Content-Length: 36931 | pFad | https://anond.hatelabo.jp/20091110204515
正確には、議論が許される場が好きだ。だから2chの議論できるスレや増田が好きだ。
俺は直接見てきたわけではないが、大正デモクラシー前夜の電車で演説をぶつ人や新聞上での議論を連想する。
ただ、議論をしない社会というのも尊重しなければならない。議論が息苦しいという人の気持ちも分かるからだ。例えばはてなハイクはゆるい空気だからこそいいとなる。それを議論で汚染されたくない人の気持ちは痛いほど分かる。
でも、両者を住み分けしようとすると、議論しない場は排他的になり、議論する場はどんどん公共性を失い、醜悪なものになる。そんな議論ならやらない方がましだ。
では住み分けしないとなると、議論しない場は議論する場に汚染されることを避けられない。議論する(1)としない(0)を足したら1になるわけだ。議論したくない人たちの気持ちは無視されることになる。
議論しない人と議論する人の共存はどうすればいいかということを、ずっと考えている。結局どっちかが折れるしかないのではないか? そういう結論を出すのはイヤだが、じゃあ他にどうすればいい?
議論のない社会って北朝鮮のような独裁国家のこと? 空気を読んで本音が全く言えない社会とか? 言論の自由が認められている以上、議論のない社会ってありえないんだが。 せめて、...
日本では、議論をしているように見えて、相手を攻撃しているだけのことが多い。 議論してるだけなのに喧嘩だと解釈する奴も多すぎて辟易する。
確かに。そういうケースもある。
はてなハイクでは、 1・議論する人が一定数いる 2・反動で議論するなという声が上がる ということが起きていて、後者が支配的でありながら、前者がそれを意に介さず議論する、と...
Fetched URL: https://anond.hatelabo.jp/20091110204515
Alternative Proxies: