「2020年に訪日客2000万人」の目標を掲げつつ、観光市場で国際的に大きく出遅れている日本。「観光産業を世界の平均並みに引き上げるだけで、GDPを38兆円押し上げる効果がある」と小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン社長は言う。銀行アナリストから文化財の補修を手がける同社の社長に転身したアトキンソン氏は、重要な観光コンテンツである文化財が整備・活用されていないと指摘。「おもてなし」に関する日本人の思い込みにも違和感を覚えると語る。
(聞き手は、秋山知子)
小西美術工藝社は国宝や重要文化財の補修を手がける、370年の歴史を持つ会社です。アトキンソンさんはかつてゴールドマン・サックスで銀行アナリストとして活躍され、5年前から小西美術の社長として経営改革に取り組まれています。伝統技術を扱う老舗であり、社内の制度や慣習なども独特な部分があったと思いますが、どのように進めてこられたのでしょうか。
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小西美術工藝社代表取締役社長。1965年、イギリス生まれ。オックスフォード大学で日本学を専攻。アンダーセン・コンサルティング、ソロモン・ブラザーズを経て92年にゴールドマン・サックスに入社。日本の大手銀行の不良債権問題のレポートで注目を集める。2007年に退社、2009年に小西美術工藝社に入社。2011年から現職。近著に『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る 雇用400万人、GDP8パーセント成長への提言 』(講談社+α新書) 写真:丸毛透
アトキンソン:まず、伝統技術とか職人文化とか言いますが、自分としてはそういうことには割と否定的です。この会社で今までやってきた改革は、ただ単に、一般のビジネスとして考えて、ビジネスの常識を入れたというだけの話だと思います。
伝統技術は、そもそもどこからが伝統技術なのかというと難しいんです。例えば当社は漆塗りをやっていますけれども、西洋のペンキが入ってくるまでは漆がジャパニーズ・ペイントでした。それは当時としてももちろん素晴らしい技術ですが、あえて伝統技術とか伝統文化というものではなかった。
ただ当時は普通に漆が使われていたということですね。
アトキンソン:普通に使われていたものが、西洋から入ってきたものに代わっていっただけでしょう。古いからといって漆を美化する必要があるんでしょうか。漆塗りの人間国宝はいるけどペンキ塗りの人間国宝はいませんね。じゃあ何が違うのかというと、単に古いか新しいかだけ。そもそも、そういう区別をするのは間違いだと思います。
小西美術には50人以上の職人がおられますが、昔からの職人文化が厳然とあったそうですね。
アトキンソン:職人によく「私は朝から晩までひたすら自分の技術を磨きたいんだ」と言われるんです。ただ、普通の会社員だって、そりゃ自分のやりたいことを朝から晩までやっていたい人はたくさんいるでしょう。普通はそんなことは無理なのに、職人だけは伝統技術だからずっと技術を磨いていればいいとか、工期は守らなくてもいいとか、年齢がいくほど給料が高くて当たり前というのはおかしい。
それまでの年功序列の賃金体系を改めたのですね。
アトキンソン:一般企業は年齢とともに給料がある程度まで上がっていって、その後は定年に向かって下がっていく中で、職人だけが80歳になっても自分たちは給料が上がっていくべきというのはおかしいでしょう。そして、若い人は職人になりたがらないと言いますが、そんなことはありません。
職人になりたい若い人はいっぱいいる
若い人が来なくて、職人は後継者難とかよく聞きますが。
アトキンソン:はい、それは努力が足りないということですね。どういうことかというと、文化財の補修の仕事は国の補助金が決まっていて、文化財の数も決まっていますから全体のパイは一定です。補修する職人の数も一定です。大正時代には日本人の職人男性の平均寿命は40歳だったので入れ替わりがありました。でも戦後は寿命が伸びて、おまけに生涯現役のつもりの人がいっぱいいるので、いつまで経っても席を譲らない。なおかつ、若い人が入ってくると中高年の仕事の効率が落ちていることがすぐばれます。その2つの動機が働いて、若い人が入れないんです。
でもやりたい人はたくさんいます。業界団体は「若い人が来ない」と言いますが、じゃあ求人を出しているのは何社ありますかというと、ほとんどゼロですよ。求人を出さないと若い人は知りようがないですね。当社で求人を出すと若い人がたくさん来ますよ。
3年で社員の平均年齢が46歳から37歳に下がっています。
アトキンソン:年配の人を切ったのではなくて、18歳ぐらいの人たちを採用していますから。
さらに、伝統技術を使う仕事は年数もかかりますから、非正規社員で利益を追求するのではなく、全員正社員にしました。社員の研修もちゃんとやります。今までは営業なんてしていませんでしたが、職人も営業をします。品質の保証もします。それでも、大きな金額ではありませんが毎年昇給もしています。
職人自ら営業をすることに抵抗はありませんでしたか。
アトキンソン:まあ、社長がやれといった以上はやるしかないですよね。それは日本の組織のいいところですね。
営業先というのは文化財のあるお寺や神社ですよね。どのような営業をするんですか。
アトキンソン:1~2年に1度は行って、見て、大丈夫ですねとか何か困ったことはありますかと聞きます。最初、お客さんはものすごくびっくりしてましたね。みんな「えっ、来たの?」と。業界全体として、営業ということをあまりしていません。国から声をかけられるのを待っているだけですね。
お客さんは通常、20年に1度くらいしか工事をしないので、業者は工事の直前に来て、終わったら20年来ません。でも自分たちのやった仕事を20年間全く見ないというのは無責任だと思います。全く行かなければ先方も「次もやってもらいたい」とは思わないですよね。
それから、いろいろなところでお話をしているのですが、全国の国宝・重文建造物の修理・保存に対する国の予算は1年あたりわずか81億円です。これは全国での金額です。もう、信じられないですよね。でも業界以外の人でこの数字を知っている人はまず、いません。こういう現状を業界としても、もっと発信しないといけないのですが。
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