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historyとITmediaに関するihokのブックマーク (2)

  • 高橋利幸が「高橋名人」になった日

    こんにちは、高橋名人です。 今回は、空前のファミコンブームの訪れとともに、なぜ私が「高橋名人」になったのか、その経緯をお伝えします。 まず、なぜファミコンはブームになったのでしょうか。これはさまざまな要因が絡み合って生まれたということに尽きます。 その火付け役の1つには、1985年9月に任天堂が発売し、681万を売り上げたソフト「スーパーマリオブラザーズ」が、子どもたちの間で急速に広まっていったことがあります。また、一大ブームが到来する瞬間、つまり1986年1月~3月ごろは、店頭からファミコン体が消え、ほしいけども品切れで手に入らない時期が続き、それが消費者のさらなる購買意欲をかき立てたと言えるでしょう。 もちろん、任天堂だけに限らず、さまざまなゲームソフトハウスから、魅力的な新作が発表されていったということも大きな要因です。 これらが作り上げたブームの渦は、限りなく巨大化していきまし

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  • 競合ゲーム機「PSP」の脅威が任天堂社内を変えた

    競合ゲーム機「PSP」の脅威が任天堂社内を変えた:新連載・任天堂Wii 開発回顧録 ~岩田社長と歩んだ8年間~(1/4 ページ) 「Wiiのプレゼンテーションを最も多く経験した男」――。 自分自身のことをこう紹介するのは後ろめたさもありますが、おそらく事実です。私は2001年にプログラマーとして任天堂に入社し、プランナーに転身後、据え置き型ゲーム機「Wii」の企画担当として初期のコンセプトワークから、ハードウェア、ソフトウェア、ネットワークサービスの企画および開発すべてに横断的にかかわり、岩田聡さん(前任天堂社長)ともお仕事をご一緒させていただく機会を得ました。 Wiiは2006年12月に発売してから60週間で全世界での累計販売台数2000万台を突破しました。その後、2015年12月末までの累計販売台数は1億台に上るなど、任天堂史上でも記録的な売り上げを樹立しました。どうしてここまで多くの

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