度も説明することは重要かもしれないと思った。『14歳からのアンチワーク哲学』の感想や批判をもらうとき、「いや、それ書いてるじゃん・・・」とか「いや、それそういう意味じゃないんだよ・・・・」思うことがたびたびある。それはむしろ重要な体験であると最近気づいた。
読んだ本の隅から隅までをいちいち覚えているわけではないし、一度で完全に理解できるようなことはあり得ない。逆に言えば僕にとってその体験は「この説明では、この点は伝わらないのだな・・・」「この説明は何度も繰り返した方がいいな・・・」という学びになった(なので遠慮せずにどんどん意見をくださいw)。だから、同じことを違う角度から繰り返す重要性に気づけたのだ。
アンチワーク哲学は、これまで抱いてきた常識をガラッと覆すことを読者に要求する。それは哲学というより、むしろスポーツに近い。何度も繰り返し、アンチワーク哲学的な思考様式に触れることで、その考え方を体得していく過程が必要なのだ。そういう意味では、この『なぜ労働廃絶は可能なのか? アンチワーク哲学論考集』は、アンチワーク哲学的思考を体得するための基礎トレーニングみたいなものである。
もちろん、アンチワーク哲学的思考を体得したとて、あしたから人格をすっかり入れ替える必要はない。これまで通りの常識的な思考法を活用すべきタイミングも人生にはたくさんある。だが、四輪車にしか乗れないよりも、二輪車にも乗れた方がいい。そういう意味で、この基礎トレーニングを受けておいても損はない。
ちなみに目次はこんな具合である。
・序文
・むかしむかし、まだ労働がなかったころ
・労働したくないあなたは怠惰ではない
・労働と労働以外はなにがちがうのか?
・なぜ、アンチワーク哲学は脱強制にこだわるのか?
・哲学作家 飲茶からのバトンを繋ぐアンチワーク哲学
・金とはなにであり、なぜ生まれたのか?
・労働や市場、金がなくなった世界で
・資本主義批判を批判する
・ブルシットジョブ撲滅から労働撲滅へ
・実存主義を乗り越える方法
・労働批判は労働者批判ではない
・永遠の満足という妄想
noteを普段から読んでくれている人は、一度見たことのある文章だと思う。とはいえ、自分で書いたはずの文章を、印刷したZINEで読み直してみると、僕は思った。
おもしろい・・・・この人、天才じゃね・・・?
(自画自賛)
自分では忘れているというのもあるし、紙で読むと印象はぜんぜん異なる。また、こうやってアンソロジーになっていることにより、新たな味わいもある。
やはり、紙の本を読みなよ。(by槙島聖悟)
ところで、序文は書き下ろしたのだけれど、これまた僕はアブラの乗った文章が書けたと思っている。せっかくなので序文だけ公開することにしよう。
序文
まったくふざけた話である。みんなが大嫌いな労働を撲滅できるかもしれないというのに、そのための哲学体系がここに存在しているというのに、その重要度と比べて注目度はあまりにも低すぎる。労働を嫌悪する人すらも、いや、労働を嫌悪する人であればあるほどに、アンチワーク哲学は無視され、冷笑され、こき下ろされてきた。なるほど、あらゆる哲学は批判を受け入れるべきではある。ただし、真の批判とはきちんと咀嚼されたのちにしか行われないものだ。咀嚼する前からこき下ろすのは、たんなる議論の却下であり、理性の敗北である。そして、常識の勝利であり、労働の勝利である。いや、不戦勝とでも言うべきであろうか。労働はいまだかつて、アンチワーク哲学と、ボブ・ブラック『労働廃絶論』を除いて、まともに攻撃を受けたことがなかった。労働という巨大な砦の門番を一人か二人小突いただけで、ラファルグやラッセルといった反労働派は満足し、祝杯をあげてきたのである。いぜんとして、労働は僕たちの目の前にそびえたっているというのに!
あなたが労働を忌み嫌っているのだとすれば、アンチワーク哲学を知るべきである。あなたの苦しみの原因を解き明かし、その解決策を見出し、いずれは労働という砦を木っ端みじんに破壊するポテンシャルを秘めた思想は、アンチワーク哲学のほかには存在していない。だから僕は多くの人にアンチワーク哲学を知ってもらうため、『14歳からのアンチワーク哲学 なぜ僕らは働きたくないのか?』という入門書を出版した。しかし、入門書はあくまで入門書であり、とりこぼされた視点はいくらでも存在している。そうした些細な弱点にたいして、たくさんの批判が寄せられてきた(そのモチベーションのほんの一部でも労働への攻撃に向けられていたなら、どれだけよかったかと悔やまずにはいられない。労働を嫌悪する人びとすらも、いまや労働を守る取り巻きと化しているのだ)。とはいえ僕はすでに、想定される批判に備えるために、膨大なテキストをインターネット上に無料公開してきた。批判の太刀筋はとうの昔に見切られていて、批判ごとすでに斬られているのである。しかし、彼らは斬られていることにすら気づいていない。僕がしたためた文章はnote社のサーバーで埃をかぶっているばかりなのだ。
本書は、その重要な論考たちの埃を払い、あらためて世に問いかける取り組みである。つまり、すでに発信された文章をそのまま本にしただけだ。とはいえ、そうでもしなければ読まれないのだ。僕はなんだってやろう。
繰り返すが、労働は撲滅可能である。しかし、そのことに気づいている人は多くない。労働はあまりにも破壊的なので、遅かれ早かれ、いつか人類が労働と決別する日はやってくるだろう(それを信じることができないのなら、あなたは幸運である。本書は、あなたが想像したこともない刺激的な思想で溢れかえっているのだから。あぁ、記憶を消してもう一度アンチワーク哲学に出会いたい!)。未来に生じる労働の廃絶の起爆剤はアンチワーク哲学かもしれないし、そうではないかもしれない。だが、間違いなく、歴史的に重要な転換点に、僕は立っているし、これを読んでいるあなたも立っている。有史以来、人類を苦しめてきた労働が、ついに破壊されようとしているのである。奴隷解放や冷戦の終結とは比べものにならないほどの転換点であることは間違いない。
さて、最後に脱線するのだが、旅行先やライブ会場、美術館などでは様々なグッズが販売されていて、人はお土産を買って帰ることができるわけだが、文学系のイベントともなれば、たいてい買えるのは本だけである。これが出版業界が苦境にあえいでいる理由の一つなんじゃないかと思う。ミュージシャンがCDやライブのチケット代よりもグッズ代で稼いでいるのは有名な話で、現実問題としてこうした利益率の高い(ブルシット臭の漂う)お土産を用意しなければあらゆるエンタメ産業が生き残れなくなっている構造にある。
しかし、出版業界はお土産を用意してこなかった。商売っ気がないことは褒めるべきか、ビジネス感覚がないと言うべきか悩むところだが(アンチワーク哲学者としては褒めたいのだけれど・・・)、現状の構造の中でとりあえず生き残るためにはこうした阿漕な戦略に頼ってもいいのではないかと思う。
そんな想いもあって、僕は労働廃絶Tシャツや労働廃絶ストラップを売る代わりに、折衷案的にZINEを売ることにしたわけだ。てなわけで、お土産を求める人は、ぜひ買って欲しい。
(ちなみに月末に貸棚書店の書肆七味さんの忘年会に参加するので、書肆七味さんにも置こうと思っている。新刊本の書店に売り込みに行くのはちょっと気が引けるのでやめておこう)
いちおうネットでも買えるようにしておいた。
あとついでにkindleでも買えるようにしておいた(が、繰り返すが紙の本の方がいいのである)。
ところで、ZINEづくりが楽しいので、もう一冊くらいなにか作ろうかと思って、小説をしたためている。これは1月までに完成させる自信はないのだけれど、まぁ温かく見守って欲しい。
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