
二宮さんと私の半生
初めて異性に「恋」をした20年前のことを昨日のことのように覚えています。
20年前、私が小学5年生だったときに「涙をふいて」という江口洋介さん主演のドラマに出演していたのが、当時17歳の二宮さんでした。子供でもないけれどまだ大人でもない綺麗な顔で繊細な高校生の役を演じていて、小学生ながらこれが「好き」なのかと自覚したのを覚えています。
それとほぼ同時に、共演者と付き合っているという噂話を聞きました。
忘れもしません。同級生だったヨウコちゃんに「ニノ、椎名法子と付き合ってるんだよ?そんなことも知らへんの〜?」と言われ、早くも「失恋」を経験しました。小学生の私には喪失感が抱えきれず、ニノを追いかけるのをやめました。今思うと可愛い乙女心の芽生えでした。
中学生になり、Stand Up!!という男子高校生4人が「夏の間に童貞を捨てるんだ!!」と一念発起をするちょっとエッチなコメディドラマを、親に隠れてこっそり毎週楽しみに見ていました。前回の失恋にこりてアニメオタクになっていた自分は、ガンダムが大好きだという設定のニノの演じるショウちゃんという役に気がつくとまた心酔してしまっていました(ニノの役の部屋に飾ってあるガンダムSEEDのポスター、偶然にも同じものを私も部屋に貼っていました。当時の私は「運命」だと信じて疑いませんでした)。
そんなある日、同じクラスだったジャニーズオタクのシマムラさんが「そんなに好きなら嵐のDVD貸すよ」と2003年夏のライブツアー「How's it going?」のDVDを貸してくれました。あれは2004年になったばかりの冬でした。
私はDVDが擦り切れるまで見ました。本当にかっこいい。ニノしかかっこよくない、他は大したことないと思っていたはずなのに、みんなキラキラしていて本当にかっこいい、会ってみたい…。
気がつくと私はアニメオタクに足を洗い、ジャニーズオタクとして全ての嵐、ジャニーズ出演番組を録画(当時は予約録画なんてなかったので深夜まで起きて録画ボタンを押す作業が発生します)をしていました。
その2004年の夏、初めてファンクラブ会員だったスエヒロ先輩に連れて行ってもらい、大阪城ホールのライブ「いざッ、NOW」に参戦しました。月2,000円のお小遣いの中学生には公式ペンライトなんて買えず、100均の折ったら光るペンライトを買って行きました。A4ブロック17番という、今引き当てたら卒倒するような良席でした。花道横で手を伸ばしたら届きそうなところにニノが来ます。「本当にニノって存在するんだ…」という実感にクラクラしました。でも、うちわというものを持っていなかったので良席にも関わらず、一切ファンサをもらえませんでした。この世界では「うちわ」が必須なのだと知りました。
関ジャニの横山くんのオリキ(注:追っかけに力が入った人)をしていた同級生のモリタさんにうちわの作り方を教えてもらい、難波のカラオケボックスで一生懸命「にの」というお手製うちわをこしらえました。武器を手に入れた私は、しっかり1回のツアーに10回ほどは参戦するような強火のオタクになっていきました。
高校生になり、私にも彼氏ができました。それでも相変わらずニノと嵐を一生懸命追いかけ続けていました。
この頃、私のニノへの愛はMAXまで振り切れ、日本中嵐に付いていき、嵐と一緒に一日3回公演を連日こなしたり(松潤の誕生日を3回祝ったのはいい思い出)、「こんなに好きなのに、なんでニノは私の存在すら知らないのだろう…」と思い悩み、リアルに枕を濡らしたりしていました。
当時のライブのソロ曲はライブ用のとってだしのもので、公式の音源がなく、一生懸命記憶を頼りに自分で歌ったものを携帯に入れたりしていました。記憶が薄れそうになったらそれを聞いてライブの記憶を呼び覚ますためにです。
それを当時の彼氏と親友が、私が席を離したすきに勝手に再生して腹を抱えて笑っていました。あのときの恥ずかしさで未だにストロングゼロロング缶2本くらいは飲める気がします。
結局、その彼氏には「俺と別れるかライブに行くのをやめるか選べ」と言われ、2秒で別れる方を選択しました。その直後に私の記憶用音源を笑っていた親友と付き合っていたことを知りました。ショックで学校にも行けなくなりました。高校3年生の春でした。
私は地方進学校の学生だったので、ショックとかいってる暇もなく受験勉強をしないといけません。ただ死ぬほど成績が悪く、170名の同級生のうち150位くらいを常にさまよう落ちこぼれ学生でした。
その年、嵐はLove so sweetを発売しやっと低迷期を抜け、ぐいぐいとファンを増やしていた時期でした。忘れもしない「Time~コトバのチカラ〜」の追加公演が発表され、それが嵐にとって初めてのドーム公演だったのです。「やっと…空席ばかりだった嵐がドームでコンサートができる…」という親心的な嬉しさもあり、行かないという選択肢はありませんでした。
といっても受験生なので、当然のように親から止められます。親を説得するために、校内順位を上げるからライブに行かせてくれ、と約束して死ぬほど勉強しました。結果的に170名中40位くらいを維持できるくらいに成績を上げ、ライブにも参戦し、その勢いで大学にも現役で入学することができました。これが原体験になったのか、私はいまだに「自分が本気出して出来ないことはない」と考えるようになりました。
未だにあの時代に嵐がいなかったら、自分は大学受かってなかったし、上京してなかったし、起業もしてなかったと思います。
社会人になって、国立競技場でのライブにかくかくしかじかでうん十万円使ったり、ハワイでライブすると言われたら一人でビジネスクラスで初海外に飛んだり、全ての給料を嵐に使いました。
2004年からすべてのツアーに参加し、全てのイベントを嵐と過ごしてきました。結婚式はハワイライブの会場で、結婚記念日も嵐のデビュー記念日です。私の人生の記憶はすべて嵐と紐付いています。
こんな形で初恋がある日突然終わるとは思ってませんでした。
本件には個人的に勝手に入れ込んできた身としてはいろいろ思うことがありますが、これが本当の「失恋」なのだろうと思います。
本当に長かった。本当にありがとうございました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。特段、得るものもなく時間の無駄のような駄文ではありましたが、明日以降、岩崎が美味しいランチを食べるためにカンパしてやってもいいよ、という方がいればご支援いただければ立ち直るのも少し早くなる気がします。