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数学する身体 単行本 – 2015/10/19
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思考の道具として身体から生まれた数学。
身体を離れ、高度な抽象化の果てにある可能性とは?
音楽や美術のように、数学も表現の行為だ。
数学を通して「人間」に迫る、
30歳、若き異能の躍動するデビュー作!
思考の道具として身体から生まれた数学。
ものを数える手足の指、記号や計算……
道具の変遷は数学者の行為を変え、
記号化の徹底は抽象化を究めていく。
コンピュータや人工知能の誕生で、
人間の思考は変貌を遂げるのか?
論考はチューリング、岡潔を経て生成していく。
身体を離れ、高度な抽象化の果てにある、
新たな可能性を探る。
第一章 数学する身体
人工物としての〝数〟
道具の生態系
形や大きさ
よく見る
手許にあるものを掴みとる
脳から漏れ出す
行為としての数学
数学の中に住まう
天命を反転する
第二章 計算する機械
I 証明の原風景
証明を支える「認識の道具」
対話としての証明
II 記号の発見
アルジャブル
記号化する代数
普遍性の希求
「無限」の世界へ
「意味」を超える
「基礎」の不安
「数学」を数学する
III 計算する機械
心と機械
計算する数
暗号解読
計算する機械の誕生
「人工知能」へ
イミテーション・ゲーム
解ける問題と解けない問題
第三章 風景の始原
紀見峠へ
数学者、岡潔
少年と蝶
風景の始原
魔術化された世界
不都合な脳
脳の外へ
「わかる」ということ
第四章 零の場所
パリでの日々
精神の系図
峻険なる山岳地帯
出離の道
零の場所
「情」と「情緒」
晩年の夢
情緒の彩り
終章 生成する風景
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2015/10/19
- 寸法13.8 x 2.2 x 19.8 cm
- ISBN-104103396512
- ISBN-13978-4103396512
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商品の説明
著者について
1985年、東京都生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。
現在は京都に拠点を構え、在野で研究活動を続ける傍ら、全国各地で「数学の演奏会」や
「大人のための数学講座」など、ライブ活動を行っている。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2015/10/19)
- 発売日 : 2015/10/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 208ページ
- ISBN-10 : 4103396512
- ISBN-13 : 978-4103396512
- 寸法 : 13.8 x 2.2 x 19.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 100,777位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
お客様のご意見
お客様はこの本について、以下のような評価をしています: 数学の理解が深まり、人間賛歌としての数学の物語として捉えられています。読みやすさも高く評価されており、面白く読めたという声が多くあります。森田さんの文章は物凄く読みやすく、難しい単語も無理なくスッと入ってくると好評です。また、著者の講演や講演内容についても、この分野では格段に面白いと感じているようです。 一方で、論点の拡散や論点が拡散しているような気もするようです。
お客様の投稿に基づきAIで生成されたものです。カスタマーレビューは、お客様自身による感想や意見であり、Amazon.co.jpの見解を示すものではありません。
お客様はこの書籍について、数学を肌感覚で理解できると評価しています。人間賛歌としての数学の物語として、数学に対する意識が変わり、数学に対する関心が高まったという声があります。また、数学史と絡めたエッセーとしての面白さもあり、数学に対する意識が変わったという意見もあります。
"冒頭から数学の詩的根源性に誘われ、新しい発見の喜びがありました! 以下↓独創的な本文から、ほんの少し。 <はじめに> 人はみな、とうの昔に始まってしまった世界に、ある日突然生まれ落ちる。..." もっと読む
"...ようになる、だの、数字や数学の行き着いたところにはアンヒューマンなレトリックばかりの昨今、本書はほとんど心温まるといっていいほどの、人間賛歌としての数学の物語である。この本を読むと小学校からプログラミングを必修科目にしろとかいう話がいかに無意味なものであるかがよくわかる。..." もっと読む
"...身体感覚として数学を味わう。 また抽象化する数学の思考を情緒的に味わってきた過程を描く。 それらの要素が複合的に散りばめられ、結晶化した作品。 数学に対する向き合い方、そして人類が数学をどのように捉えてきたか、いかにして数学を文化にまで昇華させたか。..." もっと読む
"この本は、数学という概念的で抽象的なものを、身体という実質的で具体的なものに落とし込むことに成功している。その結果、数学を肌感覚で理解することができるようになり、数学のことが好きになる。そんな本だった。" もっと読む
お客様はこの本の読みやすさを高く評価しています。面白く読める内容で、素人にも成程と解る内容だと感じています。また、森田さんの文章が物凄く読みやすく、難しい単語も無理なくスッと入ってくると好評です。一方で、長くなるため終わりにする意見もあります。
"...面白く読みましたが、物足りなくもありました。 例えば第1章で紹介している人工進化の話は面白い(p32)。..." もっと読む
"...数学史も実に良く咀嚼されていて、素人にも成程と解る内容であるが長くなるので終わりにするが、興味ある方は手に取られたい。十分、満足されるものと思う。 過去なしに存在する人はいないが、過去なしに存在する文化もない。 岡の世界的業績も日本文化なしには存在しなかった。" もっと読む
"刺激的な読書体験であった。関係性の中で数学が生まれたことに何気なく暮らしているだけでは気づけない。数学的アプローチが心の動きにさえ無関係ではないことを知った。 新しい何かを生み出す人は、読むべき!" もっと読む
"遅ればせながら読みました。相当面白かった!! 抽象概念というイメージが先行する数学が、身体の構造や感覚と密接に関連したところから発生したところは、まさに「数学する身体」..." もっと読む
お客様はこのエッセーについて、以下の点を高く評価しています。数学史と絡めたエッセーとしての面白さがあり、余韻を愉しめると好評です。また、著者の講演がこの分野では格段に面白いと感じています。クラスターはコンペイトウのような甘くざらりとした舌触りで、余韻を愉しめるという意見もあります。
"...主題はやはり難解である。 数学史と絡めたエッセーとしての面白さは十分。ただし、論点は拡散しているような気もする。" もっと読む
"冒頭から数学の詩的根源性に誘われ、新しい発見の喜びがありました! 以下↓独創的な本文から、ほんの少し。 <はじめに> 人はみな、とうの昔に始まってしまった世界に、ある日突然生まれ落ちる。..." もっと読む
"...それら一つ一つのクラスターはコンペイトウのように甘く、ざらりとした舌触り、余韻を愉しめる。 まさに身体を通してきた著者の数学観が読み取れる。 天才数学者、岡潔の書物との出会い。 武術家、甲野善紀氏との出会い。..." もっと読む
"著者の講演は、この分野では格段に面白いと思います。 残念ですが、その面白さが、本を書くということとは比例していない感じです。 売るための文章を、まだあまり書き慣れてないせいか、自分の商売用の文体がない! この辺りは、編集者の責任でもあるかと・・・。..." もっと読む
お客様はこの本の構成力を高く評価しています。テンポの良い構成力で、数学を身近なものに紹介できる稀有な人だと感じています。思想書や哲学書としても読める点も好評です。一方で、スタンス負けした内容であることも指摘されています。
"...不思議な本である。思想書・哲学書でもあり、エッセイでもある。数学のことを 書いているが数学書でないことは確かだ。あとがきで著者も書いている。 ・・季節を奏でる虫の音色。パリッと乾いた洗濯を照らす夏の陽光。庭の紫陽花。 夜空を照らす月の表情・・。..." もっと読む
"...これは著者の個人的な経験と深い思考からもたらされたのでは?という印象を抱きつつ 明解かつテンポの良い構成力で、数学を身近なものに紹介できる、稀有な人だと感じました。 面白い一冊でした。" もっと読む
"スタンス負けした内容。それでもそのスタンスは好き..." もっと読む
上位レビュー、対象国: 日本
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- 2024年9月1日に日本でレビュー済みAmazonで購入勧められて購入。 数学の生い立ちが、人の認知力と密接に関わっている事が、分かる本です。 数学を受験目的としてでなく、人の好奇心や認知力の拡張の為の手段として見れる本。
- 2015年11月23日に日本でレビュー済みAmazonで購入面白く読みましたが、物足りなくもありました。
例えば第1章で紹介している人工進化の話は面白い(p32)。進化電子工学なるものによって作り出されたチップの話で、似たような例はダニエル・ヒリスの『思考する機械コンピュータ』で取り上げられていて、私もその本についてのここでのレビューでも触れたし、最近では松尾豊の『人工知能は人間を超えるか』へのレビューでも改めて紹介した。
でもこの著者は、話として紹介するだけで、あまり踏み込まないんですよね。それだったら私がここのレビューで触れたのと大差ないわけで、もう少し詳しく分析してほしかった。
また人工進化の話とも実は繋がるんだけど、著者はチューリングについて語りながら「間違う可能性」こそが「既存の機械と人の心を分かつ重大な能力」だと述べていて(p184)、私もそこは大賛成で、やはり上に触れた松尾豊の本へのレビューで似たようなことを書いたんだけど(全然賛成票が入らないw)、その話も大して深められずに放置されている印象がある。
機械に「学習」させるというアプローチはコネクショニズム系の人工知能の問題だと思うし、「間違う可能性」とヒューリスティックは表裏なんだけど、そういう切り込み方も皆無。
あるいは、この著者は、「無限」についてどう考えているんだろう。つまり、実無限を認めるのかどうかって問題で、数学と身体性を結びつける立論からすると、一言あっていいんじゃないか?
立場としてはどちらもありだと思うけど、その選択によって数学体系は大きく異なってくるはずで、その辺りも考えを聞きたかった。
あと、岡潔を持ち上げるのはいいんですが、話はほとんど「悟り」みたいな、論証不可能なところに踏み込んでしまい、「分かるヤツには分かる。分らないヤツには分からない」って話になっているんじゃないでしょうか?
著者は孤立した「脳」が全てを計算して決定するみたいな立場を批判して身体性や環世界を導入するんですけど、岡を論じている件りなんかを読んでいると、確かに環世界との身体的な交感は描かれているけれど、他我ってものが登場する余地を感じられないんですよね。社会性っていうか。そこは著者が批判気味に触れる西欧近代主義の方が視界に収めている気もする。
ま、最初に言ったように面白くなかったわけじゃないし、私が自分の関心で無いものねだりしている面もあると思うので、この辺にします。
今後に期待します、って感じかな。
- 2016年8月6日に日本でレビュー済みAmazonで購入十進法が10本の手指に対応して世界基準になったように、人類は身体を基盤にして数学を発展させてきた。
数学は身体の一部でもあり、身体感覚として数学を感じることこそが、数学の真の理解と言えるかもしれない。
やがて数学は、軽々と身体の制約を突き破り、高度な抽象化を果たしていくわけだが、
そうなると私と数学の間に何か関連性を見出すのはかなり困難になる。
数学は、理解されるべき抽象的な外的対象ではなく、具体的な内的対象としてとらえることが可能と著者は説くのか?
主題はやはり難解である。
数学史と絡めたエッセーとしての面白さは十分。ただし、論点は拡散しているような気もする。
- 2021年8月21日に日本でレビュー済みAmazonで購入冒頭から数学の詩的根源性に誘われ、新しい発見の喜びがありました!
以下↓独創的な本文から、ほんの少し。
<はじめに>
人はみな、とうの昔に始まってしまった世界に、ある日突然生まれ落ちる。
自分が果たして「はじまり」からどれほど離れた場所にいるのか、それを推し量ることすらできない。
そんな人間が、1から数を数える。
・・・
これは、数学に再び、身体の伊吹を取り戻そうとする試みである。
全編を読み通すために、数学的な予備知識は必要ない。
数学とは何か、数学にとって身体とは何かを、ゼロから考え直していく旅である。
・・・
目次
第一章 数学する身体
・・・
数学者というと、夢中になって記号や数式を書いているイメージが湧くかもしれないが、
古代の数学者を想像するときは、その印象を改める必要がある。
彼らは書くというよりも描き、語る人々である。
そもそも古代ギリシャには、記号もなければ数式もない。
その思考を支えるテクノロジーは、わずかに「図」と「自然言語」だけである。・・・・
そうした道具を駆使しながら「証明」という、新しい数学的行為の形式を生み出していった。
<対話としての証明>
・・・ギリシャの数学者の思考の大部分は、数学者の外の空間に「露出」している。
それは他者に開かれ、ある種の公共性を帯びた思考である。科学史家の下村寅太郎はその代表作
『科学史の哲学』の中で次のように述べている。
ギリシャ人においては思惟は単なる意識における内的思惟ではない。
積極的に言えば、独立なる個人を前提し、公的に対する私的な思惟をゆるす立場ではない。
内心における思惟でなく、外的表出において成立する思惟である。常に言葉を持つ思惟である。
さらに具体的に言えば、単独孤独において行われる思惟ではなく、共同的対話的な思惟である。
かくの如き思惟あるいは思惟法が、証明的、論証的形態をとるのは自然であり、当然であろう。
けだし「証明」は本来個人が単独に私的に独断的に思惟することでなく、公開的に示し、
公共的な承認を要求することにほかならぬ。
ここで指摘されている通り「証明」は、 そもそも他者の存在を前提としている。
第二章 計算する機械
第三章 風景の始原
第四章 零の場所
終章 生成する風景
・・・
動かぬ芯としての心、変わらぬ中心としての数学などというものは幻想である。
心は変容し続けるものであり、数学もまた動き続けるものだからだ。
肝心なのは動かぬ中心ではなくて、絶えず動き続ける生成の過程そのものである。
だからこそ、
心を知るためにはまず心に「なる」こと、数学を知るためにはまず数学「する」こと。
そこから始めるしかないのである。
数学と数学する身体とは、これからも互いに互いを編みながら、
私たちの知らない新たな風景を、生み出し続けることになるだろう。
「証明」は、そもそも他者の存在を前提としている・・・、ああ、やっぱり!
「夫れ心は独り生ぜず、必ず縁に託して起こる。竜樹」
数学には、原初の物語の「証明」を追求する喜びが宿っているのではないか、
そんな文学的イメージが広がって、数学者の数学する態度に心(情緒)洗われました。
現代社会にあっては津田一郎先生のように、カオスの「証明」にもチャレンジしていただきたいですが、
そもそも文系にしろ、あえて数学を用いていると言わなくたって、
簡単な数理的思考、経験に基づく数理的能力を絶えず働かせ、新たな"風景"と向き合っているわけです。
通俗的ながら『吾輩は子猫である・総集編/友情と物語で解く複雑系の科学』みたいに・・。
- 2016年10月27日に日本でレビュー済みAmazonで購入不思議な本である。思想書・哲学書でもあり、エッセイでもある。数学のことを
書いているが数学書でないことは確かだ。あとがきで著者も書いている。
・・季節を奏でる虫の音色。パリッと乾いた洗濯を照らす夏の陽光。庭の紫陽花。
夜空を照らす月の表情・・。好きな小説。雨の音。椿の蜜を吸うメジロと、
家の壁を這うヤモリ・・。このどれが欠けてもこの本は、形にならなかった
だろうと思う。・・
そうか、これは詩なんだ。数学と「数学する身体」とがからまりあって互いに互いを
編みながらさまざまな風景を生み出していく様子を描いた長編叙事詩なのか。
数学の歴史をひもときながら、思考の道具としての数学と、それを利用する
人間たち(=数学する身体)がお互いにどんな影響を与えながら発展してきたかを
「数学にとって身体とは何か」という独自の視点でわかりやすく解説する。
この発想は革新的で面白い。そして森田氏の思索の旅はふたりの人物にいきつく。
アラン・チューリング(1912-1954)
岡潔 (1901-1978)
ふたりとも数学を通じて「こころ」を解明しようとしたという。チューリングは
機械で「こころ」を作ろうとし、岡潔は「こころ」になろう(同化しよう)とした。
通常、数学者は数学という対象を客観化するが、岡潔は数学を身体にとりこんで
逆に数学を通じて自己とはなにかを探求した。彼の思想が現代では忘れられて
しまっていることを著者は残念に思っている。
この本をよんで私はもう一度岡潔の業績を勉強したくなった。
著者は数学の「独立研究者」というおもしろい肩書である。数学を象牙の塔に
棲息する一部の数学者から解き放って大勢の一般人にも興味がもてるようなものに
して欲しい。私は数学はものごとを論理的に理解するための単なる「道具」に
すぎないと思っていたが、数学を身体のなかにとりこみ融合することで、
人間とはなにか、自己とはなにか、こころとはなにかという哲学的課題にまで
思索を高めることができる可能性を教えられた気がする。
- 2016年11月5日に日本でレビュー済みAmazonで購入1.数学専門ではない人、物理学や工学を専攻する人に新しい見方を教えてくれます。
2.チューリング、岡潔を主役に据えたところが興味深い。
2.1.チューリング機械が数に置き換えられる。という説明は分かり難い。
2.2.多変数解析関数の世界をチョットだけ見せていただけると嬉しいのですが。