松平康泰
松平 康泰(まつだいら やすひろ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国棚倉藩の第3代藩主。官位は従五位下・周防守。松井松平家11代。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 嘉永2年(1849年) |
死没 | 元治元年11月18日(1864年12月16日) |
改名 | 盤岩(幼名)、康泰 |
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 |
官位 | 従五位下・周防守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家茂 |
藩 | 陸奥棚倉藩主 |
氏族 | 松井松平家 |
父母 | 父:松平康圭、母:内藤政優の養女 |
兄弟 | 康泰、鈴子 |
子 | 養子:康英 |
略歴
編集嘉永2年(1849年)、2代藩主・松平康圭の長男として誕生した。文久2年(1862年)、父の死去により家督を継いだ。しかし若年の上、病弱だったために藩政を執ることができず、江戸の藩邸で療養していた。
系譜
編集父母
- 松平康圭(父)
養子