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文化の役目について:震災と福島の人災を受けて

大友良英
2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から

大友です。よろしくお願いします。本日の講義のタイトルは、「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」です。僕はこの10年ぐらい、芸大で年1回くらい講義をやっていて、音とか、ノイズとか、アンサンブルってなんだろうとか、そういう話をしてきたんです。なので、最初にこのオファーをもらった段階では、今日のようなことは想定外だったんですけれども、3月11日の震災があり、僕は福島で育ったこともあって、今、福島と東京を行き来して、福島に関する新しいプロジェクトを立ち上げようとしていて、今日は、その話をしようと思っています。といっても、政治の話でもなく、原発をどうやれば収束させられるかという科学の話でもなく、あくまでも文化の面から、自分が関われる面から話していければと思っています。

僕は、1959年横浜生まれです。戦争が終わって14年後かな。まだ米兵が街をうろうろしていたような時代に生まれ育ってます。物心ついたころは高度成長期で、1968年、小学校3年の秋に、父親の仕事の関係で福島に引っ越しました。これが僕の福島との縁の始まりで、親戚もいないし、それまでは縁もゆかりもなかったんです。それから大学に入る1978年までの10年弱、福島にいました。18歳のときに東京に出てきてからは正月に実家に帰る以外はほとんど福島と縁がなくなって、3月11日以前は福島の友達ともほとんど縁がない感じで過ごしてきました。なので、正直に言うと、福島には望郷の念もなければ、何もなかったんです。

それが、3月11日の震災のあと、こんな薄情な人間でも心配になるんですね。最初は親のことが心配で。でも、親の安否が分かったら安心したかというと、全然そんなことはなかった。おそらく皆さんもそうだったろうし、周りのミュージシャンを見ていてもそうだったんだけど、何とか東北のために動きたい、とみんな思ったんですよね。周りのミュージシャンなんか、普段、「人のために」なんてひと言も言ったことがないヤツらばっかりなんですよ。音楽だけはいいけど、みたいなしようもないヤツらが、みんな、「人のために」とか言い出したんですよね。オレもその1人なんですけど。

それだけじゃなくて、原発がボンッ! といきましたよね。福島に10年も住んでいれば、あそこに原発があるのはもちろん知っていて、地震が来たら危ないというのはみんな知っているわけです。でも、誰でもそうだけど、毎日地震におびえて生きているわけではなくて、僕も含めた大多数の人は、知っているけど考えずにきたんですよね。その原発が、ああいうことになった。特に、東京の水道水から放射能が出たとき、オレ、今考えると、東京はうっすらとパニックだったと思うんです。わーっと人が逃げたわけではないけど、僕自身もパニックになっていたと思うんです。でも、それとは比較にならない量の放射能が、そのとき、福島では降ってたわけですよね。

そんなことを考えると本当に心配で、両親が心配ということもありますけど、両親は、80歳前後の方たちな上に、すでにがんですから。放射線を浴びたら元気になるかもしれないくらいのブラックギャグをオレは考えてたんですけど(笑)。こんなことも言えない雰囲気だよね(笑)。今日、原稿起こしをしてもらってちゃんとUPしようと思ったんだけど、ダメだ、もう。話そらしたい。ちょっと一瞬。

東京から200キロのところで静かに殺りくが起こっている

あのさ、こんなおもしろい世の中ないじゃないですか。おもしろいっていうか、もうモンティ・パイソンの中にいるような感覚を覚えるんですけど。おかしいよ。おかしいよっていうかさ、だって、殺りくに近いことが起こっているんだよ。ただし、ゆっくり殺すっていう、ものすごいDEATHな感じだよね。何十年かかけて殺す。死なないかもしれない。法に触れないやり方でジワジワと住めなくしたり。オレはこれは、非人道的な事態だと思うんです。

なのに、いまだにテレビを見ると、火力発電だってCO2を出すでしょうとか、そういう話になるんですよ。火力発電がCO2出すのはその通りで、原発にも欠点もあるし、いいところもあるんだと思う。だけどこれは、非人道的な事態だということを、オレは、はっきり言った方がいいと思うんです。人殺しに近い、と僕は思っているんですよね。実際に、ナイフでグッて刺すと分かりやすいけど、そういう分かりやすい事態ではないことはとても厄介で。ナイフで刺すという例えはこの先もしていきますけど、すごく分かりやすいじゃない。ナイフでグッて刺したら、それは良くないよなって思いますよね。刺された人は、それは良くないよなって思う暇もなく、痛てっ!となると思うんですけど、これが、ものすごく長いスパンをかけて起こっている、と僕は思っているんです。

それだけじゃなくて、いきなり住む場所を奪われるということも起きている。水力発電も同じじゃないかという意見もありますが、水力発電で村が消滅することとは、僕は、比べちゃいけないと思います。水力発電の場合も非人道的かもしれないけど、合意の下に形成されている。だけど、今回の事態は、少なくとも合意ではないし、明らかに非人道的な事態が今、起こっているんだと思います。僕はそのことをまず、みんなに押さえておいてもらいたいと思っています。原発推進でも反対でもいいです。それは、それぞれが考えることだけど、少なくとも今、福島では、非人道的なことが起こっていて、僕は、非人道的なことは良くない、と思ってます。それが、イコール原発が良くないかどうかということは、僕が今ここで言うことじゃない。それぞれが判断すればいいと思ってますが、まずそこは押さえておいてください。その上で話を進めたいと思います。

福島の話をしましょう。3月はそんなわけで、僕もみんなと一緒で、毎日ネットとテレビに明け暮れました。にわか科学者になって、シーベルトって何だよとか、ベクレル? マイクロ? とか、100掛けると何? とか言いながら。本当に勉強してないっていうのはこういうときに出ますよね。それで3月は、正義感とベクレルの狭間に立って知恵熱を出して、もうダメだってなった。もうひとつ、福島に行けなかったという事情もあった。行っても邪魔になるって言われたんですよね。こんな何のスキルもないヤツがただ行っても邪魔になるし、ガソリンが福島では手に入らないので、車で行っても帰って来られなくなっちゃう可能性もあって、3月は行けなかったんです。だけど、もうやっぱり素朴に、心配でしようがなかった。そんなに望郷の念なんてなかった人間ですら、こうなっちゃうんですね。

そうしたら3月末ごろ、遠藤ミチロウさんから電話が来たんです。ミチロウさんも福島県出身で、僕の高校の先輩に当たるんですけど、9歳上なので学校では一緒ではないんですが、スターリンというバンドをやっていた日本のパンクの先駆けの1人ですよね。過激なステージで知られている人ですけど、そのミチロウさんから僕に電話があって、ちょっと相談したいことがあると言う。オレもミチロウさんに電話しようと思ってたんで、ミチロウさんに会って、福島ヤバいっていう話になった。ほかの被災地域ももちろん大変だし、本当にカオスだけど、福島の一番マズいところは、震災、津波、地震の被害だけじゃなく、やっぱり原発なんですよ。原発が収束しない。放射能が都市部でもかなりの値を示している。そんな中で、福島で復興って言っていいの? と。こんな状態で復興なんかできるのかよっていうのが、ぶっちゃけ正直なところで、それよりも、今この状態を何とかしなくちゃって。小学校の放射性物質を何とかしなくちゃとか、オレたちのところ、住めなくなっているんだよという中で、ほかは復興に切り替えられようとしているけれど、福島は今まだ、そんな状態ではないんですよ。

そんなふうにミチロウさんと話したあと、とりあえずオレ、福島に行くんで様子を見てくるって言ったんです。福島で何が必要なのか、考えてから動きましょうと。ミチロウさんもまったく同意見で、ミチロウさんの弟さんは二本松の病院に勤めているんですが、震災以降、1日も家に帰っていないという状態で、とにかくいろいろなことが大変なんです。そのとき、僕はもう、何をしたいとかじゃなくて、とにかく福島に行きたかった。まず親に会いたいし、弟が先に福島に乗り込んでたんですけど、弟は山登りとかラリーに出るので、サバイバルスキルがあって、援助活動をしているようなんですが、僕はそういうのがないので、ちょっと落ち着いて、福島でもガソリンが買えることがはっきりして、物資がそろってライフラインが整ったころに行きました。震災から4週間後でした。福島市に住んでいるミュージシャンや、音楽の企画をやっている人、福島市内のいろいろな人に会ってきました。

どんな報道よりもリアルに福島を伝えてくれた『詩の礫』

行く前に、福島発信の情報をネットで知りたいと思ったときに、一番便利だったのがブログとツイッターでした。福島で子どもを育てている普通のお母さんのツイッターとか、そういう人たちもフォローしてたんですが、その中で、僕がすごく注目して読んでいた和合亮一さんという詩人の方がいて、その方は最初は、避難所のこととかをつぶやいていたんですけど、途中から急激に、彼のツイッターが詩になっていったんですよね。『詩の礫(つぶて)』というタイトルで、どんどん詩を発表していて、それを読んでいたんです。和合さんのツイートは、詩を読むというより福島をのぞく窓になっていて、僕にとってはそれはどんな報道よりもリアルなものとして響いてきたんです。

それまで僕は、詩にはそんなに興味がなかった。正直に言うと、あんまりおもしろいと思っていなかったです。なんですが、初めて和合さんの詩を読んで、詩がおもしろいと思ったのではなくて、必要なものとして僕は読んだんです。今日は「文化の役目について」というタイトルだと思うんだけど、役目どうこうではなく、人間はやっぱり、言葉を発しないと生きていられなくて、その言葉の発し方にはいろいろあると思うんです。ひとつは報道するとか、友達と話すとか。だけどその中に、ある普遍性をもって発せられる言葉というのがあって、和合さんのツイートを見ていて僕はそのことにだんだん気付いていった。

なので、和合さんに会いたいと思って連絡をしたら、すごくうれしいことに、和合さんは僕のことをすでに知っていてくれたんです。たまたま、高校の後輩で、彼は7歳年下なんですけど、同じ高校からこういう音楽の人が出ているという感じで、何となく認識していてくれたみたいで、和合さんとも会うことができて、いろいろ話をしました。

みんな心からだらだらと血を流している感じがした

それで実際に福島に行って、人と会うと、みんな、ずいぶん話すんです。すごく明るく見える。だけど、話せば話すほど、これはもう僕だけの感じ方かもしれないですけど、それはもう、福島で会った人、ほぼ全員に言えるんですけど、会った人に対してすごく失礼な例えになったら申し訳ないんだけど、もうみんな心に傷を受けてるというか、心から血がだらだら流れているような感じがして。僕は今までにこんな人たち、見たことがないと思った。それは、家が壊れたり、追い出されて住めなくなった人たちじゃなくてもですよ。後々、そういう人にも会っていくんですけど、そうじゃなくて、ちゃんとライフラインも整って、普通に生活している人ですらそんな感じで、よくよく話を聞くと、例えば、ご家族が疎開しているとか。お店に客が来ないとか。ちょうどそのころ東京のテレビで、「福島は今、人が全然いません。シャッターも閉まってます」という報道があったんだけど、オレは良く知ってるんだけど、それは昔からだよ、と思うんだよね。そんなもの、日本中の地方に行ってごらんよ。人はいないし、シャッターも閉まってるよ。放射能のせいじゃないよ、と思うんだけど、報道でそうやってしまうと、まるで、それまで活気があったところがゴーストタウンになったように見せられてしまう。テレビマジックですよね。

オレはもう東京に30年住んでいて、生まれは横浜だし、福島には10年間しか住んでいないんで実質よそ者ですけど、福島に行って、福島の人たちと話して一番感じたのは、多くの人がものすごい被害者感情にさいなまれている。みんなが最初に共通して話すのは、風評被害のことなんです。実際に、風評被害はありましたよね。農作物が売れないとか、ホテルで宿泊を拒否されるとか。ほかにもたくさんあったと思うけど、福島で広がっている風評被害はそのレベルを超えていて、オレが聞いたことないのもあったんですよ。東京駅で福島の人だけにバッヂをつけようという話が進行してるとか。こんなの、東京ではほとんど誰も言ってないけど、福島ではみんなに、東京じゃそういうこと言ってるでしょって言われるんですよ。あと、福島の女の子とは結婚しないとか。それも1人だけじゃないんですよ、何人にも言われたんです。郡山市でも福島市でも。そういう話が向こうでブワッと広がって、こっちで言われている以上の状態になっている。これはすごく象徴的だと思うんです。オレが思うにそれは多分、どうしていいか分からない、自分たちは孤立しているという感覚、見捨てられているという感覚だと思うんですよね。現実に今それが、起こりつつあると思うんです。

見えない放射能の中で健全な精神が保てるか

オレが一番心配しているのは、実はそこなんです。福島の原発の問題、9カ月で何とかすると言っているけど、9カ月で収束して欲しいと思っているだけだと思うんだ。そのくらい事態は厄介だとみんな何となく思っている。首相が「10年、20年住めない」と言ったと怒っている人がいるけど、もしかしたら本当にそういう可能性もあって、特に原発の近所は本当にヤバイかもしれない。そういう中で、現実を正面から見るのは本当にコワイと思うんですよ。どうしていいか分からない。家族は疎開している。放射能値も高い。政府が発表している値も高ければ、YouTubeに載ってる学校の校庭にガイガーカウンター当てた値も、ビューンって上がったりしてる。そんな中で、健全な精神が保てるわけがないと思ってる。みんな「日常」とか言うけど、日常じゃねえとこで日常とか言ってんじゃねえよ! と言いたくなるし、ほかの地域はもう「復興」という方にだんだん今、切り替わり始めていますよね。それもすごく大切で、団結してそうしていかないとダメなところも本当にあると思うんだけど、福島はなかなかそうなれないということは、行ってひしひしと感じました。

放射能のとても厄介なところは、見えないんですよね。空を見ると、青空はすごいし、すてきだし、夜は、本当に東京なんかよりよっぽど月もきれいで、空気を吸い込むと空気もおいしいんですよ。放射能に味がついてたらいいよね。でも実際には味もないし、しかも、何年か後に何パーセントの確率で影響が出るという。放射能に関してはすごくいろいろ説が出ていて、何が正しいか見極めるのが本当に大変ですよね。ネットを見ると、放射能は全然平気です、体にいいです、と言ってる人も出てきていて、すっげぇ、体にいいんだ!? とびっくりしたけど、わらにもすがる気持ちの人はそれを見ちゃうと思うし、水道水から90何パーセント放射能を除去します、2万5千円と言われたら、やっぱりわらにもすがる気持ちのおばあちゃんとか、買っちゃうと思うんだよね。そんな状況。これは本当にコメディの世界なんじゃないかという、現実からひゅーっと自分が浮いていくようなことが福島では起こっている。…これじゃちっとも状況、分からないね。でも本当にこれはとっても分かりにくいんですよ。

海沿いに行くとすごく分かりやすい。ぐしゃぐしゃだから。だけど、福島市や郡山市は本当に分かりにくい。もちろんビルが傾いているところもあるし、屋根が落ちたりしているけど、そんなことじゃないんですよ。原発擁護派の人が、チェルノブイリで人が死んだのは、放射能よりも精神的にやられたからだというすり替え理論がありますよね。だけどオレ、それは事実だと思ってる。今は、放射能で直接被害が出ているというよりは、心の傷、心的障害だと。東京の人だってすごいと思うんだよ。テレビの映像をあれだけ見て、水道水から放射能が出ているって言われただけであんなになっちゃうのに、福島の状況たるや、ですよ。しかも、ちょうど僕が福島にいたときにレベル7の発表があった。福島のすぐ東隣にある川俣町とか飯舘村は計画的避難区域に指定されて、本当に福島は大丈夫なのか、ということが迫ってきている感じがするんですよね。誰にも、絶対大丈夫とも言えないし、本当にやべぇから逃げろよと言っていいのかどうかの判断もつかない。

みんな自信を失って心に傷を負っている

福島で和合さんに会ったり、いろんな人たちと会って、オレ、伝えたんです。遠藤ミチロウさんが福島でフェスをやりたいって言ってるって。みんな、最初、え? フェス? って言うんですよ。しかも、ミチロウさんのことだから、「原発なんかクソ食らえ」って歌うと思いますよって。『天罰なんかクソ喰らえっ!!! 』って歌ありますからね。「原発なんかクソ食らえ」っていう歌でミチロウさんがフェスをやりたいって言ってるけど、どう思う? って聞いたら、原発のことは言わないでと言う。これ、びっくりするでしょ。福島の人たち、原発に怒り狂ってると思うでしょう? 怒ってますよ、もちろん。怒ってるけど、言えない感じもあるんですよ。それは福島に育った人なら分かると思うけど、福島のいろいろな土壌もある。原発を推進してきたという負い目ももちろんあるけど、そんなことじゃない。

その本質的なことは何かというと、さっきのナイフの例えになるんですけど、ナイフで刺されて倒れている人がいるとするでしょ。まだ息はあって死んではいないし、病院に運べば大丈夫という人がいる。その人の前に、突然、東京から元気な正義感に燃えた人が来て、「ナイフ、ヤバイっすよね。ナイフ反対運動をしましょう!」と言うのにニュアンスとしては近いと思うんだよ。それはマズイ。マズイというか、まだその時期ではない。それよりも、そのけがをしている人たちをどうしたらいいか、という問題がひとつ。

だけど、ナイフで差されたけがならお医者さんのところに連れて行って縫えばいいよね。だけど今回のけがは、僕は、福島だけの話ではなくて、東京の人も含まれると思うけど、やっぱり「心」だと思うんですよね。「心」とか、オレ、今まであんまり、恥ずかしくて使わなかった言葉なんだけど、心の傷を治していくのは精神科のお医者さんだって言われるかもしれないけど、そういう傷とも違うんですよね。個人の問題ではなく全体が傷を負っている。その大きな原因は、これはもう素朴に、自信を失っていることだと思うんですよ。

僕らだって失いましたよね。自分が何していいか分からない。自分がひとつも役に立たないと思った人、いっぱいいると思うんだ。だけど、落ち着いて考えたら普段から役に立ってないんだけど、役に立ってないことを突きつけられたことがなかったんだよね。普段だったら、銀行に行ってオレが口座を作れなかったとしても、オレは役立たずだって落ち込まないんだけど、こういう状況の中だと、落ち込むっていうか、要するに、どうせ普段から役に立ってない人が、急に役に立つわけがないんだけど、みんな役に立たないって思った。役に立ちたいというのはとても尊い気持ちだと思うし、被災地以外の人ですら、そういう傷つき方をしてると思うんですよ。

「福島」をポジティブな名前に変換する

実際に被災地では、精神的にも財産的にも肉体的にも傷ついたというレベルの人から、本当に傷ついて心臓が止まってしまった人もいて、いろいろなレベルがある。そういうことでいうと、福島市の場合は本当に見えにくいし、それを認めたがらない人もいると思います。これを見て、そんなことはないと怒っている人もいるかもしれない。だから、あくまでもこれは僕の感じ方だけど、福島市とか郡山市の人たちの傷つき方というのはちょっと特異で、しかも、とても非人道的な事態で傷ついていると思ってる。それは何に起因しているかというと、さっきも言ったように、自信喪失だと思うんです。もうひとつは「福島」という地名に関することです。人は、自分の住んでる場所に対するある誇りみたいなものを持ってこそ生きられる、ということはあると思うんですよ。福島の野菜はうまいんだ、とかさ。東京より田舎だけど空気は美味しいとか、居心地がいいとか、何でもいいんだけど、オレはここが好きだとか、嫌いだ、でもいいんだけど、そういう思いの上に成り立つと思うんですよ。ところが、その住んでる土地全体に対する「福島」という名前が、チェルノブイリと同じような、原発事故を起こしてしまった不名誉な土地として、しかもそれまで、日本の外ではほとんど発音されることすらなかった名前がですね、いまや、めっちゃブランドのイメージ高いっちゅうか。世界中でこの名前、知らない人いないですよね。

海外のさ、ドイツのデモ見ると、「No More Fukushima」とか書いてあるわけね。そんなよその国のプラカードに「Fukushima」と書いてあること自体が、福島出身のオレとしては奇跡のような、不思議な感じなんだよ。自分たちの街にこれを置き換えてみれば分かりますよ。普通、よっぽどのことがない限り、そんなに有名にならないからね。だけど福島は、とても不名誉な形で有名になっちゃって、こんなもの、有名になったってうれしいわけがないよね。このことも、自信喪失の最も大きな根源のひとつになると思う。

それで、和合さんと話しているときに思ったんですよ。福島っていう名前が、不名誉な名前のままだったら、多分、福島の人たちはやっていけなくて、自信喪失したままだと。あともうひとつ、とても心配してるのは、すでに起こっていると思うけど、福島が切り捨てられていく。さっきも言ったけど、ほかが復興で明るい方向に向かってますよね。そのときに、復興に向かっていない福島のことは、やっぱり伏せておきたいという感情が働くと思うんですよ。そうすると、これまで日本でいろいろ起こってきた公害病と一緒になってしまって、そこの地域だけで起こっている特殊な事情だということにして、ふたを閉めていく。手厚く補償はするけれど、とりあえずこれはその地域の問題だということで収められていく。

だけど僕は本当に言いたい。これは福島だけの問題なのか。日本だけの問題ですらないと思ってる。チェルノブイリのときと一緒だと思う。オレ、これ、原発反対運動に持っていきたくて言ってるんじゃないですよ。そういうことじゃなくて、これは福島だけの問題じゃないとオレは思ってるんです。だけどそれを、福島だけの問題じゃないと言うためにはどうしたらいいか、ということですよね。ここでオレが、いくら福島だけの問題じゃないと言ったって、説得力はないですから。オレは、そういう意味では、チェルノブイリの方たちには本当に失礼だけど、チェルノブイリの名前は今までずっとネガティブなままで、例えば、原発をなくすための運動の象徴の名前として、オレたちもチェルノブイリを見習え、にはなってないと思うんですよ。なぜかといえば、チェルノブイリからは文化が出てないからだとオレは思ってるのね。あるのかもしれないけど伝わってないと思ってて、もしあったらゴメンなさい。オレ、こういうこと、今まですごく無知だったから。だけど、原発とはまた違う問題ですけど、広島は「No More Hiroshima」と言われるけど、それが不名誉な響きではない感じがしてるんですよね。平和運動の象徴として、広島の人たちは誇りを取り戻したような気がしている。だったら、福島という名前を、ポジティブな名前に転換していけばいいんじゃないか、と思ったんですよ。今、せっかくネームバリューが最高にあるんだから。

そのためには、イメージ戦略とかじゃない、本質的なことをやっていかないといけない。その本質的なことをやって、福島という名前をポジティブなものに転換していくものは何なんだろうと考えると、それは例えば、今ゴーゴーいってる福島の原発が、何らかの技術ができて止められたとします。それで、例えばだけど、福島がクリーンエネルギー特区になって、今まで効率が悪いと言われていた風力発電とか太陽発電とか、効率のいい技術に変貌して福島から出たとしたら、それだけでも多分、福島という名前はポジティブなイメージに変わると思うんですよね。

文化の役目はポジティブな「FUKUSHIMA」の未来図を描くこと

現実にそれをやるのは本当に大変だと思うけど、こういうイメージや夢を語るのは、最初は文化の役目でいいとオレは思うんですよ。文化にもいろいろあると思う。とっても傷ついている人の前で、現実を見せないで楽しい夢を見せるというのもあっていいと思うのね。そういう音楽があってもいいし、そういう映画があってもいい。今、福島の人たちに緊急に必要なのはそっちかもしれない。こんなに傷ついてる人たちに。だけどオレは、大量に楽しいものを投入するだけではなくて、その次の段階として、現実から目を背けさせるための文化だけではいけないと思うんですよ。福島をカジノ特区にしようという案も出てるよね。でも、カジノ特区だけでは福島という名前はポジティブな名前にならないと思う。

福島の名前をポジティブに転換していくということを具体的にやるのはすごく大変だと思うんだけど、日本で侍が刀を捨てて明治維新をしてからたった数十年で飛行機が実用化してるんですよね。そう考えると、できるんじゃねえか。100年後はどうせオレ死んじゃうから、無責任に言ってるんですけど。だけど、夢見る自由はあるだろう、というのがひとつ。その夢見る自由を失ったら、本当に福島は死んでいくと思うんだよ。オレ、福島に住み続けろと言ってるんじゃないですよ。放射能が本当に危険な場所に、オレたちは夢見る自由があると言って住み続けてはいけない気もしてる。放射能を除去する技術ができない限り、住めない場所があるのは事実だと思うんです。だけど、福島が全部住めなくなっているわけではないので、そのことを冷静に見つつ、住めないとなったときは、ものすごい厳しいけれど、それを判断することも必要で、それをごまかす文化じゃダメだと思うんですよ。ちゃんと見る。それは文化だけの話ではなくて、科学や政治も協同してやっていかなければならないことだと思う。福島という言葉をポジティブに変えていくために、オレはおそらく、科学や政治だけでは絶対に不可能で、文化の役目だと思ってる。

「FUKUSHIMA」から世界に文化を発信していく

その福島から最初に出てきた文化というのが、オレは和合亮一さんの詩だと思うんですよ。オレは、震災後の福島から出てきた文化を、福島から発信していく土壌を作る必要があると思ってるんです。今、現実には日本中が東京の文化をメインにしていて、圧倒的に東京の文化の情報発信で生きてきたと思うんですよね。東北地方、特に福島は微妙な位置で、新幹線が通ったおかげで2時間弱で東京に来られるし、東京文化圏にほぼ完全に治められている端っこみたいな位置付けだと思うんですよ。震災が起こる前は、福島から東京に向けて情報を発信することはあったかもしれないけど、でも東京の側でそれを受け取るという発想はなかったと思うんです。そもそもそういう必要、東京の人は感じてなかったし、福島の人もあきらめていた気もするんですよ。だけど、今必要なのは、福島からの発信の回路、東京経由じゃない発信の回路が必要だと思うんですよ。それで、東京から発信しているUstreamのTVのDOMMUNEが、福島からも発信されることになりました。「DOMMUNE FUKUSHIMA!」の名前で独立した放送局として、福島から情報を発信します。第1回の放送は5月8日です。福島の郡山市のKOCOラジというコミュニティFM、そこがUstreamを発信できるスタジオを持っているので、そこで、前半トーク、後半音楽とかDJでやります。ここから発信されるトークには、福島の人、東京の人、宮城の人、いろいろ出ます。初回は、東京の人は私、福島市の人は和合さんです。それから、仙台メディアテークのキュレーターの小川さん、南相馬の被災地から避難してきた消しゴムアートをやっている人もトークに出ます。東京からDOMMUNEの宇川直弘さんも来ます。後半は、オレのソロとか、七尾旅人のソロとか、レイ・ハラカミなんかが出たりします。という感じで、まず福島から発信できる回路を、2週間に1回くらい日曜日にやっていこうと思ってます。

そのときに、これからやっていこうと思っているプロジェクトを発表するんですが、重要なのは、まず福島から発信するということです。福島を孤立させないという意味もあります。その発信は、差し当たり日本語で、福島から国内に向けてになりますが、最終的には海外にも発信したいと思っていて、なるべくいろいろな国の言語に訳して、文章も発表していければと思っていますが、とにかく福島発のものを作っていく。あとは、8月のお盆のあたりに福島で大きな野外フェスティバルをやろうと思っています。これは放射能が大丈夫ならという前提です。野外フェス以外にも、屋内でいろいろなことをたくさんやっていこうと思っていて、もうすでに30人くらいの有志が、会社とか関係なくいろいろな人が集まってくれて、福島にゆかりのある人もない人も、それぞれいろいろなスキルでやっててくれて、ただまだ、素人集団なんで、もう少しプロフェッショナルが欲しいと思いながら動き出しているところです。このプロジェクトのひとつの大きな目的はやっぱり、単に音楽をやるとか娯楽をやるとかっていうことじゃなくて、福島の現状をどう見ていくか、ということですね。今の傷ついてる段階ではとにかく現実を忘れられるっていう娯楽も必要なんで、それも両立させつつ。この苛酷な現実と、まぁ正面から向かったら死んじゃうからね。最高に正面から向かうのは原発の前に行くことですからね。

今日、言いたかったのは、本当にひと言です。福島という言葉をポジティブに転換する。それはごまかしなどではなく、本質的に転換する。その為には何が必要か。ただ単に福島からすてきな文化が出たら転換するなんてまったく思ってない。そんなすてきな文化なら世界中にいっぱいあるからね。ロンドンだって、東京だって、大阪だって、京都だって、山のようにすてきな文化があるから。それだけじゃなくて、本質的には今の問題にどう向かうか。福島が次の未来図を作っていけたら、福島は今の負けの状態じゃなくなると思う。そのときに、現実をどう見ていくか。その見方の問題を最初に提示するのは、オレは文化の役目だと本当に思ってる。それがあった上で政治と科学がついてきてくれれば一番いいと思ってる。というのは今もう、原発を止める科学がなさ過ぎるから。それは誰かがやってくれないと。オレ、本当に無知で恥ずかしいけど、知らなかったんですけど、壊れてない原発止めるのにも何十年もかかるんだね。

今、本当に「不謹慎」なことは一体何なのかということ

僕らは相当無責任な音楽をステージでやっていて、フィードバックを勝手にするのが美しいとか言いながら、ギャーッ、ビャーッとか、勝手にさせてるわけですが、オレたちだって、ピュッてやればスイッチ切れるんだよ。だけど今の状態というのは、ビャーッてずっと鳴り続けている、スイッチを切れないフィードバックマシーンのような感じ。だからオレ、そういう機械を作ろうかなと思って。ゲンパツ君1号っていう名前なんですけど。スイッチ切れないんですよ。ノイズ出っぱなし、ダダもれ。バン! ってスイッチ入れた途端に2万年ぐらい音が出続けるんですよ。バーガガッ! 電源抜くと爆発するとかね。ゲンパツ君1号は最強のノイズマシーンとして、ノイズミュージックの世界にこれから君臨すると思うんですけど。すごく残念なのは、それを作る技術がないんだな、オレ。やばいかなこんなこと言うの。不謹慎?

でも、不謹慎なこと、言いたいよねぇ。あれ、同意を求められない(笑)。オレ、福島に行って現状を見て、それでもすごい不謹慎なこと言いたくなったよ。だって不謹慎だよ、この世の中のほうがよっぽど。こんな非人道的な事態を前に、非人道的とは誰も言わなくて、原発どうしましょうとか、テレビでのんきなこと言ってるんだよ。原発の良いところはですねぇとか。そりゃ良いところもあるよね。コストが安いとか。賠償金のことを考えなけりゃ、めっちゃ安いよね。賠償金どうすんだよって。朝日新聞に東浩紀さんが寄稿した「原発20キロ圏で考える」<朝日新聞 2011年4月26日(火)号 朝刊・文化欄>という文章を読んだ人いる? 原発の避難指示区域を取材して、小学校にランドセルがそのときのまま置いてあるところを見てきたレポートなんだけど、原発のコストにはここにランドセル置き去りにしなければならなかった子どもたちの分は入っていない。オレ、本当にその通りだと思う。家を無くした人に家を与えるコストは入るかもしれないけれど、子どもたちの心に残った傷のコスト、あるいは、僕らだってさ、臆病と言われるかもしれないけど、水道から放射能が出たと言われたとき、ビビったよね。オレ、やっべぇ、と思った。そういうコストは入ってないよね。こんな人として当たり前のことも通用しないなんて世の中の方がよっぽど不謹慎だよ。

もう話がぐるぐる回りになっちゃうけれど、正面から向かう、という話にもう1回戻ると、今の現状をどうとらえるか。解釈なんかできないよ。オレは、非人道的だ、ということと、これは不条理でコメディのようだっていう解釈しか、今はできません。だけれども、そこから何かを表現しないことには始まらない。だから、オレがここで不謹慎なことを言いたいっていうのも、すごく素朴な表現の種だと思うんです。ゲンパツ君1号を作りたい、みたいなことも。だけど、そういう直接的なパロディみたいなものが有効なのは瞬間的なことで、大切なのはその先だと僕は思っている。その先が何なのかは、オレは分からない。本当に分からない。でも多分、文化の役目だろうということだけは直感として思っている。芸術をやっている人はみんな福島に向かえと言っているわけではないんですよ。そういう意味ではないんだけれども、和合亮一さんの詩は、そこからやむにやまれず出てきた表現なわけで、そうしたものを抜きにして、この現状を正面にとらえることなんて出来ないと思うんです。

和合さんと会ったときに、和合さんがすごく象徴的なことを言っていた。「もう自分は壊れてもいい」と言ったんです。それは、「死んでもいい」という意味に取れるかもしれないけど、もうちょっと狭い意味にとらえると、詩人としての自分のキャリアはどうでもいい。現代詩とか何とかっていうのもどうでもいいっていうことだ、と僕は解釈したんです。その気持ちはすごくよく分かって、オレも、もともとそういうことはどうでもいいと思ってたけど、もっとどうでもいいというか、そんなことより、今、本当に必要なものは何か、だと思う。自分がこれからそういう中で、音楽で何をやっていくか、ということを考えていくしかない。これでも音楽家ですから。

黙って静かな殺りくに加担するか、未来を切り開く夢を見るか

今、やることがあまりにも多過ぎて途方に暮れつつ、でも、人と話すとずいぶん整理できるんです。だから、こういう場にも出てくるし、和合さんと話したときも、福島の街でラーメン屋のおばちゃんと話していても分かってくることはあって、ツイッター上で140文字でやりあうくらいなら、直接会って話した方が絶対にいいと思ってる。会って話すのは、例えば、賛成・反対の人がいたとして、賛成の人が反対の人を説き伏せるとか、反対の人が賛成の人を説き伏せるとかそういう話じゃなくて、もうちょっと違うところだと思ってます。単に言葉だけじゃなく、目や体の動き、表情、全部が表現だし、それをどう互いにとらえるかが文化です。そこから始めるしかない。

そういう意味で、福島に行ったり水戸に行ったり、同じ時期に京都にも行ったんですけど、いろいろなところに行って、いろいろな人と会うと、精神衛生上すごく良い。しゃべっているだけで、くだらないことを言うだけで。だから、ツイートでくだらないのを見るとホッとしたりしてね。タバタって知ってる? ギタリストの。初期ボアダムスにいて、今はNullとやってるゼニゲバとか。タバタくんのツイートがすごくいいんですよ。ものすごく正義感に燃えて原発のこととか書いてるんだけど、最終的にくだらないとこにどんどん落ちていく。そういうのを見るとホッとするというか。人間、立派なことだけで生きてるわけじゃないからね。人と会って、会うと大体くだらない話とくだらなくもない話が交互に飛びまくるんですけど、その重要さを本当に感じて。まぁそもそも、顔を見るのが良いやね、というのをすごく感じて。4月に入ってからこの1カ月間、今までの人生で一番、多くの人と会って話してるような気がします。ちょっと躁状態なのかもしれないと思うくらいよくしゃべってる。会った人もよくしゃべって、僕がずっと聞いてると30分もしゃべる人は福島に大勢いて、福島だけじゃないよね、多分みんな、しゃべりたいよね。しゃべりたいし、誰が何を言うか聞きたいという気持ちがすごくあると思う。今日ここにきてくれた人たちも、そういう気持ちが多分、あると思うんですよね。大友が今、何を考えているのか知りたい、と思って来てくれた人がいると思います。

最後にもう一度繰り返します。今福島で起こってるこの事態に対してどうしていくか、そこからどう未来を見つけて行くか。私たちの未来はそのことに本当にかかっていると思います。そしてそれが出来るのは、今この事態を最も身にしてみて体験している福島の人たちであり、この事態を引き起こしてしまった我々だと思うんです。将来「FUKUSHIMA」という言葉が、ネガティブな響きのままでいるか、それとも新しい未来を切り開く先駆けになった名誉ある地名として世に残るのかに私たちの未来はかかってると言っても過言ではありません。今この過酷な現実をどう解釈し、どう未来を切り開いてくか。文化の役目はそこにあると思ってます。今日はありがとう。

文責:内田理惠


Last updated: May 3, 2011

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