※本稿は、木村草太『憲法の学校 親権、校則、いじめ、PTA――「子どものため」を考える』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
人が集まれば、いじめは起きる
(前略)コミュニケーション操作系のいじめ――たとえば、シカトやクスクス笑いに対しては、警察は何もできません。そこで生活空間自体を変えて、コミュニケーション操作系のいじめを無意味化することを同時に行います。学級制度を廃止し、タコ足配線的にいろんなタイプの人と自由につきあえるようにする。自分をシカトしたりクスクス笑いをする人間とは距離を置くことができ、もっと楽しい人間関係を営める友だちと距離を縮められるようにする。
――神保哲生・宮台真司他『教育をめぐる虚構と真実』(内藤朝雄発言)
いじめ防止対策推進法の成立から10年以上が経過した。いじめは、多数の人が集まる空間であれば、常に生じうる問題だ。それは、古典文学を読んでいても明らかだろう。
もっとも、日本の学校現場でいじめ問題が真剣に意識されるようになったのは、1980年代とされる。1985年には、福島県いわき市で暴力・恐喝を伴う苛烈ないじめの被害者(中学3年生)が自死した。また、1986年には、東京都中野区のいわゆる葬式ごっこ事件が起きた。学校現場でも学術研究の世界でもいじめ問題への関心は高まっているものの、苛烈ないじめは後を絶たず、2011年には、大津市での中学生の自死と学校・教育委員会の不適切な対応が重大な問題となった。
この事件をきっかけに、2012年、野田佳彦内閣の下、国会でもいじめ対策立法の準備が進められ、第二次安倍晋三内閣への政権交代を挟み、2013年6月21日に「いじめ防止対策推進法」として成立した。今回は、その内容を整理し、気になる点を指摘したい。