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五島列島キリシタン物語【前編】 地元新聞社が発行している生活情報誌ライターの旅日記をお届け。

五島列島おもてなし協議会「五島列島キリシタン物語」周遊編・前編

五島列島キリシタン物語(周遊編)とは、長崎県・五島列島(五島市・新上五島町・小値賀町)の潜伏キリシタン関連遺産を巡る2泊3日の旅。

ポイントは3つ。①世界遺産の集落・教会を巡る②個人では考えられない料金&コース設定。➂地元を熟知した観光ガイドがご案内。九州の最西端の島々を巡る旅行プランである。

2018年、長崎県と熊本県に残る12の構成関連資産が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された。禁教の時代、潜伏キリシタンたちは時に仏教や神道の信者にカモフラージュし、時に人が寄り付かない過酷な土地に移り住み、2世紀以上に及ぶ迫害に耐えて信仰を守った。この特異な歴史と営みに普遍的な価値があると評価されたのだ。彼らの粘り強さや信仰心は一体どこからくるのだろうか。想いを巡らせていた折に、12のうち4つの構成資産の集落を有する五島列島を縦断し、世界文化遺産を回るツアー(五島列島キリシタン物語)が開催されていると耳にした。この遺産を理解するチャンスである。参加しない手はない。前編、後編に分けてリポートを届けたい。

〈1日目〉野崎島の集落跡で潜伏キリシタンの足跡を探す

下五島から小値賀町へ

福江港(五島市)からフェリーで小値賀島に渡ったところから旅は始まる。小値賀町はかつて捕鯨で栄えた漁師町。ピーク時には1万人以上の島民がいたという。現在は2,100人ほどがのどかに暮している。

昼時なので島の伝統的古民家をリノベーションしたカフェ「KONNE Lunch &Cafe(※1)」で食事をいただく。その日の朝に獲れた鮮度抜群の魚に島産の野菜、米を使った刺身定食。一つ一つの食材が驚くほどおいしい。

刺身の他にもおかずがたっぷり。チキン南蛮やピザといったカフェメニューも人気
刺身の他にもおかずがたっぷり。チキン南蛮やピザといったカフェメニューも人気

神道の聖地へ移り住んだ潜伏キリシタン

町営の船に乗り込みいざ、構成資産の一つ野崎島へ。南北に約6.5km、東西に約2kmのこの島は元々神道の聖地とされ、沖ノ神嶋神社の氏子が暮らす野崎集落が形成されていた。港に到着する前に、「この世ならざる何者か」が築いたのではと思わせるような巨石「王位石(おえいし)」が目に入る。一度見れば、その迫力と神秘の佇まいに、野崎島が「聖地」と呼ばれる所以がわかるだろう。この「聖地」に外海(長崎市)から潜伏キリシタンたちが入植し、氏子を装いながら野首、舟森の集落を形成したというのだから、彼らの大胆さと行動力に驚かされるばかりだ。

野崎島ビジターセンターで入島の際の注意点、島の歴史などをガイドの方に教えてもらい、かつて野崎集落があった場所へと向かう。

家屋だった建物はただの廃材の山となり、周囲に転がるたくさんの空き瓶だけが輝きを放つ。屋根だった場所に蔦が覆う。

廃墟となった建物
ピーク時には野崎島全体で650人ほどが暮らしていたというが、高度経済成長期の集団移住などで人口は減り、2001年に最後の住民が島を離れた
時折、痩せた鹿と出くわす。こちらの様子をじっと伺っている
時折、痩せた鹿と出くわす。こちらの様子をじっと伺っている

野崎集落を抜けると、通称「サバンナ」と呼ばれる荒涼とした大地が広がっていた。

硬い岩盤で出来たこの島の樹木は、深く根を張れず、幹は細い。驚くほどの急斜面に残る段々畑や集落の跡。高所では強風が吹きすさぶ。かつての潜伏キリシタンたちの暮らしの厳しさを想わずにはいられない。

野崎島の展望台近く。アイルランドの荒野のようでもある
野崎島の展望台近く。アイルランドの荒野のようでもある

禁教の世が明けると、舟森、野首の集落の住人はそれぞれに教会をつくったという。舟森集落にあった教会は他所に移築されたが、旧野首教会(令和6年12月訪問時点では、改修中のため、見学不可)は今も、誰もいない集落で海の方向を眺めながらポツリと佇む。あまりにも美しいビーチや夕景を眺めながら島を後にし、小値賀島へ戻る。

島の歴史を感じ、恵みをいただく

夕食は「古民家レストラン敬承藤松(※2)」へ。元々は捕鯨・酒造りで財を成した藤松氏の居宅だったところで、改修して和食店へと蘇らせている。「小値賀は自然豊かな島だから食材も極力手を加えません。できるだけ自然に近い形で提供します」と料理長の遠山善徳さん。

刺身で使用する魚は旬の天然物だけ。この日はアカハタやヒラスなど(写真の刺身は3人前)(古民家レストラン敬承藤松はツアーに含まれない)
刺身で使用する魚は旬の天然物だけ。この日はアカハタやヒラスなど(写真の刺身は3人前)(古民家レストラン敬承藤松はツアーに含まれない)
食材の仕入れは、大阪や和歌山などの有名店で修行した料理長・遠山善徳さんが自ら行っている
食材の仕入れは、大阪や和歌山などの有名店で修行した料理長・遠山善徳さんが自ら行っている

小値賀には様々な宿があるが、今回は「島宿 御縁(※3)」で。清潔感のある部屋とふかふかの布団で旅の疲れをゆっくりと癒すことができる。

「島宿 御縁」では、旅館タイプ(写真)、ドミトリータイプ、一棟貸タイプと様々な客室を用意(宿泊はツアーの料金には含まれない)
「島宿 御縁」では、旅館タイプ(写真)、ドミトリータイプ、一棟貸タイプと様々な客室を用意(宿泊はツアーの料金には含まれない)
食事会場は天井が高く、開放的な空間
食事会場は天井が高く、開放的な空間

〈2日目〉命も信仰も守り切った頭ヶ島集落の信徒たち

懐かしさを感じる笛吹の町並み

朝食を済ませ、漁港の朝の景色を楽しみながら、笛吹地区を散策。古き良き漁師町の風情が漂う町並みは、ノスタルジックで、どこか温かい。

江戸期に栄えた小田家の屋敷を改装して造られた小値賀町歴史民俗資料館(※4)では、小値賀の歴史とともに当時の生活がわかるような資料を多数展示。「これは何に使われていたのだろう」と想像しながら見学するのは楽しい時間だ。

自由に見学可能な無料休憩施設の商家尼忠東店
笛吹集落は国の重要文化的景観に選定されている(写真は自由に見学可能な無料休憩施設の商家尼忠東店)
小値賀町歴史民俗資料館の日本庭園
小値賀町歴史民俗資料館の日本庭園

いよいよ教会物語へ足を踏み入れる

小値賀港から津和崎港(新上五島町)へ海上タクシーで移動。ガイドの方と合流し、仲知教会、江袋教会へ。

仲知教会は1978年に三代目の教会として建立。聖書の場面を描いた美しいステンドグラスが見事で、その中には地元出身の神父や仲知の漁師たちが描かれているのが大変興味深い。江袋教会は和洋の雰囲気が融合した愛らしい木造教会である。

「上五島ふるさとガイドの会」の上原照子さんが朗らかに出迎えてくれた
「上五島ふるさとガイドの会」の上原照子さんが朗らかに出迎えてくれた
仲知教会は上五島の北部の拠点の一つとなっている、大きな教会
仲知教会は上五島の北部の拠点の一つとなっている、大きな教会だ

幻のうどん!?五島うどんとは?

昼食は「幻のうどん」ともいわれる「五島うどん」をいただく。長崎県外ではあまり知られていないが、五島うどんは讃岐うどん(香川)、稲庭うどん(秋田)と並んで日本三大うどんの一つに数えられることもある(諸説ある)。遣唐使たちが中国からその原型を伝えたのでは、という説が支持されている。

上五島で一番古い製麺所である1919年創業の太田製麺所(※周遊編コースでは、訪問不可)の代表・太田充昭さんは、「うどんは讃岐うどんに代表される『手打ち』と、稲庭うどんにみられる『手延べ』がありますが、五島うどんは後者。麺を棒に掛けてのばしていく際、捻りを加えてグルテンの構造を強くするのが特徴です。この作業によってうどんにコシが出るのです」と教えてくれた。また、前記工程の前に、麺を紐状にのばしてタライに貯めていくが、その際にタライと麺がくっつかないように五島特産の椿油をつけ、まわりをオイルコーティングするのも珍しい。この一手間があることで、麺を茹でる時にもあまり水を吸わず、煮崩れせずに美味しく食べられる麺になる。

五島うどんはひねりが加えられているのが特徴の一つ
五島うどんはひねりが加えられているのが特徴の一つ
時間をかけてうどんをのばしていく作業を実演してくれる太田充昭さん
時間をかけてうどんをのばしていく作業を実演してくれる太田充昭さん

昼食会場となるのは「五島うどんの里」内の食事処「遊麺三昧(※5)」。鉄鍋でグツグツと茹で戻し、アゴ出汁や生卵、薬味などと共にいただく名物「地獄炊き」を。ツルツルした食感が楽しく、喉越しも良い。出汁との相性も抜群だ。

「遊麺三昧」の地獄炊き定食。すり身揚げやご飯も付いている
「遊麺三昧」の地獄炊き定食。すり身揚げやご飯も付いている
五島うどんが気に入ったら、隣接する土産処「新上五島町観光物産センター」で購入できる
五島うどんが気に入ったら、隣接する土産処「新上五島町観光物産センター」で購入できる

関連遺産の一つ、頭ヶ島集落で秀麗な教会と出合う

これから向かうのは頭ヶ島集落。1858年に仏教徒の前田儀太夫が開拓したことで始まった集落で、病人の療養地として使われていた。人が近づかないことに着目した外海の潜伏キリシタンたちはこの島に移住し、仏教徒を装いつつ共同体を維持していたという。1867年にはキリスト教の中心的指導者だったドミンゴ森松次郎が頭ヶ島に移った。迫害により多くの犠牲者が出た地区もあったが、上五島では殉教者がほぼいないとされている。それは彼らが神道、仏教の地域住民たちとコミュニケーションをとりながら生活し、うまく信仰を隠し通せていたこと、また、ドミンゴ森松次郎が「棄教したように見せかけてでも、とにかく命を大切に守るように」と信徒らに伝えていたからだといわれる。

解禁後に頭ヶ島集落の潜伏キリシタンはカトリックに復帰し、教会堂を建てた。現在この地にある頭ヶ島天主堂は2代目で、設計、施工は「日本の教会建築の父」と呼ばれる鉄川与助。建築費を抑えるため、レンガの代わりにこの島を含む周辺の島から切り出された砂岩が使われている。

1つ1つの石材は大きく、手作業で切り出し、運搬するだけでも大変な労力だっただろう。着工は1910年だが、完成までにおよそ10年がかかったといわれる。

内部は外観の重圧さとは異なり、パステルカラーでロマネスク調の装飾が愛らしい。さまざまな花のモチーフが天井を彩る。

頭ヶ島天主堂
頭ヶ島天主堂では今も定期的にミサが行われている
頭ヶ島天主堂の内部は船底のような折上天井
頭ヶ島天主堂の内部は船底のような折上天井。柱を一本も使わずに広さを出した鉄川与助の独自の工夫が素晴らしい
頭ヶ島天主堂のそばにあるキリシタン墓地
頭ヶ島天主堂のそばにあるキリシタン墓地。現在の信徒はわずか6軒だが、墓全体を大切に守り、美しく保っている

可憐な旧鯛ノ浦教会を訪ねる

続いて旧鯛ノ浦教会にも足を運んだ。敷地内にはルルドや、この地で布教に尽くした人々の像が。1949年に鐘楼部分が増築されているが、原爆で崩壊した浦上天主堂(長崎市)の被爆レンガが一部使用されているという。内部は三廊式で、見事なリブ・ヴォールト天井だ。

信徒たちの労働奉仕で作られたルルド
信徒たちの労働奉仕で作られたルルド。地元出身の彫刻家が制作したマリア像が飾られている
旧鯛ノ浦教会
旧鯛ノ浦教会も独立前の鉄川与助が建築に携わっているという
旧鯛ノ浦教会内部
現在は地域の子どもたちの学習スペースや資料館として活用されている

この日の帰りに「矢堅目の駅(※6)」に立ち寄る。近海の海水を薪で二度窯だきし、力強く、甘みがある塩を製造、販売している。その他の上五島の特産品も幅広く取り揃え、土産物を探すのに便利だ。

塩を煮詰める釜
4トンほどの海水を2週間煮詰め、約40キロの塩が作られるという
矢堅目の塩
料理の味を引き立ててくれる、矢堅目の塩 250g 594円、矢堅目の藻塩 200g 864円

夕食は地元の人が太鼓判を押す「寄り処 満(※7)(ツアー外)」で。鮮度の高い刺身はもちろん、郷土料理やオーソドックスな居酒屋メニューまで種類豊富なメニューに目移りしてしまう。

連日多くの地元客で賑わう店
連日多くの地元客で賑わう店
居酒屋で出された料理
右から時計回りに、ハコフグの味噌焼き(かっとっぽ)1,200円、
魚の煮付け780円〜、野菜サラダ600円、鯨串カツ550円

宿泊はホテルマリンピア(※8)。使い勝手の良いビジネスホテルで、朝食が3種類から選べるのも嬉しい。「蛤浜」という美しいビーチも徒歩圏内なので、ぜひ朝の散歩を楽しんでほしい。

ホテルのフロント
鯛ノ浦港や有川港、周辺の飲食店への送迎サービスがあるのも嬉しい
シングルルーム
シングルルームの他、ツインルーム、和室などバリエーション豊か
(宿泊はツアー外)

五島列島おもてなし協議会

〒853-8502 長崎県五島市福江町7-1
(五島振興局内)

電話:0959-72-8401  FAX:0959-74-1822









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