2020-04-27

働くな、嫌われろ、そして誰かを愛せ

(訳注:「これは水です」以来の翻訳です。COVID-19で世の中が様変わりした今だからこそ、人間の普遍的なところを説いたこのスピーチを訳してみようと思った次第です。原文はこちらで、YouTubeにビデオも上がっています。)

ウィーキムウィー通信情報学部の教官ならびに職員の皆様、本日は卒業式スピーチに呼んでくださり誠にありがとうございます。これから10分ほど、矛盾を指摘されることも、名誉毀損で訴えられることも、復讐されることもなくお話ができることは、シンガポール人として1、そして夫として、身に余る光栄であり特典であります。

私の妻は素晴らしい人です。唯一欠点を挙げるとすれば、それは彼女が編集者であるということでしょうか。

彼女の生業は人の間違いを正すこと。四半世紀に渡り、夫婦の会話という舞台を中心に、その技を磨いてきました。

一方私は訴訟弁護士です。いかに相手が間違っているかを渾々と説き、そうすぐには折れないことが私の役目です。しかし家庭にあるのは完璧と言ってもいい平和と調和。それもそのはず、編集者と訴訟弁護士が矛を交えた時、勝つのは妻だと相場が決まっております。

ここでひとつ男性陣にアドバイス。相手のハートを射止めたなら、議論でいちいち勝つ必要などございません2

結婚は人生の節目と言われております。みなさんの中には既婚者もいるでしょう。生涯未婚の方もいるし、いつか結婚する人もいる。結婚が楽しすぎて、何度もしてしまう人もいるかもしれない。すべての人に幸あれ、です。

結婚の次に大きな節目は今日、つまり卒業式です。教育は今日で終わり。もう勉強はおしまいです。 「教育は人生であり、だからこそ勉学を続け、いずれは修士か博士を取り、教授になるものも…」みなさんも一度は聞いたことがある大嘘です。この嘘を吹聴するのは決まって教職者です。お得意さんが必要なのは彼らも一緒です。

幸いなことに、彼らは間違っています。そして残念なことに、教育が今日を持って終わると同時に、あなたの人生も終わります。二十歳そこらのみなさんにはショックな知らせですね。君たちは70、80、90歳まで生きると言い張る人もいます。それが平均寿命だ、と。

平均寿命3ーなんて良い響きでしょう。でも平均というくらいなんで、母集団から算出した数字です。今日はそんな話はどうでもいい。それよりも、あなたが自分の人生をどうするか、です。

シンガポールの平均寿命は世界第3位。みなさんの中にはこれを聞いて喜ぶ人もいるでしょう。我々より上にいるのはアンドラと日本、そしてサンマリノが同じくらい。これらの国がなぜ長寿なのか、実はひとつ共通点が…どこもサッカーが絶望的に弱いんですよね4。弱すぎて期待値も低いので、ワールドカップを観戦して血圧が上がることもない。試合中に微睡んでしまえるくらいです。

シンガポール人の平均寿命は81.8歳。男性は79.21歳で、女性はそれより5年長く生きます。長いトイレの時間分、長生きなのかもしれません。

そして本日、20代のみなさんはこう考えます。まあ後40年くらいは大丈夫だろう、と。40年悠々と生きていこう、と。

そうは問屋が卸さない。新聞を読んでご覧なさい。50代・40代・30代の人たちがバッタバッタ死んでいます。ひょっとしたら卒業式の後、死ぬやつもいるかもしれない。平均寿命に到達できなかった彼らは、さぞかし悔しがって死ぬでしょう。

今日はそれを伝えにきました。自分の寿命など忘れなさい。

寿命は平均値です。人生を平均値で考えてはいけません。

今一度、みなさんに託された様々な期待を思い起こしましょう。就職し、恋に落ち、結婚し、家族を持つ。給料の良い仕事につき、猛烈に働き、大きな仕事を任され…そんな話をすでに何度も聞いているでしょう。

これらは全て、あなたに期待されていることです。そしてもし皆さんがその期待に応えたなら…まあなんとつまらない人生でしょうか。

もし、あなたが自分自身にそんな期待を抱いているなら、自分で自分の首を締めているのと一緒。平均的人間が敷いたレールに乗り、彼らが作ったルールに則った生き方。私は平均的な人になんの恨みも辛みもない。けれど彼らのようになりたいとは微塵とも思わない。そして皆さんが平均的に生きたければ、何もシンガポール最高レベルの教育機関で年月を過ごす必要はありません。

人生はカオス

じゃあ何を期待すればいいのか。あなたを待ち受けるは人生、またの名はカオスです。皆さんは人生に期待するべきじゃあない。人生は不公平です。最後で帳尻が合うこともない。勝手に進んでいく人生において、あなたが制御できるものは何もない。いいことも悪いことも毎日毎時刻々と訪れる。運命という矛が相手では、今日もらう卒業証書も大した盾にはならんでしょう。

期待するのはやめなさい。平均寿命も忘れなさい。ただ生きる。あなたの「人生」は終わったのです。これ以上身長も伸びなければ、今以上に健康にもならんでしょう。ルックスだってこれから下り坂。今が人生の頂点です。こっからは落ちるのみ。いや、上がるのみかもしれない。そんなん誰にもわからんのです。

これがみなさんにとって意味すること、それは「今日をもって人生が終わった。そして、それは良いことである」ということです。 人生が終わったんだから、あなたは自由です。自由になるとどうなるかについて少し話しましょう。

働くな、遊べ

自由を得た今一番大事なこと、それは「労働をするな」です。

人に言われてやるのが労働です。強制されてやるものである以上、労働は不愉快なものです。 労働は人を殺す。日本には「過労死」という言葉があります。これは文字通りリアルに労働が人を殺す現象ですが、労働はもっと巧妙なサイレントキラーでもあります。毎日少しずつ、あなたのココロを削っていく。岩が砂塵になるように、いずれ何も残らなくなるまで、です。

労働は必要であるーよくある誤解です。クソみたいな仕事に就いている人に出会うでしょう。彼らは「生きるため」と言う。そんなん嘘です。彼らは死に急いでいるだけ。少なくとも無意味で、下手したら有害な労働に細りゆく命を賭しているのです。

労働は人生を豊かにするーそんなことを言う人もいる。労働は人間に尊厳を与える、と。労働はあなたを自由にする、と。"Arbeit macht frei"ー強制収容所の入り口に、ナチスドイツが掲げていたスローガンです。

人生9回裏のささやかな物理的安寧のために、その大半を嫌いなことをして過ごすなど馬鹿げています。そもそも9回裏の前にコールド終了かもしれない5

仕事に就く誘惑を断ち切りなさい。その代わり遊ぶんです。好きなことを見つける。そして見つけたらやる。徹底的にやる。いずれ得意になります。そりゃそうだ、好きでずっとやってんだから。いずれその好きなコトに価値が生まれるでしょう。

私は昔から理屈屋でコトバが好きでした。だから訴訟弁護士になった。楽しくて仕方ないし、無給でもやるでしょう。もし弁護士になってなかったら、なんらかの物書きになっていたでしょう。スポーツ記者ってところでしょうか。

ではあなたは何をしたらいいのか。何れ自分のニッチを見つけます。そんな難しいことじゃあない。こんだけ生きてきたのですから、何をしたいかくらい見えているはずです。もっと贅沢を言えば、寝ても起きても頭を離れないくらいのことがちょうどいい。それがあなたのニッチです。例えば、教えたがりで、優越感に快感を覚えるなら、教師なんて最適です。

考えるだけで元気になり、あなたの全てを喰らい尽くし、夢中になれるものを見つけなさい。毎朝、無尽蔵の情熱と共に起きる。それができないとしたら、それはあなたが働いている証拠です。

真実には慎重に

皆さんの大多数は、なんらかのコミュニケーションを必要としていくでしょう。そこで2つ目のメッセージが、「真実には慎重に」です。真実を言ったり書いたりしろという話ではありません。むしろ真実を伝えることが不可能な場面もあります。真実には人をキレさせたり傷つけるチカラが多分にあるが故、オブラートに包み、時にはひた隠す必要があります。みなさんにとって大切な人や近しい人が相手なら、尚更です。あえて真実を伝えず、時として誤魔化すことは、良心的ですらあり、価値あるスキルになります。後先考えずに真実をぶちまけるくらい、子供でもできる。沈黙を味わうことこそが、大人の証です。

そして、真実に慎重であるためには、まずもって真実を知らなくてはいけません。そのためにも鏡に映る自分に正直でありましょう。

嫌われろ

人生はすでに終わっており、働くべきではなく、真実を伝えるなと言いました。次に言いたいこと、それは「嫌われろ」です。嫌われるのはそう簡単ではない。あなたのことが大嫌いな人がパッと思い浮かぶでしょうか。人類に貢献してきた偉人たちは、総じて嫌われてきた人たちです。それも一人二人ではなく、大勢に嫌われてきた。その憎悪たるや時として凄まじく、疎外され、迫害され、殺害され、十字架にはりつけられた男の話は誰もが知るところです。

嫌われるためには、何も悪人である必要はありません。むしろ、自身の信念に従って行動しようとする時にこそ、人は嫌われるのです。好かれることは簡単だ。信念を持たずに周りに同調していれば良い。そして段々と居心地が良くなり、平均に収束していく。そんなんで良いのでしょうか。世の中にはクソ野郎6がたくさんいます。もし彼らから嫌われないとすれば、あなたもクソ野郎かもしれない。万人に好かれることは、何か生き方を間違っている証拠です。

誰かを愛せ

誰かを愛せ、これは「嫌われろ」と対の私からのメッセージです。

愛されろ、ではありません。愛されることは妥協が大きすぎます。容姿・性格・価値観を変えてしまえば、誰からにだって愛されるようになります。

そうではなく、一人くらい愛し抜いてみろという事です。妙なことを言うオッサンだと思うかもしれない。そんな深く考えなくても、自然と起きるだろうと思うかもしれない。それは間違いです。現代社会はアンチ・ラブです。お互いをくまなく観察し、欠点・欠陥を引きずりだしているのが今の社会。誰かを愛さない理由を見つける方が百倍楽。捨てるには理由はひとつでいい。その一方、全てを受け入れることでしか愛は成立しない。愛とはクソ大変な労働であり、私が人生で唯一意味を見いだせる労働です。

誰かを愛することで、様々な恩恵があります。相手を敬愛し、相手から学び、相手に魅せられ、そして…いわゆる幸せを感じることができます。誰かを愛することで、我々はより真っ当に生きようと思い、物欲の無意味さを知り、人間としての喜びを噛み締める。愛はココロの栄養です。

誰かを愛することと同じくらい、愛する誰かを選ぶことも大事です。ぎゅうぎゅうのダンスフロアで目が合い、パッと愛が芽生えるのは、ドラマの世界の話です。現実では、ゆっくりと根を下ろし、枝を伸ばし、花が咲くものです。雑草ではなく、雨にも風にも負けない悠然とした木、それが愛です。

誰かを愛した時、皆さんは気づくと思います。顔より大事なのはアタマであり、体より大事なのがココロであると。

相手から愛されることはそこまで大事ではない、ということに何れみなさんも気付くでしょう。愛されるために愛すのではありません。自分が輝けるために愛するのです。

最後に、愛というのもはゼロイチです。全くもって愛していないか、何を誰を差し置いても体の全細胞で愛しているか、二つに一つ。その愛に全身全霊を注ぐことで、みなさんは生まれ変わります。

働くな。真実を言うな。嫌われろ。そして誰かを愛せ。



  1. 比較的オープンではあるが、こと政治に関してはメディア統制の厳しいシンガポールならではのジョークと思われる。

  2. “Win one's heart” =「意中の人を射止める」と“win an argument”=「議論でやり込める」を掛けている。

  3. 原文では、(life) expectancy=「寿命」と、expect=「期待する」をかけている。

  4. そんなに日本はサッカーが弱くないだろと思い、調べてみた。このスピーチ当時(2008年7月)の日本のFIFA世界ランキングは34位。対するアンドラは183位、サンマリノ199位、シンガポール127位なので、いささか誇張が過ぎる。だが、日本人の気質として、例えサッカーで世界一になろうとも、中南米・欧州のような狂気的な行動に出ることは考えにくい。

  5. この野球の例えは完全に筆者の意訳である。サッカーで日本が超弱小国扱いされたので、代わりに日本がWBCで2度優勝したことのある野球をだしてみた。

  6. 原文では性別を示唆する表現はない。単に“Bad People”となっている。だが、話のトーンと流れとしては「クソ野郎」が適切に思えた。ここで男女双方を指す表現を、と考えると、「クソ野郎とクソババア」となり、さすがにスピーチの原型を留めなくなってしまうので、男性形だけにすることにした。

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