閉じたインターネットについての短い歴史

yomoyomoさんの「もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて」、面白かったですね。90年代からインターネットを利用している人であれば、最近はインターネットも変わってしまったな、と感じることがあるはずで、その是非については、文中にもあるように様々な議論がなされてきました。

あの頃のインターネットが大好きで、いまインターネット研究者をしている身としては、今日に至る変化を複雑に受け止めていますが、一方でなぜこうなったのか考えてみるのはなかなか面白いのではないでしょうか。

私は常々「インターネット三国志」のようなものを書けたら面白いかもと思っていたので、この機会にざっくり、やや妄想的になぜインターネットが変化したのか、考えてみます。


iPhoneがインターネットを再構築した

まず、yomoyomoさんのコラムでは言及されていませんでしたが、「今日のインターネット」(閉じたインターネット、不自由なインターネット、整備されたインターネット、なんでもいいですが)を生み出したのは、私はAppleだと思っています。

同社が初代のiPhoneを発売したのは2007年のこと。しかし本当の「スマートフォン元年」とでも呼ぶべきは、翌年の2008年、iPhone 3Gの発売とApp Storeの導入時でしょう。

iPhoneとApp Storeの組み合わせが、インターネットをどれだけ作り替えてしまうことになるか、Appleは少なくとも当初はそれほど自覚的ではなかったのではないかと思います。Appleはもともとハードウェアの会社なので、完璧なハードウェアを提供したい、そのためにはソフトウェアも一体的で完璧である必要がある、そのためにはアプリの流通を厳密に取り締る必要があり、そのためにはアプリストアが必要となる。そして運営のためには30%のアプリストア税が必要である……そんな感じではなかったかと妄想します。

Appleはアプリを取り締り、Safari以外のブラウザを許しませんでしたが、ウェブそのものはオープンであり続けました。おそらく同社は、クローズドなアプリ環境と、オープンなウェブ環境を、企業もユーザも選べることにしてバランスをとったのでしょう。そもそも、iPhoneが嫌ならPCもあるわけです。

しかし実際には、誰も予想できないほどスマートフォン市場は拡大し、iPhoneはその先鋒を担い続け、ユーザはウェブでなくアプリを選びました。多くの企業がオープンなモバイルウェブをリッチ化することに挑みましたが、失敗に終わりました。Flashなどは、iPhoneで動作することさえ許されませんでした。

かつて、MicrosoftがWindowsへのInternet Explorerブラウザをバンドルしたことで長い法廷論争を経験したこと、あるいは今も多くの通信キャリアがネットワーク中立性を巡る規制を受けていることと比較すれば、Apple/iPhoneが強固なプラットフォームを築いてきたことは、今となっては奇異なほどにも感じます。

とはいえ、これほどアプリ中心のエコシステムとなることは、Apple自身の予想をも超えていたのではないかと思います。テキストのコピペや、それらしいマルチタスクがようやく実装されたのは、2010年のiOS4のこと。すでにその時点では、アプリ間の情報は分断されてあたりまえ、相互に連携できなくてあたりまえで、独立したアプリ群による、閉じたインターネットが生まれました。

アプリ間連携を謳うサードパーティのサービスやアーキテクチャは多数生まれましたが、それ自体が「閉じた」ものであり、オープンなインターネットとは別物でした。

ウェブからアプリへの急激な変化にApple自身でさえ追いつけなかったことを考えれば、その他のテック企業が完全に出遅れてしまったのも無理はないことです。ノキアや、BlackBerryのRIMは、自分たちが支配していたはずのモバイル市場からあっという間に追い出されることになり、イノベーションのジレンマの例として教科書に名を残すことになりました。


唯一の対抗馬となった「外様」Android

この変化に追いついた唯一の例外が、GoogleのAndroidでしょう。iPhoneがハードウェアからサービスまでを垂直に繋げたことに対して、Androidはプラットフォームをライセンスすることで、多数のメーカーとの連携を実現させました。

Appleが生んだアプリストア、ストア税といった仕組みを模倣する一方、ストアの審査は緩く、公式ストア以外のアプリ流通(sideloading)も許されました。手本となったのはWindowsで、結果的にWindowsのような多様化とサービスの分断、繁栄と品質のバラツキを招くことになりました。

「Googleのスマートフォン」を生み出したAndroidが、もともとGoogleによって買収されたベンチャーで、Google本体から見れば外様部隊であったのは面白いところです。Androidを買収していたGoogleの先見を称えるべきかもしれませんし、ウェブとブラウザにこだわるGoogle本体では同じような成功を収められなかっただろうと言うべきかもしれません。

また外様であったがゆえに、Androidの成功をもってしてもなお、Google本体をモバイルシフト、アプリシフトにするのは難しかったのではないかと妄想します。検索という、オープンなウェブがあってこそのサービスを軸にした企業なので、それに反するような動きができないのは無理がないことかもしれません。

それでも、GmailとGoogleトークを保有し、Google Wave(2009年)、Google Buzz(2010年)、Google+(2011年)、Hangouts(2013年)といったサービスを生み出しておきながら、Whatsapp、Wechat、LINEのようなメッセンジャーアプリの台頭を見逃したのは痛恨だったはずです。

おそらく、同社がようやくアプリの時代に本腰を入れたと言えるのは、iGoogleとGoogle Readerという「利用者がコントロールする情報サービス」をやめ、Google Nowという「サービス企業がコントロールする情報サービス」に移行した2012-2013年ではないでしょうか。


出遅れたMicrosoft

PCの王者であったMicrosoftは、Officeを始めとするビジネスソリューションの王者でもあり、そのためコンシューマ側から生まれたこうした変革についていけませんでした。

2014年にNokiaを買収した時にはすでに遅く、同年にサティア・ナデラCEOへの交替を経て、Officeアプリの他プラットフォーム版提供、Acompli、Sunrise、Wunderlistといった人気アプリの買収などによって、iOS/Android上での展開に活路を見出します。

Microsoftにとっては幸いなことに、Googleは広告収益、アップルは端末とコンシューマ向けサービスの収益に満足し、ビジネスソリューションの分野へ本格的に挑んでは来ませんでした(今のところは)。

先に三国志と書きましたが、こうしてみると今日のモバイルは天下三分の計のように収まったと言えます。一番人気の端末を発売し続け、ブランド力を手にしたApple。多様な端末とサービスを展開し、ユーザの数を押えたGoogle。そしてビジネスソリューションの座を維持し続けるMicrosoftです。三社ともすでにベンチャーではなく、モバイル以前からのプラットフォーマーであったのは面白いところです。


モバイル向きだったFacebook

モバイル化、アプリ化により、こうしたメガテック企業の仲間入りが叶った数少ない例外が、Facebookでしょう(あと、もしかするとWeChatのTencentも)。Facebookはもともとウェブベースの企業であり、シェアボタンからFacebookログインまでウェブプラットフォームの企業でもありましたが、2012年に明確なモバイルシフト、アプリシフトを掲げ、HTML5ベースであったiOS/Androidアプリをネイティブに書き換えたところから躍進が始まりました。

Facebookにとって幸いだったのは、人を繋げるという同社の考えかた、そして同社の発明である(サービス側で情報の取捨選択を行う)フィードという形態が、共にモバイルとの親和性がとても高かったことでしょう。

また、すでにPCウェブ上での存在感があったため、人がモバイルへとシフトしていく中での橋渡しの役割を担ったとも言えます。比較すると、Appleはあくまでハードウェアの会社、Microsoftはソフトウェアの会社、Googleは情報の会社で、それぞれPC(Mac)かモバイルどちらか一方での強みはあっても、両者の橋渡しはできませんでした。

Facebookはスマートフォン上で生まれる人のネットワークを確保して、その延長線上でWhatsappやInstagramを買収、Messengerを生み出しました。一方、Facebook Phone、Facebook Home、Facebook App Center、検索といった、GoogleやAppleのプラットフォームそのものを脅かす動きは成功しませんでした。


以上が私なりにまとめた妄想インターネット三国志(+1)でした。こうして見ると、インターネットが中央集権的な、リアルと結びついた、閉じたものになったのは、誰かが意図的にやったというより、モバイル化・アプリ化が爆発的に進行する中で生まれた偶発的な産物のように見えます。

また、そうした「整備された仕組み」は結局のところユーザの利便性に繋がっており、ユーザが望んだ結果なのだということも無視できない事実です。

しかし、こうしたインターネットの再構築があまりにうまく行ったため、IoTとかMaker界隈とかVRとかAIとか、次の分野にもこの「成功モデル」が意図的に持ち込まれつつあるのが不安なところです。オープンなエコシステムをどう作り、どう維持するか、誰もが歴史から学んでいく必要があるのではないでしょうか。


余談1:こうしたメガテック企業の話をすると一緒に名前の挙がるAmazonは、異なる文脈に入れるべきと思って言及しませんでした。もちろんスマートフォンやタブレットを作ったり、アプリストアをやったりモバイル向けのサービスを展開したりしていますが、すでに関心はその先に向かっているように見えます。


余談2:ここに挙げた企業、端末、サービスの大半が「情報の受信者」のことを考えて最適化されてきたのに対して、「情報の発信者」を第一に作ってきたのがTwitterではないかと妄想します。特に創業者の一人、Evan WilliamsがBlogger、Odeo、Mediumと、一貫して発信者支援ツールを手がけてきたことは特筆に値します。一方、大半のインターネットユーザは自ら情報を発信しないという事実が壁になっているのですが、これはまた別の話。

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