ユートピアが理想郷なら、ディストピアは反理想郷、暗黒世界などと訳される。ディストピア小説と呼ばれるジャンルでは、監視社会の恐怖を描いた英作家ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984」が代表的だ。
第8回東奥文学賞大賞受賞作「盗まれる指先」は、情報通信技術が高度に発達した2035年の本県が舞台。スマートグラスと遠隔グローブによる最先端の遠隔手術が普及した医療現場の、決して明るくはない未来を描いたディストピア小説として読める。
医師不足、医療倫理、高額医療費、気候変動、外国人労働者といった、現在と地続きの事象を扱いながら、最新テクノロジーがつくり出す虚構の空間と現実が交差する世界で、作中語られる「見えてるものが全部本当だと思えない時代」に生きる危うさを鋭く照らす。読者はこれがわずか10年後の設定であることに立ちすくむだろう。
作者は八戸市の藤原雅人さん、38歳。作品発表時の筆名は「岩巳岳雄」だったが、最終選考委員の三浦雅士さん、川上未映子さんの提案もあり、今後の活動を本名で通すことがきのうの贈呈式で報告された。
文学の土壌豊かな本県の未来を開く新たな書き手の誕生である。「この時代に、この土地で生活した一人として感じたことを、臆病な心を叱咤(しった)してでも書き残しておきたい」。受賞の言葉に記された決意が頼もしい。