三浦朱門 〈6〉 置かれた環境 捉え直す
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

三浦朱門の小説「武蔵野インディアン」は、太田久男という主人公が、人間の置かれている環境を根源的に見つめなおす物語です。
発端は教育対談で、主人公が教育学者に「やっつけられた」ことでした。それがきっかけになり、旧友たちから声がかかり、またかつての教え子から電話があり、それぞれの本音と実情に接する機会に恵まれます。
「武蔵野インディアン」を自称する旧友たちとの再会では、自身の生い立ちが「東京白人」の側に属すること、それが侵略する側であるために容易に認識できずにいる現実があることを学びます。自他ともに認める「落ちこぼれ」だった教え子との再会では、地域に根ざした彼の家庭環境とそこで生きる力を実感し、彼もまた「武蔵野インディアン」に相当することを知ります。
ここでとどまるなら、太田が「土地に根を生やした者」としての「武蔵野インディアン」と出会い、新たな「武蔵野」を発見した物語とまとめられてしまいそうになります。
しかし、太田自身は、そのように特定の「土地」だけを対象化して「目新しい造語」を用いて認識するまとめ方では「事の本質を見間違えるかもしれない」と反省します。
末尾で彼は「インディアン」を「現実に立脚して生きている者」と読みかえ、「理想郷を求めて放浪している白人とは、教育学者や久男たち、紙とインクの世界しか知らない者のことなのだ」という認識に至ります。論敵だったはずの教育学者と自己を同じカテゴリーに入れて内省的に思考しているのがわかります。
武蔵野から始まり武蔵野のスケールを越えていく思想的な物語だと言えそうです。
(武蔵野大教授、むさし野文学館館長・土屋忍)