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FIREって逆につらくないか|伊藤聡
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FIREって逆につらくないか

憧れてはいたものの

若いうちに成功して大金を得て、早々に引退して優雅に暮らす、「FIRE」なるライフスタイルが知られるようになって久しい。「Financial Independence, Retire Early」(経済的に自立し、早期にリタイアする)の略だそうで、SNSでも「FIRE準備中」「FIRE達成」などとプロフィール欄に書いている方をわりとよく見かける。私もそうした夢想に浸ることがあった。なにかのきっかけで大金を得て会社をやめ、遊んで暮らすのはどんな感じだろうか。さぞや楽しかろう。収入源はもちろん不労所得。株だか投資信託だかを山ほど買って、調子よくやるのだ。勝手に増えていくお金。自由な時間。ベリークール。それで毎日映画館へ行ったり、読みたい本をのんびり読んだりしながら、ストレスのない生活ができたらどれほど愉快な日々か、などとのんきに空想していたのである。

会社員の毎日はしんどい。冬の朝に起きるのは寒くてダルいし、働けばストレスがたまる。限られた人生の貴重な時間を、こんなつまらない作業に使っていいのかと不満が蓄積するばかりだ。ラクして生きたい。世界を旅してまわりたい。エジプトとか、フィンランドあたりに行きたい。FIREってネーミングもなんだか威勢がいいと思う。やっぱり大金を得て会社をやめ、日々ぶらぶらと好きなことをしてすごしたい。私はただ、家賃が払えなくなるのがイヤだから、水道を止められたくないから、しかたなく会社へ行っているのだ。会社で働くより、映画や本の感想をブログに書いていたい。しかし、FIREは言うほど楽しくないかもしれないと、最近ふと考えるようになったのである。

さみしい老人、さみ老

映画『敵』を見て気づいた

きっかけは、現在公開中の映画『敵』(2025)を見たことだった。主人公は、かつて大学教授だったが、いまは退職して隠居生活をしている77歳の男性。その名を渡辺(長塚京三)という、ひとり暮らしのインテリ学者だ。渡辺の生活はFIREとは異なるが、働かずにのんびり家で暮らす様子などは私の理想である。古い家だが、都内に一軒家を土地ごと持っているなんてうらやましい。ところが、渡辺の生活はどうにも楽しそうではないのだ。おかしいぞ、と思った。渡辺は規則正しく朝に起きて、こだわりの朝食をていねいに作って食べ、洗濯物を干す。このあたりまではいいのだが、昼少し前くらいにはやることがなくなったように見える。ここからがキツいのである。渡辺には、朝起きても行く場所がない。やるべき作業もない。つまり彼は世の中からあまり必要とされていないのである。ずっと家にいる。人と会わなくなる。働いていないのだから当たり前だ。

要するに無職とは、社会との接点がきわめて少なくなる状態なのだ。あっ、それ考えてなかった……と私は気づいた。社会との接点が少なくなると、買い物や飲食店、美容院やバーなど、お金を使うことでしか他人と関われないようになる。さいわい渡辺には友人もいるし、仏文学者としての地位はあるので、いまでも雑誌の連載やら講演の依頼なんかが入ってきて、社会から存在を求められることもなくはない。しかし、渡辺はあきらかに社会との接点が減ってきており、本人にとってもその状態が苦痛に見える。だからこそ、いきつけのバーでアルバイトしている大学生の菅井(河合優実)に入れあげて、足しげく通ったりするのだ。見ていて痛々しい。くはっ。20歳の大学生と会話がしたくて、バーに通う77歳。さみしすぎないか。その姿がキツくて泣いちゃうよ。社会との接点がないからこそ、自由な時間が逆に苦痛であったりもする。もし私が何億円ももらったとして、会社をやめたら、からっぽの時間を持て余したりはしないだろうか。絶対に持て余すと思う。

平山には仕事がある

働くことで生まれるリズム

『敵』とよく比較される、男性のひとり暮らし映画『PERFECT DAYS』(2023)の場合、主人公の平山(役所広司)にはトイレ清掃という仕事がある。そのため朝は決まった時間に起きて出かけなくてはならない。ここに両者の大きな違いがある。むろんトイレ清掃はたいへんな仕事だが、平山の生活が美しく見えたのは、彼には清掃の仕事があり、行くべき場所と、果たすべき役割と、共に働く同僚がいたからではなかったか。まずは仕事へ出かけ、あいまに公園で昼食をとり、清掃作業が終わってから銭湯で身を清め、飲み屋へ移動してリラックスする。この完成された平山ルーティンは、清掃の仕事なしでは成立しない。つまり、いかに薄給で苦労の多い清掃の仕事であっても、その役割を担うことによって社会との接点が生まれ、日々の生活のリズムが生まれるのである。その事実が、『PERFECT DAYS』に心地よい反復をもたらしている。ならば『敵』の渡辺も、自分はフランス文学の研究者でござい、みたいなプライドは捨てて、週に3回くらいマクドナルドとかでアルバイトしてみればよかったのではないか。それだけで、きっと日々の生活にはリズムが生まれるだろうし、社会との接点が生まれるに違いない。まわりの従業員と仲良くなったりしてさ。渡辺はまだ身体が動くのだし、生活にハリが出たかもしれない。

少なくとも私は、FIREを楽しめるような性格ではないと『敵』を見て思った。認めるのは本当に悔しいが、そうなのだ。死ぬまでただ遊んでいるだけの人生は、私という人間の性格では苦痛であるように思う。自分が何らかの社会的な集団に属している、そこで与えられる役割があって、苦労はありつつも日々その作業を行なっていくというのは、ある意味では救いなのかもしれない。どこかに属している、そしてなにより、朝起きて出かける場所があるというのは、思っていた以上に大きな心理的安定がある。これほど働くのがダルいと感じている私ですら、ただ遊ぶだけで生きていくことはできないのだなと、『敵』を見ながら実感させられた。このようにお伝えするのはたいへん悔しいが、働くことには救いがある。それほどに、私たちにとって「社会との接点が失われる」というのは、苦痛で孤独な経験なのかもしれない。

【私の本、読んでください】


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