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前作『i, i』から早6年。ウィスコンシンのシンガーソングライター、ジャスティン・ヴァーノンによるプロジェクト、あるいはライターの木津毅が心の底から愛しているボン・イヴェールがひさびさにアルバムをリリースする。昨秋発表されたEP「SABLE,」の延長にあたるそれは『SABLE, fABLE(漆黒、寓話)』と題され、ヴァーノンの新たな一歩を刻んだ1枚に仕上がっているようだ。4月11日、おなじみの〈Jagjaguwar〉から発売。新曲 “Everything Is Peaceful Love” が2月14日の24時に公開されるようなので、まずはそれを待機しておきたい。 ボン・イヴェール、6年ぶりとなるニュー・アルバム『SABLE, fABLE(セイブル、フェイブル)』を2025年4月11日、Jagjaguwarよりリリース。 2月14日(日本時間:2月15日 0:00)、シングル/ビデオ「Ev
日本では、例えば誰かに「自分は、昨日の晩にこんな夢を見た」と言う。これは、英語では「夢」を「見た」ではなく、「Last night I dreamt that…」になる。「I saw a dream」ではない。日本語の表現の方が理にかなっているんじゃないか、ずっとそう思ってきた。眠っている間に夢を見ている時、POVは自分にある。ドリーマーは主役/カメラマン/監督を兼任する。 映画館で映画を観るのは夢を見るのに似ている。光の芸術であるゆえに、この媒体はヴューワーに90分~2時間ほど(最近は3時間近い大作も珍しくないが)、闇の中で自発的にじっと座ることを求める。人間は普通闇を避ける生き物なので、その意味で妙なメディアだ。ホームシアター設備を備えている家庭は多いだろうし、携帯で映画をストリームできる今の時代、闇はもはや必要ないのかもしれない。しかしCMや他の映画の予告編が終わって淡く灯っていた客
00年代前半、サウス・ロンドンから勃興したグライムは警察権力の介入を何度も受けていた。建前は暴力の取締りで、本当のところは人種差別が根底にあったとされている。同時期にシェフィールドではグライムと同じくUKガラージから派生したベースラインが同じ憂き目に合っていた。具体的にはベースラインの中心地だったクラブ、ザ・ニッチ(the Niche)が05年に強制捜査の末に閉鎖され、4年後に再オープンしたものの、19年には完全に閉鎖へと追い込まれている。グライムはパーティやイベントを行う際に主催者の個人情報をすべて警察に提出し、想定される客層の人種も報告しなければならなかったものが、09年までにはそのような規約が表面的には撤廃されると発表されただけで、実際には似たよう措置が続けられたため、「家で聞くグライム」が提唱されたり、USヒップホップと結びつくことで過剰にマッチョ化するなど音楽性に多大な混乱をきた
いや、だから「インディ・ロック」というものはだね、そもそもは……えー、そもそもは……そもそもはあれですよ、あれ、……そう、「あれ」で通じるよね、いまとなっては。だからここでは自省を込めて、あらためて「インディ・ロック」というものがそもそもなんだったのかを振り返ってみたい。なにぶん私奴は「ポスト・パンク」から「インディ・ロック」の時代、70年代末から80年代なかばのUKの自主制作によるアンダーグラウンドな音楽にけっこう漬かってもいたので当時のことは憶えている。「インディ・ロック」とは、単純なところでは1980年代の英国のインディペンデント・レーベルに所属するギター・バンドのことを意味していたが、文脈というものがあったし、文脈こそが重要だった。そこには、固有の繊細さ、固有の美意識、そして希望を秘めた敗北感という興味深いパラドックスがあった。〈サン〉や〈モータウン〉をインディーズとは呼ばないよう
今年の正月は、例年にないほど惨めなモノだった。年末から身体のだるさは感じていたけれど、まあ、なんとかなるでしょ! と楽観的な姿勢を崩さずやり過ごす算段だった……のだが……元旦の昼過ぎから体調は悪化し、夜に熱を計れば38度。これはやばいと、翌日、開業中の病院を探し行ってはみたものの、待合室に入りきれない30人ほどの患者たちが野戦病院さながら道ばたでうずくまっているではないですか。なすすべなく2時間ほど待って診てもらい、その夜は39度まで上がった。 というわけで、じつを言うといまもまだ本調子にはほど遠いのです。咳は出るし身体はだるい。体調はいっこうに優れないのでありますが、編集部コバヤシからの情け容赦ないプレッシャーがこうして文字を綴らせている、というわけではありません。正月のあいだずっと寝ていたので、リハビリがてら書いてみようと思う。 音楽ファンにとってのここ数十年の年末年始の風物といえば、
UKジャズを牽引する1組、エズラ・コレクティヴのメンバーとしても知られるジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルはなんとストレートなダブ! そんな彼を以前から高く評価し、交流も重ねてきた沖野修也は、KYOTO JAZZ MASSIVEとして昨年デビュー30周年を迎えている。 これはもはやジャズではなくルーツ・レゲエそのものではないか──ジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルをチェックしたリスナーの多くはおそらく面食らったにちがいない。 大胆にアフロビートやラテン音楽などをとりいれる雑食的スタイルで10年代後半以降のUKジャズを牽引してきたグループのひと組、エズラ・コレクティヴ。その鍵盤奏者であり、ソロ・アーティストとしても確固たる地位を築きあげているのがジョー・アーモン・ジョーンズだ。UKらしいというか、おなじトゥモロウズ・ウォリアーズで学んだヌバイア・ガルシア同様、音楽的冒険を厭わ
髙橋勇人×セバスチャン・ブロイ×河南瑠莉 Conversation between Hayato Takahashi, Sebastian Breu, Ruri Kawanami Dec 30,2024 UP 12 まもなく彼が亡くなってから8度目の1月がやってくる。この間、ここ日本でもマーク・フィッシャーの紹介は進み、2024年はついにそのすべての単著が日本語で読めるようになった。音楽をはじめ映画やSF文学といったポピュラー・カルチャーから鋭い思想を紡いでいったイギリスの批評家──死後に刊行されたアンソロジー『K-PUNK』はその最後の単著にあたる。 文学や映画、TVドラマについての論考をまとめた『夢想のメソッド』、音楽や政治をめぐって舌鋒が振るわれる『自分の武器を選べ』、表題の未発表原稿だけでなく主著『資本主義リアリズム』の本人による平易な解説も収めた『アシッド・コミュニズム』──日本
拝啓 ゲンイチさん 挨拶は抜きにしよう。だいたい2024年になってまでも、貴兄と『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』(以下、『SAW Vol.2』)についてこうして手紙をしたためことになるとはね。我ながら30年前からまったく進歩がないとあきれるばかりだよ。もっとも『SAW Vol.2』が30年という年月に耐えた、いや、それどころか、むしろじょじょに光沢を増していったことに話は尽きるのかもしれないけれどね。まあ、とにかくだ、我ら老兵の役目としては、この作品がその当時、どのような背景から生まれ、そしてどのような意味があり、それがもたらした文化的恩恵について後世のためにも語ってみようじゃないか。 まず、ぼくとしては以下に『SAW Vol.2』についてのポイントとなる事項を挙げてみた。どうぞ確認してくれたまえ(そしてもし見落としがあれば追加を頼む)。 ■AFXのカタログのなかで
2024年のアメリカについて日本の方々に知ってもらいたいことがひとつあるとしたら、今回の選挙における選択肢に、私たち多くのアメリカ人が熱狂していたわけではなかったという点だ。 まず一方には、近年でもっとも忌み嫌われた政治家、ドナルド・J・トランプがいた。彼はかつて、2004年にスタートしたリアリティ番組『アプレンティス』(※参加者が「見習い」として働き、最後に採決される)において「お前はクビだ!」と叫ぶ役を演じ、それで一躍、アメリカで有名人になった、億万長者のペテン師である。2024年に早送りすると、後期資本主義の典型であるこの人物は、なぜか労働者階級からの支持を得て現状に至っている。支持層の多くは白人の地方住民——おそらくは私たちの社会では一括りにしても問題のない唯一のグループ、無学で人種差別的な「田舎者」たち——で、2024年の選挙ではラテン系や黒人層にも右傾化が顕著に見られた。結果、
イギリスで最大のジャズ・シーンがあるのはロンドンだが、それとまた異なるシーンを独自に育んできたのがマンチェスターで、その中心にいるのがマシュー・ハルソールである。トランペット奏者で作曲家、そしてバンド・リーダーでもある彼は、2008年のデビュー以来数々のアルバムをリリースしてきて、この度その足跡をまとめたベスト・アルバムの『Togetherness』がリリースされた。初来日公演を記念してリリースされた『Togetherness』は、本国イギリスはもちろんのこと日本国内でも高い評価を得た最新アルバム『An Ever Changing View』(2023年)から、初期名盤の『Colour Yes』(2009年)まで、自身が運営するレーベルの〈ゴンドワナ〉とともに歩んだ十数年のキャリアからマシュー本人が選んだ楽曲を収録する。 〈ゴンドワナ〉はマシュー以外に、彼が率いるゴンドワナ・オーケストラや
シビル・ウォー アメリカ最後の日 監督・脚本:アレックス・ガーランド 出演:キルスティン・ダンスト、ヴァグネル・モウラ、スティーヴン・ヘンダーソン、ケイリー・スピーニー 原題:CIVIL WAR 製作国:アメリカ・イギリス A24/2024年製作/109分/PG12/字幕翻訳:松浦美奈 配給:ハピネットファントム・スタジオ 公式HP:https://happinet-phantom.com/a24/civilwar/ ©2023 Miller Avenue Rights LLC; IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved. 10月4日(金)TOHOシネマズ日比谷 ほか全国公開 近未来のアメリカで内戦が勃発するという戦争ファンタジー。3年前に起きた国会議事堂襲撃は確かに内乱の予感を孕んでいた。議事堂を埋め尽くす人々を見上げるように撮ったショットも南北戦争の
『HAPPYEND』 新宿ピカデリー、 ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、絶賛上映中 監督・脚本:空 音央 撮影:ビル・キルスタイン 美術:安宅紀史 音楽:リア・オユヤン・ルスリ サウンドスーパーバイザー:野村みき プロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー アンソニー・チェン 製作・制作: ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile 配給:ビターズ・エンド 日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1 【PG12】 ⓒMusic Research Club LLC ファスビンダーはゴダール作品の多くに複雑な感情を抱いていたが、『女と男のいる舗道』だけは例外で、27回も観たそうだ。まあ、映画には音楽ほどの身軽さはないけれど、好きな映画はたしかに繰り返し観たくなる。空音央は、喩えるなら
別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」 世界の終わりとは何か? 表紙・巻頭『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』 浅野いにお(原作)インタヴュー 宇川直宏 宮台真司 小川公代 world's end girlfriend sasakure.UK 藤田直哉 野田努 飯田一史 北出栞 後藤護 福田安佐子 冬木糸一 藤井義允 伊藤潤一郎 小林拓音 松島広人 しま Flat 古くは『デビルマン』から『風の谷のナウシカ』、『AKIRA』、『新世紀エヴァンゲリオン』を経て、『進撃の巨人』、『君の名は。』、そして『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』まで、あるいはボーカロイドの奏でる「世界の終わり」的風景まで──なぜ日本のポップ・カルチャーはかくも「終末」を描いてきたのか。大衆文化の側から「世界の終わり」を、ひいて
田中 “hally” 治久(著) 2024/10/22 本体 2,400円+税 ISBN:978-4-910511-79-5 Amazon ゲーム音楽の歴史と本質を知るための最良の手引き 第一人者による積年の研究の集大成 いまわたしたちの目の前にあるゲーム音楽は、 なにがどうなった結果としてそこにあるのだろうか? 『コンピュータースペース』『ポン』『アメイジング・メイズ』 『スペースインベーダー』『ラリーX』『ゼビウス』 『ジャイラス』『デウス・エクス・マシーナ』 『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』 『ジーザス』『ファイナルファンタジー』『アクトレイザー』…… ゲーム音楽を「ゲームサウンド」という大きな枠組みのなかに 位置付け直すことで、その答えを探る。 これまでゲーム音楽の構造研究は主として産業史・技術史の観点からなされてきたが、その大半は「ゲーム音楽はこんなにも進歩してき
デヴィッド・グラブスとローレン・コナーズ。ともに現代の米国を代表するエクスペリメンタル・ミュージック・ギタリストだ。そのふたりの共演・共作アルバムが本作『Evening Air』である。リリースはアンビエント・アーティストのローレンス・イングリッシュが主宰するレーベル〈Room40〉から。 グラブスはかつてジム・オルークとのガスター・デル・ソルとしても知られている(思えばローレン・コナーズもジム・オルークの共演作がある)。ソロもコラボレーション・アルバムも多数リリースしている。いわば90年代以降の米国実験音楽における重要人物でもある。著作もあり、名著『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』(フィルムアート社)が翻訳されている。 グラブスとコナーズのデュオ作は約20年前の2003年に〈Häpna〉からリリースされた『Arborvitae』以来のこと(現在はブルックリンの
サウナ・ブームがいまだにある程度の盛り上がりを維持し続けているのは結構なことで、むしろ安易に乗っかったような人たちが、あのダウナーな魅力に取り憑かれて残り続けているのだろうと想像している。そうすればもはや敵視する対象ではない。情報の過剰摂取で脳が肥え太っている我々には、あのような嗜好品類に頼らないセラピーの一時が必要なのだ。 自分にとって銭湯やサウナなどの温浴施設に通うことは教会や告解室に向かう営みに近く、同年代の客層をほとんど見かけなかったブーム到来以前から十数年ほど続けている。とにかく落ち着きがなく衝動的で、不注意ゆえの失敗を幾度となく繰り返し、頭のなかは常にダンプ・データで埋め尽くされている自分を強制的に落ち着かせるためには、あらゆる情報をシャット・アウトして、裸になってゆっくり浴槽やサウナ室で過ごしたり、薄暗い休憩室でまどろんだりするほかに手がない。肩肘を張らずにメディテーティヴな
ナラ・シネフロのデビュー・アルバム『Space 1.8』がリリースされる前のことだ。インタヴューができるというので質問を送った。しかし、返ってきたのはインタヴューを受けられなくなったというレーベル側のコメントだった。オフィシャルなプロモーション取材が優先されたのだろうと理解したが、そこにはシネフロ本人のお詫びの言葉も添えられていた。丁寧な対応だと思った。その後に公開されたピッチフォークのインタヴューで、「アンビエント・ジャズ」や「ハープ奏者」というメディアの形容からシネフロが逃れようとする発言をしているのを知った。完全に制度化されたジャズの間違った売られ方、教えられ方への厳しい批判を口にして、本物のクラシックのハープ奏者が見たら発狂するような伝統を破る弾き方をしていることもクソ喰らえと言わんばかりに強気に語っていた。そうした発言は意外ではなく、当然の態度のように感じた。 シネフロの音楽は、
私たちは皆、「Free Soul」以後のパラダイムにいる。何を大げさなことを、と思うかも知れないが、こればかりは確実にそうなのだ。音楽を楽しむにあたって、そこに聞こえているグルーヴや、ハーモニーの色彩、耳(肌)触りを、その楽曲なり作り手であるアーティストの「思想」や「本質」に先んじる存在として、自分なりの星座盤とともに味わい、愛で、体を揺らすというありようは、現在では(どんなにエリート主義的なリスナーだとしても、あるいは、当然、どんなに「イージー」なリスナーだとしても)多くの音楽ファンが無意識的に共有するエートスとなっている。だからこそ、その革新性にかえって気付きづらいのだ。しかしながら、そうした音楽の楽しみ方というのは、元々は1990年代に少数のトレンドセッターたちによって試みられてきた、(こういってよければ)「ラジカル」な価値転換によって切り開かれてきたものなのである。その事実を忘れて
たとえば林檎を描くとする。赤い林檎をそのまま正面から描くか、ひと口かじったそれを描くか、あるいは緑の林檎にするか、それとも半分に割った林檎にするか、その描き方にはいろいろある。編集者というのは、「(ほかの描き方も複数あるが)今回はこの林檎でいこう」だ。35年前に松岡さんから聞かされたこの喩えが、いまでも頭にこびり付いている。流動性のなかにこそ編集の極意あり。存在の流動化、存在から存在学へ、ほうき星の存在学。編集者は、言うなれば仮面から仮面へ、惑星から惑星へ、そして灰から灰へと渡り歩くことができる。だが、真を追求するアカデミアの研究者はそうはいかない。だからこの発想には両義性がある。 編集者のテクニックのひとつに、コピーライティングがある。松岡さんは権威的な文体や難読漢字の多用を嫌い、メディアの武器であり資本主義の道具でもあるこの文章技術に入れ込んでいた。目次に凝るのが好きで、ときには雑誌の
発売1週間にして重版決定! ダブとは何か? それはどのように生まれ、いかにして広まり、拡張したのか? そのすべてを俯瞰する! ルーツからニューウェイヴ、ディスコ、テクノ、アンビエント、ベース・ミュージックまで 400枚以上の作品を紹介する、ダブ・ディスクガイドの決定版 監修・編集・執筆:河村祐介 執筆:野田努、三田格、鈴木孝弥、飯島直樹、猪股恭哉、草鹿立、大石始、宇都木景一、吉本秀純、Akie、八木皓平 featuring U‐ロイ、エイドリアン・シャーウッド、アンドリュー・ウェザオール、こだま和文、内田直之、1TA & Element、Sahara (Undefined)、Mars89 A5判オールカラー/224ページ 目次 イントロダクション Chapter 1 ROOTS ダブのルーツ サウンドシステムを巡るジャマイカ音楽史とダブの誕生譚 キング・タビーとはなにものなのか?(鈴木孝弥
オルタナティヴな夜の社交生活が東京でいちだんと活発化したのは、悪名高き1992年の夏を過ぎてから1〜2年後のことだった。アンダーグラウンド ・パーティの足場は築かれ、ナイトクラブ文化はドラスティックに変わろうとしていた。なによりも音楽、世代、着る服、踊り方、それ以外のすべても。踊るためにひとは集まり、朝が来て、明け方の、あのいい感じで汚れた渋谷の街を駅に向かって歩く足が軽かったのは、みんなまだ若かったからだ。20代後半のぼくがシーンのなかでは年上だったのだから、いかに若かったことか。 音楽の主役はテクノ/トランス。街の支配的なナイトクラブ文化も、ディスコの徒弟制も、ほとんどの音楽メディアもそのことをまだ知らなかった。まあ、これは一笑に付していただきたい話だが、ぼくたちはアニエスベーで気取った渋谷系とは違う惑星にいたわけだ。なにしろこちとら「808」と書いてあるTシャツだったりする。こりゃあ
去る7月25日夜明け前、DJ・プロデューサーの矢部直氏が心筋梗塞のためこの世を去った。周知のように彼は日本のクラブ・ジャズ・シーンを切り拓いたひとりで、その功績はとてつもなく大きい。また、彼は日本で暮らしながらも、その窮屈な制度や慣習に囚われないラディカルな自由人というか、まあとにかく、破天荒な男だった。世界の人間を、なんだかんだと社会のなかで労働しながら生きていける人と、アーティストとしてでなければ生きられない人とに大別するとしたら、彼は明白に後者に属する人だった。青山の〈Blue〉で、あるいは〈Gold〉や〈Yellow〉で、最初期の新宿リキッドルームで、めかし込んだ大勢の若者たちがジャズで踊っていた時代の立役者のひとり、90年代という狂おしいディケイドにおける主要人物のひとりだった。 ともに時代を生きてきたDJがいなくなるのは、とても悲しい。以下、矢部直氏とは違う立場で、日本のクラブ
ザック・ブライアンが2022年にリリースしたライヴ・アルバム『All My Homies Hate Ticketmaster(俺の地元仲間はみんなチケットマスターを嫌ってる)』は、ジョン・デンバーの“Take Me Home, Country Roads”のカヴァーから始まる。一音だけでアメリカの田舎の風景が浮かぶようなギターのイントロ、素朴なメロディ。それに応える割れんばかりの大合唱。田舎の道よ、故郷に連れて行ってくれ、帰るべき場所へと。ウェスト・ヴァージニアの母なる山。故郷へ連れて行ってくれ、田舎の道よ……。それは、そこに集まった人びとの心を繋ぎとめる歌として演奏される。アメリカの田舎町で、日々をどうにか暮らす人びとの歌として。続いてブライアン自身の楽曲“Open the Gate”が演奏されると、やはり大合唱が巻き起こる。 軍隊に入る伝統を持つ家庭のもとで1996年に沖縄で生まれオク
水谷:そろそろVGA(VINYL GOES AROUND)でコンピレーションでも作ろうという話になったのって去年(2023年)の秋くらいでしたね。 山崎:VGAはレアグルーヴのイメージが強いという事もあって、いろいろ案を出しあった結果、「アンビエント・ブームへのレアグルーヴからの回答」というコンセプトができて取りかからせて頂きました。 水谷:一概には言えないのですが直球の70年代ソウルが今の時代にフィットしないような感覚があり、また思った以上にスピリチュアル・ジャズが盛り上がっている背景もあったので、その辺にカテゴライズされているものを中心に静かな楽曲をアンビエント的な解釈でコンパイルするのは面白いかもねというのが当初の話でした。そもそもアンビエントの定義とは何なのでしょうか? 山崎:ブライアン・イーノが提唱した「環境に溶け込む、興味深くかつ無視できる音楽」というのが定説ですが、境界線は曖
レイヴ・リヴァイヴァル、ダンス・ミュージックの復権は止まらない。パンデミックによる自制、あるいは社会的抑制からの開放。サルートのアルバム『True Magic』はこの動きと重なる一枚であり、ひとりの音楽家が正面突破を図り境界を越えようとする試みである。彼のキャリアを簡単になぞると、ナイジェリアから移住した両親のもとにオーストリア・ウィーンで生を受け、18歳でUKのブライトンに移り住み、後に現在の拠点であるマンチェスターに移住。UKに移住した動機は兄やゲームをきっかけとしてダンス・ミュージックと出会い自ら制作をはじめたからという根っからのプロデューサー気質。UKに移ってからは、様々な人たちと出会いつつ、ダンス・ミュージック、クラブ・ミュージックのセンスに磨きをかけていった。いくつかのEPを発表した後に最初に大きく注目されることになったのが2018年~’19年にかけてリリースされたミックステー
70年代にJamやHEAVENといった雑誌をサポートしていた群雄社という出版社があり(84年に倒産。ニューアカで有名な冬樹社が表なら、こちらが仮に裏とでも思って下さい)、そこで出版部長を務めていたYさんから「ミチロウがテクノに興味を持っていて、彼のスタッフから連絡が行くと思う。電話があったら相談にのってあげてくれ」と言われたことがある。ラフィン・ノーズのYOSU-KOとPONがCOW COWというハウス・ユニットを始めた頃で、パンクからハウスへの変化は必然だったと彼らから聞いていたこともあり、ミチロウがテクノというのもありえない話でもないのかなとは思ったものの、結局、スタッフから電話がかかってくることはなく、次の年にはテクノどころか「遠藤ミチロウがギター一本で全国ツアー」みたいな告知文を目にすることとなった。ザがつかないスターリン解散直後のことで、ミチロウが次に何をやろうか迷っていたなかに
荒廃した都市の深淵から深く、そして重厚に響く強烈な音響。アンビエント、ドローン、ノイズ、ヴォイス、工業地帯の音、いわばインダストリアル・サウンド、そしてエコー。それらが渾然一体となって、崩壊する世界の序曲のようなディストピアなムードを醸し出している。このアルバムにおいて、ふたりの才能に溢れたアーティストが放つ音は渾然一体となり、さながら都市の黙示録とでもいうべき圧倒的な音世界が展開されていく……。 といささか煽り気味に書いてしまったが、このアルバムの聴き応えはそれほどのものであった。ザ・バグことケヴィン・リチャード・マーティン(KRM)と、〈Dagoretti〉、〈Editions Mego〉、〈Other Power〉などの先鋭レーベルからリリーするナイロビのアンビエント・アーティトのジョセフ・カマル(KMRU)によるコラボレーション・アルバム、KRM & KMRU『Disconnect
これを待っていた。コーネリアスによるアンビエントをフィーチャーした作品集である。昨今は日本のロック・ミュージシャンがアンビエントに挑むケースも見受けられるようになったけれど、もともと少なめの音数で特異かつ高度な音響を構築してきたコーネリアスだ。相性が悪かろうはずもなく、凡庸の罠にからめとられることもありえない。 布石はあった。ひとりの音楽家として大きな曲がり角を迎えたあとの、重要な1枚。影と光、そのいずれをも表現した復帰作『夢中夢 -Dream In Dream-』は、全体としては彼のルーツを再確認させるようなギター・サウンドに彩られていたわけだけれど、終盤には穏やかなインストゥルメンタル曲が配置されていたのだった。アルバム・タイトルと関連深い曲名を授けられ、アルバム中もっとも長い尺を与えられた “霧中夢”。それは、ここ10年くらいの欧米のアンビエント/ニューエイジの動きにたいする、コーネ
自分でも気付かぬうちに、スティーヴ・アルビニは私の人生を変えていた。彼の特定の作品との出会いによって啓示を受け、人生の中にそれ以前と以後という明確な境界線が引かれたということでは全くない。それよりも彼の影響は、私の育った音楽世界の土壌に染み込んでそれを肥沃にしたものであり、そうとは知らない私が無意識に歩き回った風景そのものだったのだ。ようやく獲得し得た視野と意識によって振り返ってみると、私が通ってきた世界のすべてに彼の手が及んでいたことを思い知らされる。 世代的なことも関係している。1962年生まれのアルビニは、ちょうど1980年代にジェネレーションXが成人し始めた頃の音楽シーンで地位を確立し、彼の音楽とアティチュードはその世代の心に響く多くの特徴を体現していたのだ。 彼の作品は挑戦的で、パンクが退屈さに怒りをぶつける方法をさらに推し進めたものだった。彼自身の初期のビッグ・ブラックやそれ以
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