1974年に長野県の諏訪中央病院に赴任して以来、「地域に根ざしたあたたかい医療」を実践、その経験を綴った『がんばらない』がベストセラーとなって10年。このほど「がんばらない」の考え方をさらに進化させた新著『がまんしなくていい』を出版した。脳内神経伝達物質であるセロトニンとオキシトシン――。「この科学的な物質のことをちょっと理解するだけで、生き方が楽になり日本全体も幸せになる」と説く。「女性より疲れている男性にこそ今回は読んで欲しい」と強調する鎌田實氏に、「今、日本に必要な新・脳内革命」とは何かを聞いた。

(聞き手は石黒 千賀子)

『がんばらない』を出版されてほぼ10年経ちますが、なぜ今、『がまんしなくていい』を書かれたのでしょうか。 

鎌田實(かまた・みのる)
1948年東京都生まれ。74年3月東京医科歯科大学医学部を卒業し、同年、長野県茅野市の諏訪中央病院に赴任。88年諏訪中央病院院長に就任、2005年同病院名誉院長に。茅野市に赴任して以来、一貫して住民と共に作る医療を実践。チェルノブイリの救援活動やパレスチナでも医療活動を展開。2006年読売国際協力賞受賞。著書は『がんばらない』『あきらめない』『病院なんか嫌いだ』『空気は 読まない』『アハメドくんの いのちのリレー』など多数。(写真:菅野勝男)

鎌田:『がんばらない』を出したのは2000年9月。ちょうど20世紀最後の頃で、当時、「日本人にとって20世紀とはどんな世紀だったのか」を考えていました。明治で開国して西洋列強に追いつこうとがんばって、もっと豊かになろうと戦争も何回かした。太平洋戦争で負けてすべてを失ったが、日本は再びがんばって奇跡的復興を遂げた。つまり、日本にとって20世紀は「がんばる世紀」だった。

 しかし、様々なものが既に制度疲労を起こしていました。100年を振り返った時、20世紀、日本はがんばるだけだったために、大切なものを何か置き忘れてきたのではないかと思い、「がんばらない」ことも大事だと伝えたくてあの本を書きました。

 そして今、21世紀に入って10年ちょっと経ちますが、最近の日本人は、いろいろ我慢して、相手の顔色をうかがって、空気を読んで、その結果、何か視野が狭くなっているように見えます。かつてのように世界中が欲しがるような驚く新製品や発想が出なくなっている。国としての競争力も落ちている。もっとリラックスして大きな視野で物事を見ないと、世界で戦っていけないのではないかと常々、感じていました。

 今、うつ病でなくても、うつ的な人というのが10人に1人ぐらいいると言われています。気持ちがうつうつとしていると経済にも悪い。将来の予想もネガティブになるから、意識が職員や社員を減らそうという方向に向かう。日本はこの十数年、「小さく、小さく」と、そうやって縮こまってきた気がします。

最近の日本人はセロトニンが足りなくなっちゃっているんじゃないか

 一方で、僕は内科医として39年間、「健康」ということにこだわって医療活動をしてきた。その経験を通じて最近、いろんなことが結びついて、僕の中である確信のようなものが生まれつつあります。背景には科学や医学の進歩もあります。その確信とは、ちょっとした気持ちの持ちようで毎日が随分変わるし、それは本人にとって毎日の生活が明るくなるだけでなく、本人の健康にもつながるし、ひいては日本全体の医療費増大にも歯止めをかけることにもなる。その発想の転換をこの本でしてもらえたらと思い、『がまんしなくていい』を書きました。

医学の進歩とは、本に出てくるセロトニンとオキシトシンという脳内神経伝達物質の解明が進んで、人の気持ちにどう影響するかが明らかになってきたということですね。

鎌田:そうです。脳の中では、ニューロン(神経細胞)のネットワークが膨大な情報を電気シグナルとしてやりとりしている。そのやりとりによって、僕たちの体は動いている。このニューロンとニューロンの間で情報をやりとりするときに欠かせないのが脳内神経伝達物質で、100種類上あるとされています。現在その働きが確認されているのは25種類ほど。セロトニンはその1つで、体温調節、ホルモン分泌に関与するだけでなく、不安やイライラを抑えて精神を安定させたり、沈んだ気持ちを明るくしたり、穏やかな幸せ感をつくる作用があるとされています。

 5年ほど前から、このセロトニンがうつと関係しているのではないかと言われるようになり、セロトニンが足りなくなるとうつ病になりやすいことが分かってきた。厚生労働省によると、うつ病が大半を占める「気分障害」の患者さんは現在約100万人いますが、今やうつ病の新薬のほとんどは、脳内にあるこのセロトニン量を増やすものです。

 僕が思うのは、最近の日本人は、このセロトニンが足りなくなっているんじゃなか、と。

セロトニンを増やす必要がある…

鎌田:一方で、セロトニンは脳内で出せることも分かってきました。どうやったら出せるのかという研究で、笑ったり、小さな感動で出ることが判明しています。だから、うつ病でない以上、薬を飲む必要はないわけで、むしろ発想を転換して、みんなが自分でセロトニンが出るような生き方をすればいいわけです。

小さな感動をキャッチしていく心構えが大事

 例えば、通勤途上の道の端に咲いている小さな花をみつけて、「きれいだな」と思えば、セロトニンは出る。あるいは美しい夕日を見る。

 夕日が落ちる時間、サラリーマンは忙しい。今の日本は、思わず部長や課長が「おまえ、何言っているんだ。そんな暇があったら働け」と言い出しそうな雰囲気です。これがよくない。誰かが「夕日がきれいだ」と言ったら、「おお、そうだな…」と夕日を見て、再び机に目を戻す。5秒でいい。これで生産性が落ちるわけがない。みんなの脳内でセロトニンが出て、生産性はむしろ上がるでしょう。

 内科医の立場からすると、締め付けの厳しい職場は精神衛生上よくない。そんな中で、新しい発想の商品やビジネスが生まれるとは考えにくい。むしろ、うつがさらに蔓延してしまう。

 セロトニンは、質の高い睡眠をもたらすことでも知られていますし、スイスの大学の研究によると、怒りのコントロールに影響を与えることも明らかになっています。セロトニンの量が低下すると、攻撃性や恐怖に関わる脳の扁桃体という場所と、理性と抑制に関わる前頭葉の連携が弱くなって、怒りを抑制しにくくなるという研究結果が出ています。

 ちなみにセロトニンは、トリプトファンという必須アミノ酸からつくられるので、トリプトファンが豊富な赤身の魚やチーズ、肉を摂取するのもいい。ただ、たっぷり分泌するには、食べ物以上に、小さな感動をどんどんキャッチしていくという心構えが大切で、その意味で、今こそ日本の男性には大げさな言い方をすると「新・脳内革命」が必要だということです。

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