ライブハウス回想記

 今から思えば、ライブハウスでコンスタントに20人くらいの観客が呼べるようになったのは、ようやくメジャーデビューが決まる頃だった。

 そこまでの奮闘というのは、自分の人生のなかでも最も暗澹たる時期というか、みんなで働いて時間が全然合わなくなったり、気持ちもバラバラになったり、思い切って脱サラしたらお金が本格的になくなったり、まったく人気がなかったり、とにかく散々だった。平日の下北沢や正月明けの渋谷で、全バンド合わせて5人にも満たない観客の前でライブをして、一体何の時間だったのだろうかと途方に暮れたこともあった。はっきり言って、俺の青春はライブハウスと共にあった。

 下北沢のライブハウスの昼間のオーディションでは、ブッキング担当から音楽性に対する説教を食らった。チケットノルマを取られて説教食らうなんて馬鹿らしいと思った。シェルター以外は二度と出るかと思った(西村さんは説教しなかった。そして、結局、シェルター以外も出たんだけど)。

 そう言えば、シェルターはチケットノルマがなかった。横浜から下北沢にライブしに出かけると、機材車の駐車場代だけでも高くつくので、一枚目からバックがあるのが嬉しかった。けれども、土曜や日曜の昼間のライブにどうやって客を呼んだらいいのかわからなかった。そんな時間からライブを観に来てくれるのは友達だけだった。アジカンとバックホーンが同じ日の昼に出ていたこともあったけれど、当時は全然お客さんがいなかった。潔が松田君からステッカーを何枚も買っていて、あいつが一番良い客だと思えるくらいだった。

 そこから20人までの道のりは本当に険しかった。というかむしろ、0人を1人にするのが難しかった。俺の音楽は誰にも見つけてもらえないまま、人生が終わってゆくのではないかという恐怖感もあった。やめようと何回か思ったけれど、諭してくれる友人や先輩がいたのでやめなかった。本当にやめなくて良かったなと思う。

 0を1にする場所って、とても大切だと思う。

 これ意味あるのかな、みたいな意味のない夜をいくつか経て、ようやくわかることもあったし、今から思えば、数々の失敗を重ねられたのも良かったと思う。場数みたいなものが役に立つのはなんだって同じだけれど、全力でズッコケたりできたのは、0から1へと暗中模索する場所や、1を20にする過程でだった。

 商売とかセールスとか、そういうところからの視点だけで眺めれば、何をチマチマと馬鹿なことやってんだろうって話かもしれない。けれども、ちゃんと失敗できる場所って、俺はとても大事だと思う。で、正解とか間違いとか、そういうのはやってる本人たちのものであって、何が失敗で成功かも、その都度自分たちで考えてやるしかない。戻ってるのか進んでるのかもわからなかったけれど、俺たちには少なくとも、そういう場所が必要だった。

 1stアルバムのほとんどの曲は、そうした失敗のなかで産み出したものだ。0を1に、それから20にするための日々のなかで、だ。振り返ったら軽く泣いちゃうよ、オジさんは。最近、歳のせいか涙もろいからね。

 これはスマホもなかった15年くらい前の話。


 さて。

 俺は今週、「10人以下の集客のバンドはライブを控えろ」という文意の過激なタイトルのブログを読んで、猛烈に頭に来て、「読む価値もない」と断言したツイートをしてしまった。俺のツイートは「俺様が言っているんだぜ」的な、かなり偉そうな口調に読めるのは確かで、その点はとても反省している。価値を決めるのは読み手それぞれであるのは間違いないことだから、俺の書き方がまずかったと思う。

 ただ、今でも、あのブログは別に取り立てて新しいことが書いてあるでもなく、ノルマ問題を解決するために何かをはじめる様子でもなく、取材に基づいた記事であるようにも読めず、あれから文章やタイトルにも手が入っているし、改めて読む必要がないと俺は思う。

 もちろん、俺の文章だって読む価値がないと判断されることだってある。それは仕方がない。何かを書いて、それをどこかに発表するって、そういうことだから。俺の文章や音楽に対して、受け手は勝手に評価していいに決まってる。それが怖くっちゃ、何も書けない。誰の前でも歌えない。ブログだって同じ。何かを世に問うなら、土俵はひとつしかない。

 大体が大人気ないね、俺は。性格も悪い。老害まっしぐら。「オジさん、必死だなwww」みたいな感じかもしれない。

 それでも、必死にやってきた、ライブハウスで。チケットノルマなんて、初めてのライブ(20年前)のノルマが1600円×30枚だったときから、なんだこりゃと思ってる。思ってないヤツいないだろ(いるかもだけど)。でも、買い手だから仕方がなかった。失敗する場所(あるいは成功する場所)がどうしても必要だったんだから。金払ってでもライブしたかった。

 そういうなにがしを、ちょっと踏んづけられたような気分に俺はなった。勝手に仲間たちのことも思った。大きなお世話だし、感情的になったのも確かだと思う。

 同じライブハウスの記事なら、こちらを読んで欲しいなと思う。現場の言葉が書かれていて、とても面白い記事だった。やっぱり取材は大事だよなと思った。

http://spincoaster.com/interview-suganami-you-from-shimokitazawa-three

 最後に。すいぶん昔にウブちゃんが細美君に言った「ダメだったらまた自分たちだけでライブハウスから始めればいいじゃん、バイトしながら」ってエピソードが俺はとても好きなんだよね(ニュアンス違うかもだけど)。また0からやればいいじゃないかって。

 すごく素敵な言葉だと思ったし、今でもそう思う。時代によって変化はあるだろうけれど、0を1にする場所はなくならないで欲しいなと思う。

 未明がなければ、夜は明けない。

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