58歳になった“キングカズ”こと三浦知良。「40年目のシーズン」突入で、いったい何を見せてくれるのか
JFLアトレチコ鈴鹿でプレーする三浦知良。2月26日に58歳の誕生日を迎え、プロ40年目を迎えようとしている“キング”は、いよいよプロ生活40年目を迎えようとしている。
還暦へはあと2年、白髪も混じりながら三回り以上歳下の選手たちと汗を流し続ける男にネット上では「往生際が悪い」などという心ない言葉も多く飛び交う。
一方で、「話題性や集客で盛り上げてくれている」というコメントもあることから、30年以上にわたりサッカー界に貢献しているのも紛れもない事実。
節目の40周年を迎える間に、これまでの主な足跡を抜粋しながら振り返ってみる。
静岡県出身の三浦は高校を8ヶ月で中退し、「ブラジルでプロのサッカー選手になりたい」と単身で渡る。その後下積み生活を経て頭角を表すと、86年にサントスFCとプロ契約を結び、ここからプロサッカー選手としてのキャリアがスタートした。
ブラジルでは90年までプレーし、日本へは同年7月に帰国。当時はまだW杯出場権を獲得できていなかった日本代表入りを視野に入れ、読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)に移籍し、今度は日本でのキャリアが始まった。
Jリーグ開幕元年にはヴェルディ川崎の中心選手として得点源として、日本人選手最多の20得点(リーグ3位)を挙げるなど年間総合優勝に導く。タイトルも初代MVPに加えて日本年間最優秀選手賞、さらにはアジア年間最優秀選手賞にも輝くなど、その地位を確立した。
翌94年は期限付き移籍でアジア人初のセリアAに挑戦し、1得点に終わるも今に続く海外挑戦のパイオニアとして確かな足跡を残す。
帰国後もヴェルディの中心選手として活躍を続け、96年にはキャリア初の得点王を獲得し、”キングカズ”の地位を不動のものにしていた。
しかし、30歳を迎えた97年ごろからパフォーマンスに徐々に陰りが見えてくる。怪我の影響もあり出場試合数は14試合、得点も4点にとどまった。
ヴェルディもJリーグ開幕当時からの勢いから衰え始め、さらに経営が縮小されていったこともあり98年限りで退団しクロアチアへと渡った。ここで三浦は得点を挙げることはできず、99年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)へ移籍し国内復帰を果たす。
2000年に17得点でリーグ3位にランクインし復活の兆しを見せるも、チームがJ2に降格したこともあり、“ゼロ円提示”を受ける。そのため21年からはヴィッセル神戸へと移籍した。同年は29試合で11得点と健在をアピールするも、この年が最後の2桁得点となる。
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ウォーミングアップを行うアトレチコ鈴鹿・三浦知良 ©産経新聞
Jリーグ初代MVP、アジア人初のセリエA進出も
「97年ごろ」からパフォーマンスに陰りが
神楽坂に拠点を置くフリーライター。2017年に通信系の企業でラグビーのサイトを手掛けた際に記事制作を行い、これをきっかけにライターとしての活動も開始する。以降地域メディアを担当しながらスポーツへも進出し、ラグビーのほかサッカーや野球にも執筆範囲を拡大している。趣味は筋トレと地域のデカ盛り店を回ること
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