アイドルはひとつの運動である―ニコニコ動画のPerfumeサマソニ音源によせて
僕はこれからアイドルを語る上での危険領域に踏み込むかもしれない。
それにしても最近の僕はなんでこんなにも「アイドル」について書いているのか。自分にもよくわからない。中学高校のときは横浜アリーナ、埼玉スーパーアリーナなどを「モー娘。」のためにはしごする友人たちを単に見守っているだけの人間だったはずなのに。読者も困惑するかもしれない。ちょっと前は「東浩紀×萱野稔人」とか現代思想について書いていたはずなのに。
とにかく暑くて意識がもうろうとしている。朝から色んなことにいらだっている。
暑さだけでなく昨日よく眠れてないなどの個人的な事情もいくつかあるが*1、先日の「第1回モーニング娘。学会」がまだ自分のなかで咀嚼しきれてなくて、頭の中が溶けてグルグル回っている気分だ。
不安感を抑えるワイパックスと液状リスパダールを飲んでも落ち着かなかった。
先ほど4時間ほど寝ることでなんとか復活した。
とりあえず1つ言いたいことは「アイドル」という存在、とりわけ「Perfume」を軽々しく「今が旬だから行っときたいなぁ」とか言うにわかファンの言い訳のように聞こえる言葉たちを聞き逃すことができなかった。今が旬だと思うなら何で絶対に行ってやろうと思わないのか。
というよりアイドルに旬というものはあるようでない。
アイドルはそのアイドルのCDを買う、音楽を聴く、ライブを体感する、インタビューや写真を見る、ブログを読む、その瞬間の一つ一つ一瞬が旬であり、アイドルと私たちをめぐるダイナミズムを生み出す。
「現場派」の「モーヲタ」や「声優アイドルオタク」ならそのことを理解しているはずだ。
彼らの一部は派閥を作り、ある派閥は最前列を確保するために最善の努力を尽くす。
そこまでして私たちは「アイドル」という存在になぜこだわるのか。
アイドルとはいったい何なのだろうか、それは中森明夫が『アイドルにっぽん』で言うように「天皇」のような「実体」を伴う象徴なのか、それともファンたちとの「関係」なのか。
さしあたってこう言っておこう、
アイドルはひとつの運動である、「愛」にかかわる運動である、と。*2
地方のアイドルオタクはいかに移動コストを減らすかに腐心する。
僕の友人らは中学生のとき「宮城―東京」間を脱法的に1000円で、あるいは無人駅を利用してそれ以下で、さらには「ゼロ円」で行くというつわものまでいた。彼らは誰よりも「キセル」の手口に長けていた。
彼らにとって重要なのは「モーニング娘。」のライブを観ることであり「松浦亜弥」と握手することなのだ。移動にカネは使ってられない。中学生にカネは限られているからだ。
アイドルを語るとき、あるいは語ろうとするとき私たちは「性」と「搾取」を巡る問題をおそれ「愛」について語ろうとすることはない。しかし単に「アイドル」という存在の不可能性を語るだけでは、アイドルオタクの問題は解決しない。
そうだ、ニコニコ動画にアップされたPerfumeサマソニ音源を観てみよう。
まず注目すべきは、最初に「アンチ音源アップ派」による嵐のような怒涛のコメントだ。
彼らはPerfumeの「ライブ」を神聖化し、このような音源アップ行為を否定する。
そして、それに対する「音響アップ派」のコメントたち、彼らは音源アップを肯定する。
Perfumeの「ライブ」の神聖さはアップしたくらいでは失われない。
これまでもネット上でekuseru氏などがYouTubeに動画をアップしていたように、ネットに音源をアップしたぐらいでPerfumeの存在の神聖さ、奇跡、そして何より「愛」は失われないことをわかっている。
完璧な計算で造られた楽園で
ひとつだけ うそじゃない 愛してるどうして ねぇコンピューター こんなに 苦しいの
あー どうして おかしいの コンピューターシティ
僕がしばしばPerfumeに関する「サブカル」側からの批評を見ていて思うのは彼らがそうした彼女たちが人間でありながら神聖さと奇跡、そして「愛」を兼ね備えた存在であることを意識的か無意識的か無視しているからである。
例えば次のように、
彼がわざわざ「(妄言注意)」とタイトルで言い訳しなければならないのはなぜだろうか。
もちろんそれは彼なりのアイドルという存在を語る上での「倫理」なのかもしれない。
しかし、彼の「倫理」は「愛」にかかわることを避けてしまっている。
あるいは次のように、
リニアモーターガール。リニアモーターガール。リニアモーターガ〜〜〜ル。
もちろん冗談で言っているのだろう。冗談を言うのだ。彼らはいつも。
彼らはこうやってまず言い訳をして「安全圏」を確保する。
自分がもともと「ホモ・サピエンス」という猿とほとんど変わらない遺伝子を持ち、戦争で殺し合い、そのくせ「愛」の可能性を信じる愚かな、バカな動物であることはとりあえず置いといて「安全圏」を確保してから語るのだ。何より彼らは「愛」にかかわることを避ける。
これはネット右翼たちが批判してやまない「左翼的妄言」とも重なる部分があるが今はそこは置いておこう。
ゼロ年代も後半を迎えた今に至るまで、「アイドルオタク」たちは語る言葉を持たなかった。あるいは持つ必要性が無かった。なぜなら、ほとんどの「アイドルオタク」にとって重要だったのはいまだに「現実」に対する「虚構」としてのアイドルであったからだ。それは「モーニング娘。」という形で現れていた。
「モーニング娘。」は80年代の「おニャン子クラブ」の反復、あるいは捏造された「虚構」として生み出された。
「モー娘。」は「テレビ」のチカラを最大限に引き出した最後の「虚構の時代」のアイドルだったと呼ばれることだろう。大澤真幸や見田宗介、東浩紀、木原善彦を持ち出すまでもなく「虚構の時代」はすでに、とっくに終わっているからである。
アイドルを論じる困難がここにもある。
東浩紀的に言えば、90年代後半にアイドル界は十分にポストモダン化していなかったのである。
「モーニング娘。」はいまだに「虚構の時代」とその後の時代の狭間に存在していた。
80年代には中森明夫らによって存在していた(かのように見えた)アイドル論は、90年代に至って全くの空白地帯を生み出してしまった。その理由は宮台らによる分析があるのでここでは多くは語らない。*3
もちろんそれでもアイドルを語ることは可能である。上のように「サブカル」の側から論じることは。
しかし「アイドルオタク」の側にアイドルを語る言葉は準備されているように見えない。これは中森明夫の功罪と90年代の空白が生み出した徹底的な差だ。
だが「アニメオタク」や「美少女ゲームオタク」には語る言葉が用意されている。これはアイドルと違い対象が「キャラと文字」という徹底された「虚構」という言い訳があるからこそ語りえたものでもある。それらを流用してアイドルを語ることは可能である。実際id:Imanu氏やid:eal氏はそれらの言葉を借りてアイドルを語る試みを行っている。
さらにid:Imanu氏は「アイドルオタク」が「アニメオタク」らに意識的か無意識的か無視していることを指摘している。
「アニメオタク」や「美少女ゲームオタク」たち、あるいは「ラノベオタク」たちは生身の、現実の女性の身体をおそれ、自らの領域に引きこもることで彼らもまた「安全圏」を確保しようとしているように見える。
しかし「虚構」であれ「現実」であれ、その対象への不可能な「愛」であることに変わりはない。
木原善彦が『UFOとポストモダン (平凡社新書)』で語ったのは現代は「諸現実の時代」であるということだ。
もはや「現実」と対をなす「虚構」があることを素朴に信じることはできない。それはすでに「オウム真理教」の顛末が私たちに示しているだろう。
「諸現実の時代」における「現実」とはあまりにも軽く、そして同時に重くもある。「グローバリゼーション」と「ナショナリズム」、「原理主義」が今の時代において復活するのはそのためだ。
わたしたちはそんな「諸現実」が重みに関わらず並列化したそんな時代に生きている。
そんな時代で「アイドル」あるいは「Perfume」という存在が示す可能性は何か。
僕はそれが「愛」のチカラであると信じている。
「愛」をめぐる運動、それは「諸現実」をつなぎ、祝祭空間を生成する。
見えるものの全てが 触れるものの全てが
リアリティがないけど 僕はたしかにいるよ
80年代における大塚英志と中森明夫の決裂によって「アイドル論」の「ことば」たちは表層的に見えるものになってしまった。
オタクにおいては80年代には『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のリン・ミンメイのように作品の中において結実するか、あるいは90年代のGAINAXによる『プリンセスメーカー』、ゼロ年代の『アイドルマスター』のように、自分だけのアイドル、美少女ゲームの中に閉じこもる他なかった。
しかし、それだけではアイドルを語り、示したことにはならないだろう。
上の曲のアイドルマスターMADがニコニコ動画においてPerfumeが売れ出したきっかけだったという。
この世界観とアイドルマスターの組み合わせにシンクロニシティを覚えるのは僕だけではないはずだ。
だんだんコメントが少なくなっていくのがわかる。
アンチも肯定派も彼女たちの歌に聴き入ってしまっているはずだ。
そしてポリリズム。
ここで初めてアップした方が単に興味本位でアップしたわけじゃないことがわかるだろう。
告白するが僕は泣いた。
アップした方のPerfumeへの「愛」に。
Perfumeという存在の奇跡と彼女たちの「愛」に。
そして僕はこれから「Tシャツを洗濯する」ことにした。
あ〜ちゃんの最後の呼びかけに応えて。
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*3:http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20070815/p1「かくして、音楽コミュニケーションにおけるコードが空洞化し、すべてが横並びになったとき、アイドルブームはパワーを失い始める。」(宮台真司『増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)』)