宮崎 湖処子(みやざき こしょし、1864年10月20日元治元年9月20日〉 - 1922年大正11年〉8月9日)は、日本の宗教家小説家。本名は宮崎 八百吉(みやざき やおきち)。

宮崎 湖処子
誕生 宮崎 八百吉
(1864-10-20) 1864年10月20日
筑前国下座郡三奈木村
死没 (1922-08-09) 1922年8月9日(57歳没)
東京府北豊島郡滝野川町中里
職業 小説家詩人評論家宗教家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京専門学校
ジャンル 小説批評翻訳
ウィキポータル 文学
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人物・来歴

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筑前国下座郡三奈木村(現福岡県朝倉市)に生まれる。中学を終えて上京し、1884年明治17年)に東京専門学校早稲田大学)に入学する。在学中に洗礼を受け、キリスト教の信者となる。卒業後、国民新聞の記者として主に文芸面を担当、批評をかく。その間に発表した小説『帰省』(1890年6月、民友社)や詩集『湖処子詩集』(1893年11月、右文社)が評判となる。その後、1897年(明治30年)ころから民友社をはなれ、キリスト教の伝道に力をつくした。

1922年8月9日、脳溢血のため東京府北豊島郡滝野川町中里の自宅で死去[1]

現代日本文学大系』の「帰省」を収めた巻の解説で、小田切進は、「作者の資質が浪漫的な抒情詩人にあった」「藤村が登場する前の抒情詩人としては、第一人者として並ぶ者のない貴重な存在」と述べている。

著書

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単著

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  • 『帰省』民友社、1890年6月。 NCID BN12037739全国書誌番号:41000494 
  • 『幻影』春陽堂、1892年6月。 NCID BA48389703全国書誌番号:41010725 
  • 『ヲルヅヲルス』民友社〈拾貮文豪 第4巻〉、1893年10月。 NCID BN08623895全国書誌番号:41000025 
  • 『湖處子詩集』右文社〈ニッケル文庫 第2編〉、1893年11月。 NCID BA35897086全国書誌番号:99023678 
  • 『湖処子文集』倉田清、1906年2月。 NCID BA35239082全国書誌番号:41011405 
  • 『半生の懺悔』 故郷編、如山堂、1908年11月。全国書誌番号:40018983 
  • 『基督教大系』警醒社、1908年3月。 NCID BA46709199全国書誌番号:40049588 
  • 『自白』如山堂、1908年7月。全国書誌番号:41009295 
  • 『精神科学 宇宙ト人生』前川文栄閣、1909年2月。 NCID BA30939768全国書誌番号:40000009 
  • 『バイブルの神の罪悪』世界公論社、1920年6月。 NCID BA39089196全国書誌番号:43030871 

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翻訳

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筆記

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脚注

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  1. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)313頁

参考文献

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『現代日本文学大系』「現代名作集1」所収の解説と年譜(小田切進による)

関連項目

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外部リンク

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