明治の大水害の記録発見 奈良・十津川村で120年ぶり
奈良県十津川村で168人が死亡した1889年(明治22年)8月の大水害を記録した元村長の上杉直温さん(故人)の手記が、昨年9月の紀伊半島豪雨をきっかけに、村内で約120年ぶりに見つかっていたことが30日、分かった。
豪雨の影響で上杉家の蔵周辺でも地滑りが懸念された昨年11月、遠縁の玉置健一さん(59)らが所蔵品の古文書を持ち出し整理していた際、発見した。玉置さんに依頼され、手記と古文書を解読した日下古文書研究会(大阪府)は近く本にまとめ、村に寄贈する予定。
手記は上杉さんが当時の十津川村を所管した宇智吉野郡役所で書記をしていた際に被災地を回り、書き残したもの。各地の死者数や土砂崩れで流された家屋数など被害の記録が主だが、上司が行方不明になった現場を前にし「低回去ル能ハズ悲嘆ノ涙ニ時ヲ移ス(悲嘆のあまりその場に立ち尽くし涙するしかなかった)」と、感情を吐露した部分もあった。
明治の大水害では168人が死亡。その後、村民約2600人が安全な土地を求めて北海道に移住し、現在の新十津川町を開いた。上杉さんは手記を書いた後、奈良と北海道の2つの「十津川」で村長や戸長を歴任し、76歳で亡くなった。〔共同〕