「New York Observer」の元編集長で、現在は「Flavorpill」の編集責任者を務めるElizabeth Spiersが、手書きでメモをとる理由と、そのメモの使い道に関して話をしてくれました。

数日前に私は、少しの間ひどいパニックに見舞われました。どうしてもペンが見つからなかったからです。大事なペンを失った私は、エリザベス・キューブラー=ロスがモデル化した「悲嘆のプロセス」に陥りました。

否認:「たぶん、ペンなんて必要ないんだ。ペンなんかいらない!」 怒り:「あのいまいましいペンはどこ!?」 取引:「気の利く素敵なボーイさん、チップをはずむからペンをいただけないかしら?」

 

そして、ついに最後のステージへと至りました。

受容:「ペンの代わりになるものを探すしかない」

その時にどうしてもペンが必要だったのは、あるアイデアがひらめいていたからです。書きつける前に、そのアイデアがすーっと消えてしまうのが怖かったのです。私が思いつくアイデアはとても逃げ足が速く、ちょっと気を逸らしたら最後、たちまち見失われてしまいます。だから、すぐにノートを取り出して書き留める、という習慣をつくりあげていたのです。

このプロセスはもう本能的な行動の一部なので、ペンかノートをなくした時は「アイデアが消えてしまうのではないか」という、ひどい不安に襲われるのです。今回はスマホという奥の手を使い、件名欄にカテゴリー項目入りのメモを書き、自分宛てにメールを送ることで解決しました。これは、技術的には充分ですが、あまり好きなやり方ではありません。

ひらめき帳

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私が気に入っている、アイデアをとどめておくための方法は、スティーヴン・ジョンソン氏が「Medium」への寄稿で紹介したひらめき帳」にちょっと似ています。

ジョンソン氏は、非常に幅広い題材について多くの著作がある多才なライターです。彼の著作の中でも、病気と都市計画について書かれた『感染地図―歴史を変えた未知の病原体』は特にオススメです。私は「最後まで一気に読んじゃった」といえる本は少ないのですが、これは、その数少ない中の1冊です。ジョンソン氏はこう指摘しています。

「...ほとんどの優れたアイデアは、(物語の組み立て方であれ、議論の転換点であれ、より幅広いトピックについてであれ)最初は予感として思いつくものです。それは、大きなアイデアの小さな断片だったり、ヒントやほのめかしだったりします。こうしたアイデアの多くは、数カ月から数年はじっとしていて、それから、何か有益なものと一体化するのです」

こうした「アイデアの成長」を促進させるため、ジョンソン氏は自ら名づけた「ひらめき帳(spark file)」をつけています。それは、「すべての予感(記事や講演の草稿、ソフトウェアの機能、起業、これから書くつもりの章の構成、あるいは書籍自体のアイデアなど)を書き留めておく、1つのファイル」です。彼は、ひらめいたそれらを整理しようとはしません。わざとランダムなままにしているのです。そのメモを数カ月ごとに読み返すと、1つ1つ別々に見ていたら何だかわからないようないくつもの断片が結びついて、様々なテーマが浮かんでくるそうです。

私も同じようなことをします。ノートにばらばらのメモを書き込み、それらをマスターファイルに入れ、しばらくしてから見返すのです。ノートはどこでもとりますが、実は私には、創造性がとても高まる場所と時間があります。地下鉄や飛行機、列車など、交通機関の利用中は特に創造力が高まるのです。また、大勢の人で込み合う空間でありつつ、1人にもなれる場所。例えば喫茶店や、1人で夕飯を食べるバー、陪審員席に座る時などは、いろいろな観察にもってこいです。午前中よりも夕方のほうがうまくいきますが、その主な理由は、1日のはじまりよりも終わりのほうが注意深いからでしょう。

「創造的な作業」と「やるべきこと」を分ける

私のひらめき帳が役に立っている理由は、ひらめき帳とタスクリストを区別したほうが良いと学んだからです。何かやるべきことについてメモをとる衝動に駆られた時は、本来のToDoリストや、計画中のプロジェクトリストなど、ほかのものに書きとめます。

スコット・ベルスキ氏は著書『Making Ideas Happen』で、「アイデア」と「実行ステップ」を分けています。つまり、発想についてのメモやスケッチなどを、やるべきことのメモと区別するのです。

仕事にもよるかもしれませんが、私の場合は、純粋に創造的な作業と「やるべきこと」を切り離して取り組む時に、もっともクリエイティブで充実した状態になれます。やるべきことから手をつけた場合、何を達成したいかについての考えが制限されてしまうからです。

ストーリーのアイデアを思いついた時、時間をかけて深く追求することはしません。記事のトピックを、あれこれ調べてより深く追及することもしません。つまり、「やるべきこと」の実行手順を考えることは、新しいアイデアを手ごわいと思ったり難題だと思うことにつながりかねないので、それを省くわけです。ですから、「やるべきこと」に関しては別のファイルをつくっています。特定のプロジェクトに関連したそれぞれのタスクリストと、それらのプロジェクトの全体的な優先順位をつけるためのマスターリストです。

私は「あとまわし帳(backburner file)」も使っています。これもベルスキ氏が発明したタスクリストで、興味深いけれども優先順位は低い「空想的なプロジェクト」のリストです(例えば、99%やらないであろう「私の空想プロジェクト」に、「ノーコメント・マガジン」があります。これは、取材に応じない有名人だけの記事で構成される月刊誌です)。

紙を使う理由

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デジタル時代に満足している人なら、たくさんあるメモ用アプリを使うことで、アイデアを簡単に残しておくことができるでしょう。私の場合は、仕事用にEvernoteを使い、ほとんどのアイデアをGoogle Docsに保存していますが、それを除けば、アイデアを記すための一番のメディアは、今でもペンと紙です。

使いやすい5×3インチのメモ帳をいつも持ち歩いて、だいたい1カ月で使い切ります。紙を使う理由は、1つには、即座に使える機能性があるため(アプリを開いてファイルを探す必要がないですよね)。そしてもう1つは、スマホのタイピングがとても苦手で、文字入力に余計な時間がかかるためです。

でも、それだけではありません。私のひどい筆跡は「5歳児」か「平均的な医療従事者」かと思うほどで、自分で書いた文字を解読できないことさえありますが、手書きが好きなのです。私はタイピングをしているとあまり集中できないし、考えに指が追いついていかないので、必要な語句が抜けてしまうことがよくあります。手で書く時は、どうしてもゆっくりになるので、思慮深くなることができます。

私のメモ帳から、いくつかのメモをランダムに取り出して見てみましょう。

  • ニュートン市で起こった乱射事件に関するニュースの見出し:「この事件がどうして起こったかわからない、と子供たちに説明しても問題ないと専門家は話している」
  • 抗鬱薬を投与された魚は群れから離れる
  • 双子のElementalとEphemeralの短編小説
  • ソロモンより:「最大のストレスは屈辱。それに次ぐストレスは損失。生物学的脆弱性を持つ人々にとっての最善の防御は、外部からの屈辱を和らげ最小限にしてくれる『満ち足りた』結婚だ」

どれも、何かのアイデアです。想像力をかきたてる何かだったり、関連性がありそうに見えるものや、あるいは、共感したり逆に納得できないからこそ引っかかった、ちょっとしたニュースだったり。すべて、今取り組んでいる仕事のネタか、トピックについての考えです。

ただ、私にとっては、直感的にうまくいかないと思うアイデアも記録することが大事です(ElementalとEphemeral? たしかにこれは、飲んでいた時にメモしたものです)。こうしたメモには、たまにですが、何か良いアイデアの兆しが含まれているのです。これらのメモは、「試すだけの価値がある良いアイデアがある」と私に思い出させるために存在しています。

私が参考にしているのは、18世紀に活躍したドイツの物理学者、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクの『Waste Books』です。リヒテンベルクには科学的な功績もいくつかあったのですが、彼が書き記し、のちに息子たちが出版した『Waste Books』が有名になったことで、科学的業績がその影に隠れてしまいました。

「Waste Books」とは、イギリスでは「取引日記帳」という簿記用語ですが、彼の『Waste Books』は、より幅広いトピックをカバーし、ウィットに富んだ短い個人的意見や引用などが書き溜められています。リヒテンベルクは警句の達人です(「我々はしばしば、深い考えなしに古い法律や古い使用法、そして古い宗教に従うような行動をとり、世界におけるすべての邪悪をあがめることにつながってしまう」など)。一方で、風変わりな観察眼で、そのメモを興味深いものにもしています(「その者たちはくしゃみをし、ゼーゼー息を切らし、咳払いをし、おまけにドイツ語にはない2種類の音のようなものを発した」など)。『Waste Books』にはアイデアに富むメモがあふれていますが、すべてが良いアイデアだったわけでもありません。この『Waste Books』はきっと、長い目で見た時の、彼の職業人としての人生に役立ったのだろうと思います。

これはまさに、ジョーン・ディディオン氏を思い出させます。同氏は、古典として残るような傑作エッセイ『ノートに書き留めること(On Keeping a Notebook)』で有名です(エッセイ集『ベツレヘムに向け、身を屈めて』に収録されています)。

ディディオン氏は、出来事を記録するためでなく、感じたことの詳細を記録するためにメモをとり続けています(彼女は、いわゆる日記をつけることにはまったく興味がありません)。

「ここでは、一連の優美な思索を構造的に結びつけるような、出版に備えたノートの類について話しているのではありません」と彼女は書いています。「もっと私的で、使うには短すぎる心の糸くず、つくり手にしか意味のない、乱雑で風変わりな寄せ集めについてお話しているのです」

私のひらめき帳を見返してみると、メモの1つ1つが、その時に思っていた何かを思い出させてくれます。個々の断片はバラバラで、意味をなしません。ディディオン氏によれば、それは「私だけに意味のあるテキスト」なのです。

On Keeping a Notebook in the Digital Age | Medium

Elizabeth Spiers(原文/訳:風見隆、合原弘子/ガリレオ)

Image remixed from Shutter_M (Shutterstock) and Patrick Hoesly (Flickr).
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