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“スノーボードの父”ジェイク・バートンを知っていますか? 藤原ヒロシら「裏原宿クリエイター」が明かす秘話

posted2021/11/20 17:00

 
“スノーボードの父”ジェイク・バートンを知っていますか? 藤原ヒロシら「裏原宿クリエイター」が明かす秘話<Number Web> photograph by BURTON

“スノーボードの父”ジェイク・バードン。2年前の2019年、65歳の若さでこの世を去った

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福原顕志Kenshi Fukuhara

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BURTON

「BURTON(バートン)」。ウインタースポーツをしない人でも一度は耳にしたことがあるだろう。世界最大のスノーボードブランドの名前だが、それが創業者の名前であることを知らない人は多い。今日、11月20日はジェイク・バートンの命日だ。2年前のこの日、65歳の若さで生涯を閉じた。

スノーボードの父、ジェイク・バートン

 彼の功績は一代でバートンを築いただけにとどまらない。1977年に彼が雪遊び用のソリから新しいスポーツの発想を得なければ、スノーボードは生まれなかったかもしれない。度重なる試作品の失敗と孤独に耐えられず、100枚目のブレイクスルーに辿り着かなければ、その発想は雪に埋もれたままだったかもしれない。

 彼がスキー場一つひとつを訪ね、まるで宣教師のようにスノーボードの安全性と魅力を説いて歩かなければ、多くのスキー場で禁止されたままだったかもしれない。彼が才能を見出さなければ、スーパースター、ショーン・ホワイトは出てきていないだろうし、そのショーンと平昌五輪で金メダルを競い合う平野歩夢の姿に、日本中が熱狂することもなかっただろう。

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 スノーボードの歴史は、この男の人生そのものだ。新しいスポーツを生み出し、誕生からたった20年でオリンピック種目にまで発展させ、横乗りスポーツとしての文化、そしてライフスタイルまで創り出した。

人懐っこい笑顔で「僕がジェイク、よろしくね」

 私が彼と出会ったのは2013年。WOWOWの番組取材でバーモント州にある本社を訪れた。新作発表のパーティで初めて紹介された時、巨大ブランドのCEOを想像していた私はいきなり面食らった。チームライダーたちとふざけ合って一番はしゃいでいたのが、ジェイク・バートンその人だった。

 スノーボードの父を前にかしこまる私に、目尻を下げた人懐っこい笑顔で「僕がジェイク、よろしくね」と右手を差し出した。ワークパンツにチェック柄のシャツというカジュアルな出立ちで「今朝も一本滑ってきたけどね、いいパウダーだったよ」と初対面の私に長年の友達のように雪の話をする。当時は一度目の癌を克服したばかりだったが、それでも年間100日ライドは欠かさないのだと言う。

 会社も遊び心満載で、社員たちは自由に犬を連れて出勤し、昼休みは敷地内に造られたスケートボードパークで汗を流す。やんちゃな子供がそのまま大人になったようなジェイクの人柄がそのまま社風となっていた。

【次ページ】 初めてボードを買った日本人「見たこともない一枚の板で…」

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