【証言 インタビュー全文】押し寄せた640人、「サリンの確証ない」それでも解毒剤投与を決断…聖路加国際病院・石松伸一院長
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聖路加国際病院(東京都中央区)の院長を務める石松伸一医師(65)は地下鉄サリン事件が起きた1995年3月20日、同病院の救急部副医長として負傷者の治療に当たった。手探りで救命に尽くした当時を振り返り、被害者のケアが必要だと訴える。(大重真弓)

聖路加国際病院は、東京メトロ日比谷線築地駅の近くにあります。あの日、最初の救急車が救急外来に到着したのは、午前8時40分頃でした。患者さんは中年の男性。意識ははっきりしていましたが、「息が苦しい」「目が痛い」と訴えていました。
当初、病院には「爆発火災が起きた」という情報が入っていました。やけどや爆風でけがをした人たちの治療で「忙しくなる」と考え、準備していました。
それから間もなく、今度はいきなり、心臓も呼吸も止まった患者さんが運ばれてきました。すごく若い人でした。「何とかして助けなくては」と、他の医師らと必死に蘇生を試みました。
いったい何が起きているのかわからないまま、その後も患者が続々と押し寄せてきました。救急車で搬送された人は非常に少ない。マイクロバスや警察車両、あるいはタクシーや自家用車で来た人が多く、歩いてきた人たちも大勢いました。病院内は無数の患者であふれかえりました。
――病院には午前10時頃、前年に松本サリン事件を経験した信州大学病院から、猛毒の神経ガス・サリンではないかとの情報がもたらされた。自衛隊中央病院から、サリンには解毒剤「パム」が有効と伝えられた。
サリンと言われても、本当にそうかどうかわかりません。あの朝、救急部には私も含めて4人の医師がいましたが、誰も確証を持てませんでした。
当時35歳の私が、治療の判断や指示を下さなければならない立場でした。パムを使うことで、かえって症状が重くなる可能性も考えられます。「症状が悪化し、命が失われてしまった場合、はたしてその責任を自分は負えるのか」と
考えた末、集中治療室(ICU)に入っている重症者からパムを投与しました。ICUであれば、医療スタッフが片時も離れずついているので、仮に悪化してもすぐ対応できると判断したのです。
まもなく、若手医師から「パムが効きましたよ。けいれんが止まりました」と聞かされ、
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