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こんな大きな規模の祭りは、2001年に物部別府で行われて以来、ということ。
たしかに僕にとっても、久しぶりの「いざなぎ流」でした。
15日 取り分け・湯神楽
16日 オンザキの神楽
17日 日月祭
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今回のお祭りは、山の中にある「祈祷殿」で行われました。
いざなぎ流といえば、家に祀られている神さまを対象とする「家祈祷」「宅神祭」が中心です。ところが近年は、過疎化によって、村から引っ越す家が続出。
本来は人間が引っ越すときは神さまも一緒に連れて行くので、
そのための祭りが行われます。しかし、さすがにそんなことは、もう出来ない、
という家が多くなって、なんと神さまだけが残されてしまう。
ということで、この「祈祷殿」には、残されたオンザキさまという神たちを集めて祀っているのでした。なんと25軒ぶんのオンザキさまたちが天井裏で祀られているのでした。
これもまさに「現代」が生み出した、新しいいざなぎ流の世界、ということになりますね。
さらにもうひとつ、僕にとって、今回の祀りで初めてのことがあります。
1987年に初めて物部に入って、それから二十年近く、いざなぎ流の祀りを見てきたのですが、
それはすべて別府の中尾計佐清太夫さん、もしくはそのお弟子さんたちの系統のものでした。これを計佐清さんは「古式いざなぎ流」と呼んでいました。
ところが今回のお祭りは、その系統とは異なる小松為繁太夫さんのお弟子さんたちの系統で行われたもの。
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まぁ、知らない人からみれば、どこが違うかは微妙ですが(笑)
一番大きな違いは、今回の祀りを主宰された小笠原謙二太夫さんには、神職さんや僧侶、山伏さんたちもお弟子になっているので、祀りは、いざなぎ流のみならず、神道・仏教・修験道が入り交じった、日本の宗教ならなんでもあります風な雰囲気になっていることです。
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しかし考えてみると、いざなぎ流って、もともとそういうごった煮状態が特徴でもあるので、いざなぎ流らしいといえば、いえるのですが…。
計佐清太夫流の「古式」に慣れた目からみると、う~~ん、なんか違う、という印象。
でもまぁ、いざなぎ流はそんな多様性、可変性がモットーだし、一義的、固定的に見てはいけないのですが、でも、なんか違う…ブツブツ。
写真の後半は、17日の夜に行われた「日月祭」。
お十七夜さまというお月さまを拝みます。
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最初のうちは月も雲に隠れていたのですが、三十三度の礼拝神楽という儀式がピークに達したときに、なんと一瞬だけ、月が顔を見せたのでした。
これもいざなぎ流らしいところですね。
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日月祭では、いざなぎ流独特なリズムの「お月さまの真言」というのを唱えて、
大きな御幣を振りながら舞うのですが、今回は山伏さんたちの唱える大音声の般若心経と太鼓、ほら貝にかき消されてしまいました。
真言を唱えていた森安正芳太夫さんは、神楽が終わったときに「坊主に負けた」と、しきりに悔しがっていたのが可笑しかった(笑)
今回のお祭りは、高知県歴史民俗資料館の梅野光興さんに、宿の手配から車の運転などなど、すべておんぶに抱っこの状態。ただただ感謝。
そして同行者には、近世陰陽道研究の梅田千尋さん、神楽研究の中堅の井上隆弘さん、若手・鈴木昂太さん、美大出身のTさんと、とても濃いいメンバー。
ということで、祀りのあいだのお喋りも、とてもマニアックな話題続出(笑)ちなみに、このメンバーはTさん以外は、すべてまもなく刊行の『神楽と祭文の中世』の執筆メンバーなのでした。
あと、驚いたのは、小笠原太夫のお弟子さんのひとりが、突然、斎藤せんせいとは三十年前、奥三河の山内の花祭でご一緒しましたと、いきなり自己紹介されたこと。いやはや、すごい再会ですね。(すみません、僕はまったく忘れてました)
今回のお祭りのことは、『高知新聞』に紹介されています。
初日のときは、記者さんにインタピューされたのですが、翌朝それが早くも記事になっているのはびっくり。
さらに家に帰ったら、すでに妻のほうがネットでその記事を見ていたのもびっくり。
まあ、そんな世の中だから、いざなぎ流も、変わっていくわけですね。
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