アメリカ大統領選の翌日、LGBTQ+の若者の自殺防止に取り組む団体への相談件数が700%増加したという。
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投開票日の11月5日、私はニューヨークの性的マイノリティが集うバーで開かれた大統領選の「ウォッチパーティ」に参加した。
民主党が強いニューヨーク、その上、LGBTQ+の有権者のうち86%がカマラ・ハリスに投票したということからもわかる通り、バーではハリスが選挙人を得るたびに歓声が湧き、ドナルド・トランプが獲得するとブーイングが起きていた。
しかし、選挙結果は性的マイノリティ、特にトランスジェンダーやノンバイナリーの人々にとって険しいものとなった。
トランプの再選により何が起こり得るのか。「逆風」について考えていきたい。
拍車をかけるトランスバッシング
選挙戦終盤、トランプはトランスジェンダーに対する排除言説を演説の中心に据えていたと報じられている。
10月27日に行われた集会では「我々はトランスジェンダーの狂気を学校から徹底的に排除し、男子を女子スポーツから締め出す」などと語り、選挙中はトランスジェンダーの人々を嘲笑するようなテレビ広告を頻繁に放映。その額は約2億ドル(約300億円)にのぼったという。スポーツイベントでも同様の選挙広告を流していた。
トランプは、「子どもが学校に行き、数日後には性別を変える手術を受けて帰ってくる」と頻繁に虚偽の主張を繰り返し、9月に行われた討論会では「ハリスは刑務所の不法入国者に対して“トランスジェンダー手術”をさせたがっている」などと語っていた。
主に医療や教育、スポーツ、トイレなどの観点からトランスジェンダーへのバッシングを広げるトランプ氏だが、その多くは誤った情報に基づいている。しかし、事実よりも不安を煽る言説の方が拡散されてしまう要因の一つに、多くの人がトランスやノンバイナリーの人々を身近に感じていないことが挙げられるだろう。
アメリカにおけるトランスジェンダーの人口は1.6%と言われる。世論調査を見ると、大統領選で有権者が重視する争点のうち「トランスジェンダーの権利」は最も低かった。それにもかかわらず、トランプ陣営はトランスジェンダーに対するバッシングを選挙戦で大きく打ち出し、トランスやノンバイナリーの人々を脅威として描き、スケープゴート(不当に罪をなすりつけられる犠牲者)にしてきた。
その背景には、保守派の「議題設定」の問題がある。アメリカは2015年の連邦最高裁判断により、全米レベルで同性婚が認められることになったが、同性婚の実現を阻止できなかった宗教右派を中心とした保守層は、その矛先をトランスジェンダーやノンバイナリーに移し、資金集めや動員のための争点にしていることが指摘されている。
「反トランスジェンダー法」の懸念
現在、共和党が多数派を占める多くの州で、トランスジェンダーの若者に対する性別移行に関する医療の禁止や、学校での本人の性自認に基づくトイレ利用の制限など、反トランスジェンダー法が可決されている。
今年、すでに全米で600以上の反トランス法が提案されており、45の法律が成立したという。公立学校や図書館で性的マイノリティについて取り上げた本が禁書に指定され、規制される動きも広がっている。
トランプは大統領選において、トランスジェンダーの若者に対して性別移行に関する医療を提供する病院への連邦政府資金の支給を禁止することや、連邦政府機関の性別移行を支援するあらゆるプログラムを中止すること、議会に対して「性別は2つだけ」とする法案や、全州でトランスの若者に対するホルモン療法などを禁止する法案を求めると語っている。
バイデン政権は今年、公的高等教育機関における性差別を禁止する「タイトルIX」が性的指向・性自認も含むとして、トランスジェンダーの学生にも対象を広げたが、トランプはこれを撤回しトランス学生を除外する考えを示している。
トランプを支持し、共和党へ強い影響力を持つ右派組織「ヘリテージ財団」が中心となり発表した「プロジェクト2025」には、連邦政府機関の規則から「性的指向と性自認(SOGIうや、DEI(多様性、公平性、包摂性)、ジェンダー平等、中絶、生殖の健康や権利」といった言葉の削除を求めている。
トランプは「DEI(多様性、公平性、包摂性)を促進するプログラムを排除する」ことも語っている。LGBTQ+だけでなく、さまざまなマイノリティの権利保障が後退する可能性が示唆されている状況だ。
輸入される排除言説
トランプを支援した主要人物の一人であるイーロン・マスクは、第2次トランプ政権において「政府効率化省」のトップに起用されることが報じられた。
マスクがXのオーナーになって以降、ヘイト投稿などをチェックするチームは解雇されたという。デジタルヘイト対策センター(CCDH)は、Xがヘイト投稿の99%に対応できていないとする調査結果を発表している。日本のXの状況を見ても、特にトランスジェンダーに対するバッシングが激化していることは一目瞭然だ。
マスクの娘でトランスジェンダー当事者であるヴィヴィアン・ジェナ・ウィルソンは、トランプ再選を受けて国外への移住を検討していると語った。同様に、アメリカで生きる当事者の中には、トランプの勝利を「本当に恐ろしい」と語る声も少なくない。
トランプや支持者によって拡散された反トランス言説は、トランプ勝利により“お墨付き”が与えられ、SNSを通じてさらに拡散されている。言葉だけでなく身体的な暴力も懸念される。これが冒頭の自殺防止団体への相談が700%増えたことに繋がっていると言えるだろう。
反トランスジェンダーの動きは、今後ますます日本や海外にも影響していく可能性がある。すでにアメリカの保守派による反トランス言説の多くが日本に輸入されてしまっている状況があり、さらなるバッシングに備える必要があるだろう。
「マンスプレイニング」という言葉を世に広めた、作家のレベッカ・ソルニットは、大統領選を受けて「特に過去8年間のアメリカのメディアは、ますます誤った情報を持つ市民を作り出した」と指摘している。トランスジェンダーに対する排除言説は、その多くが不安や憎悪を広めるための誤った情報であるにもかかわらず、メディアは議題として取り上げ、SNSでも規制されない。
ソルニットは、トランプをはじめ白人男性優位の構造や、主流メディアの失敗、利益のため規制されないSNSなどの問題を指摘し、「気候、人権、特に女性の権利、トランスの権利、移民の権利、そしてアメリカ経済など、あらゆるものにダメージが与えられる。このような男性たちは決して後始末をしないので、私たちや世界の人々が後始末をすることになる」と綴った。
逆風に備える
トランプの再選によって、性的マイノリティ、特にトランスジェンダーやノンバイナリーの人々の権利保障は大きな逆風を受けることになる。
トランスバッシング言説の中には、「子どもを性別適合手術へと誘導しようとしている」「子どもがグルーミング(性的な手なづけ)される」といったものがあるが、こうした陰謀論や不安の煽動は歴史的に何度も繰り返されてきた。
1970年代、歌手のアニタ・ブライアントは「SAVE OUR CHILDREN」という団体を立ちあげ、同性愛者の権利保障に反対した。その際用いられたのが「子どもが同性愛に誘導される」「子どもが性的虐待の被害にあう」というものだった。いま同じ言説を広げようとしても、多くの人はこの論理がいかに破綻しているかが理解できるだろう。
長い時間軸で捉えると、性的マイノリティの権利保障は進んできている。しかし、今この瞬間を生きる当事者とって、バッシングの嵐は命や生活に関わる喫緊の問題だ。トランスジェンダーやノンバイナリーの人々に向けられる逆風、その一つひとつの動きに国際的に連携し備えていくことが求められる。
松岡宗嗣(まつおか そうし)
ライター、一般社団法人fair代表理事
1994年、愛知県生まれ。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する「一般社団法人fair」代表理事。ゲイであることをオープンにしながらライターとして活動。教育機関や企業、自治体等で多様な性のあり方に関する研修・講演なども行っている。単著『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)、共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)など。
文・松岡宗嗣
編集・神谷 晃(GQ)