2014/06/18

農業と気象

古くから「農業はお天気しだい」と言われています。それは農業技術が進んだと言われている現代でも当てはまり、気候変動・天候変動により、作物の収量は毎年のように変動しています。

このような天候に支配されることから脱却し、多収入で良質な農業生産を安定的に確保するための“技”が農業技術であるとするならば、現在の農業技術は決して万全とは言えません。

私が言うまでもなく、農業は自然環境と密接に関係する産業です。農業を取り巻く自然の三大環境としては、『気象』『土壌』『生物環境』の3つが挙げられます。しかも、この3つの環境はそれぞれ単独に農業生産に関わるのではなく、これら三大環境が有機的に関連を持ちつつ、総合的に農業生産に関与しているという性格を持ちます。

近年、農学の分野ではこれらの環境科学は目覚ましい進歩を遂げ、その成果はそれぞれ新しい優良技術として農業生産に役立っています。『土壌』の分野では土地改良技術や施肥技術が、また『生物環境』の分野では病害虫の発生予測技術や防除技術や、画期的な薬剤による雑草の防除技術等が進歩しました。『気象』の分野でも局地的な耕地気象の基礎研究から合理的な気象調節技術が開発されてきています。

しかしながら、このような技術の進歩にも関わらず、今日もなお、農業生産の年次変動が大きいのは、『土壌』『生物環境』『気象』といった農業を取り囲む三大自然環境に対する技術の発展の足並みが必ずしも揃っていないところにあるのではないか…と、私は考えます。はっきり言うと、『土壌』と『生物環境』の分野の技術の発展と比べ、『気象』の分野における技術の進展が極めて立ち遅れているのではないか…と考えています。

この遅れの主たる要因は、文字通り「雲を掴むような…」と言われる気象の本質的な部分に由来していると思われます。加えて、『気象』は『土壌』や『生物環境』に比べて変化そのものの速度が速く(短期での対応が必要)、日常的に変化し、かつ内に秘めた破壊力が格段に強いという特徴があり、人間の力ではコントロールしにくいといった側面が大いに影響していると思います。

先ほど気象に関する技術が立ち遅れていると書きましたが、日本の気象技術が世界に比して立ち遅れているか…と言うと、決してそんなことはなく、むしろ日本の気象庁の出す気象予報の精度は現時点では世界一と言われています。狭い国土には世界で他に例を見ないくらいの観測センサー網が張り巡らされていて、レーダーによる雨雲の観測等も、ほぼ日本列島全域をカバーしています。

しかしながら、その気象予測技術は、主として“防災”を目的として開発されたものであり、必ずしも農業での活用を意識したものではありませんでした。加えて、1993年に気象業務法が改正され、気象予報が民間に開放されて以降は、国の機関である気象庁、及びその地方組織である地方気象台では、広くあまねく公平に…の原則から都道府県やその都道府県を幾つかに分割した予報細分ごとの予報(一般向け予報)や、防災のための警報・注意報の発出を中心とした運用に力点が置かれていて、農業をはじめ各産業用途向けの個別の詳細な予報(特定利用者向け予報)は民間気象情報会社にその役割のほとんどを委ねられたようなところがあります。

気象庁の観測した膨大な気象データや詳細な予報データは、予報認可を受けた民間気象情報会社に提供されていて、民間気象情報会社はその膨大な気象データをもとに各産業用途向けの個別の詳細な気象予報等を加工し、提供することが可能です。そうして加工された情報は“あなただけの予報(特定利用者向け)”ということで、“受益者負担”、すなわち有料です。

気象業務法が改正されて気象予報が民間に開放された20年前、実は農業気象の分野は気象庁の予報認可を受けて次々と誕生した民間気象情報会社のビジネスの主戦場の1つだった歴史があります。しかしながら、当時はコンピュータの性能も低く、予報作業の多くを人力に頼らざるを得なかったり、その土地その土地ごとの詳細な予報などのきめ細かい情報といった顧客ニーズにうまく応えられなかったり…で、気象庁が発表する「一般向け予報」とほとんど変わらないレベルの予報を出すに止まりました。こうなると情報に対する付加価値は低く、市場開拓は困難を極め、価格競争が激化し、私がこの業界にやって来た10年前までに、一部の地域向けを除きほとんどの民間気象情報会社が農業気象の分野から撤退してしまった歴史があります。

私がこの気象の業界にやって来て以来、一度も気象に関するビジネスの話で農業関連の話を聞いたことがなく、かつ、今、農業の分野に興味を持って少し首を突っ込んでみても主たる敵の姿がまったく見えてこないので不思議に思っていたのですが、歴史を調べてみて納得しました。チョコチョコっと“摘まみ食い”のようにして食い散らかした跡だったんですね。

そういう背景もあって、農業関係者の皆さんは今もほとんどの方が一般の人達が目にする(無料で手に入る)テレビやホームページのお天気情報(一般向け予報)を見て、日々の農作業にあたられている現状にあるようです。何人もの方から、「夕方のテレビの天気予報で翌日の農作業を決める」といった話を聞きます。私からすると、あんな府県レベルで平準化されたようなアバウトな情報で大丈夫なのか…と思ったので訊いてみたところ、彼等が夕方のテレビの天気予報で気にして観るのは気象キャスターが喋る晴れや雨といった天気の情報ではなく、むしろ「天気図」。その土地に何十年も住み、自然と向き合ってきたベテランの農業従事者の方々にとっては、天気図を見ただけで、その土地の翌日の天気がだいたいイメージできるようです。その話を聞いて私が驚くと、「そのくらいでないと、プロの百姓とは言えない」とも言われました。

なるほどなぁ~。でも、天気図なんて、気象庁が発表する情報の中のたった1つに過ぎず、他にももっと直接的な判断に役立つ膨大なデータがあるのに…と、私なんぞは思ってしまいます。それは私がそんな“使われることなくナマモノだから捨てられてしまっている”膨大な気象データの存在を知っているからで、日本のほとんどの農業関係者の皆さんは、そんな膨大な気象データの存在のことなどご存知ありません。国民の税金で整備された国民の財産とも言えるデータなのに…。そんな貴重なデータの存在を知らずに、全国レベルの天気図のようなアバウトな情報だけで貴重な作物の生育管理やリスク管理を行っているわけです。なんとも勿体ないことだと私は思います。そのおかげで、これまでどのくらいのロスが出てきたことか…。

このように考えると、農業を取り囲む三大自然環境に対する技術のうち、『農業気象』の分野の発展が他の2要素に比べて一歩遅れてしまっていることの最大の“戦犯”は、そんな膨大な気象データを十分に世の中に(特に農業分野に)活用することが出来ていない“我々民間気象情報会社”なのではないか…と私は考えています。これは心から反省して、悔い改めなければいけないことだ、と私は考えています。

10年前と比べてICT(情報通信・情報処理技術)は目覚ましい発展を遂げています。CPUの演算速度やメモリの集積度は飛躍的に向上し、10年前までなら大変高価な超大型のコンピュータを使わないと演算できなかったような処理も、通常のサーバー機で十分処理が出来るようになりました。これにより10年前までなら不可能だった膨大なデータの処理(ビッグデータ処理)が可能となり、お客様のニーズに合わせた様々なデータ加工が可能となりました。また、これまで人手で処理していた作業の大部分はコンピュータによる自動処理で代替することが可能となり、極めて安価でお客様のニーズに合わせたキメの細かい“あなただけの情報”を提供をすることも可能になってきました。

端末サイドも劇的とも言える変貌を遂げています。10年前までなら専用のデータ通信回線に接続され、専用のアプリケーションプログラムをインストールしないと使えなかったシステムが、インターネットの爆発的な普及とクラウドコンピューティング技術の導入により、誰でも無料でダウンロードできるブラウザソフトを使うことで、極めて安価に、そして極めて容易に使えるようになりました。

情報端末も別に通信回線との接続を用意しないといけない高価なパソコンに代わって、モバイル通信機能が最初から搭載されたタブレット端末やスマートフォンが次々と発売され、ガラッと様変わりしてきました。タブレット端末やスマートフォンはパソコンと比べて安価なうえ、情報検索や閲覧(ブラウズ)に限ればむしろパソコンより高速にしかも容易な操作で使えるという特徴を有してます。しかも場所を限定せずに使えます。

このようにICTの発展は気象情報提供の分野にも劇的な変化を与えてくれています。このICTの劇的な発展を上手く使えさえすれば、10年前までに撤退を余儀なくされた農業気象も、民間気象情報会社にとって十分にビジネスになる分野になりうると私は考えています。すなわち、農業に従事される方々に真にお役に立つ情報をもっともっと我々は提供することができると私は確信をもって思っています。

その時に鍵を握るのは、あの膨大なデータ(ビッグデータ)の中から、個々のお客様にとって必要となるデータを探し出し、それをお客様にとってすぐに行動や判断に結び付くような形に加工する“情報活用技術”であると思っています。これからは我々民間気象情報業界にとっては、その“情報活用技術”における『価値競走』の時代がやって来ると思っています。

【追記】
台風や大雨、大雪、地震…、自然は時として計り知れない破壊力を持った“脅威”として人類に襲い掛かってきますが、平時は植物資源や生物資源、さらには地下資源など、人類が生活していく上で必要となる様々な“恵み”を与えてくれるものという大変にありがたい側面もあります。

特に、北回帰線よりほんの少し北の緯度という極めて温暖な暮らしやすい場所に位置し、春夏秋冬というはっきりとした四季があり、また周囲を海で囲まれた日本列島は、農業や漁業という産業を通してその自然の“恵み”の恩恵を世界で一番受けている場所であると私は考えています。その自然の恵みの恩恵で、日本はこれほどたびたび自然の脅威に襲われる国でありながら、世界の先進国の1つという豊かな国になることができたんだとも。

この自然が持つ相反する2つの側面のうち、これまでは『自然の脅威』の来襲に立ち向かう“防災”の側面にばかり目がいきがちでしたが、これからはもう1つの『自然の恵み』という側面にも着目し、その自然の恵みにもっとも直接的に関係する農業や漁業といった“第一次産業の分野”にも積極的に力を入れていきたいと考えています。

考えてみると、『自然の脅威』に対抗するための“防災”の仕組みや仕事は、極端な言い方をすると、使われないことが人々の最大の幸せだ…ということも言え、私の頭の中では社会的に極めて重要なことだとは理解していても、ビジネスとして取り組むには少し複雑な気持ちになっていたことは事実でした。

しかし、その反対側の側面、『自然の恵み』を最大にしようという取り組みは極めて前向き、建設的なことであり、自然に関してこの相反する両方の側面から取り組むことで初めてバランスが取れて落ち着くとさえ、今は考えています。なので、気象情報会社として農業や漁業といった第一次産業に取り組むことは“必然”なことだと、私は思っています。さらには、自然を相手にする気象情報会社にとって、農業や漁業に関する仕事はビジネスにとっての一丁目一番地かニ番地に位置付けられることではないか…とさえ。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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