2011年02月09日14:54 カテゴリ本科学/文化 「近代の超克」と京都学派 首相のいう「平成の開国」を本当に実行するには、明治維新以来の近代化を見直す必要がある。そういう思想的な試みは、何度も繰り返されてきた。「近代の超克」をめぐる座談会はその一つだが、こうした「日本主義」は結果的には「大東亜共栄圏」のような夜郎自大になって戦争に利用された。 ただ本書も示すように、よくも悪くもこの座談会の問題意識は、非西欧圏の「オリエンタリズム」に対する両義的な態度を典型的に示している。東北大学で教えたカール・レーヴィットは「日本の学生は2階建ての家に住んでいる。1階では日本人らしく考え、2階ではプラトンからハイデガーに至るまでの西洋の学識を学んでいる。彼らは1階と2階をどうやって自在に行き来できるのだろうか」と言ったそうだが、これは現代の日本人にも当てはまる。 コミュニタリアン的にいえば、日本人は
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