森川時久
日本の映画監督、演出家 (1929-2022)
森川 時久(もりかわ ときひさ、1929年(昭和4年)3月7日 - 2022年(令和4年)8月28日[1])は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。立教大学卒業。
もりかわ ときひさ 森川 時久 | |||||
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生年月日 | 1929年3月7日 | ||||
没年月日 | 2022年8月28日(93歳没) | ||||
出生地 | 日本・東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区) | ||||
死没地 | 日本・神奈川県川崎市 | ||||
職業 | テレビドラマ演出家、映画監督 | ||||
主な作品 | |||||
『若者たち』 | |||||
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経歴
編集立教大学卒業後、文化放送に就職[2]。1959年にフジテレビのディレクターになり[2]、社会派ドラマを多く手がける。1967年、人気ドラマ『若者たち』の劇場版で映画監督デビュー[1]。その後はフリーランスとして活動した[2]。
テレビ作品
編集演出
編集放送年 | 作品名 | キー局 |
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1961年 | 独身者の妻 | フジテレビ |
1962年 | 別れて生きるときも | フジテレビ |
われら青春 | フジテレビ | |
1963年 | みんなが見ている | フジテレビ |
夏 | フジテレビ | |
1964年 | 山本富士子アワー1 にごりえ | フジテレビ |
山本富士子アワー3 夜の傾斜 | フジテレビ | |
有馬稲子アワー 通夜の客 | フジテレビ | |
加茂のおさ音 | フジテレビ | |
1965年 | 事件 | フジテレビ |
1966年 | 若者たち | フジテレビ |
1967年 | 伏見の馬卒 | フジテレビ |
なかよし | フジテレビ | |
1968年 | 見つめいたり | フジテレビ |
1970年 | 雪之丞変化 | フジテレビ |
1972年 | 結婚の夜 | フジテレビ |
木枯らし紋次郎 第2部 | フジテレビ | |
1973年 | 恐怖劇場アンバランス 第6話「地方紙を買う女」[注釈 1] | フジテレビ |
1974年 | 青葉繁れる | フジテレビ |
かあさんの明日 | フジテレビ | |
1976年 | 夫婦旅日記 さらば浪人 | フジテレビ |
1977年 | 蕁麻の家 | 東京12チャンネル |
1978年 | 八甲田山 | 毎日放送 |
偽せもの同志 | テレビ朝日 | |
風雪の海峡 | フジテレビ | |
1979年 | 陽はまた昇る | フジテレビ |
1980年 | あゝ野麦峠 | TBSテレビ |
哀しみは女だけに 1 | 日本テレビ | |
1980年 | 愛の滑走路'81 | TBSテレビ |
新・哀しみは女だけに | 日本テレビ | |
海峡に女の唄がきこえる | 日本テレビ | |
1981年 | 女のがん病棟 | 日本テレビ |
まぼろしの初夜 | 日本テレビ | |
赤ちゃん取り違え事件 | テレビ朝日 | |
1982年 | バックミラーの中の女 | 日本テレビ |
1983年 | 望郷・美しき妻の別れ | フジテレビ |
悲しみの交通刑務所 | テレビ朝日 | |
1984年 | 女のがん病棟2 | 日本テレビ |
死刑執行四十八時間 | 日本テレビ | |
1986年 | ああ哀しき女の故郷 | 日本テレビ |
1987年 | 男女交通刑務所 | TBS |
映画作品
編集監督
編集公開年 | 作品名 |
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1967年 | 若者たち |
1969年 | 若者はゆく -続若者たち- |
1970年 | 若者の旗 |
1975年 | わが青春のとき |
1980年 | 翔べイカロスの翼 |
1985年 | きみが輝くとき |
1987年 | 次郎物語 |
1988年 | 童謡物語 |
1995年 | 夏少女[3] |
2000年 | アカシアの町 |
2005年 | ハルウララ |
2006年 | 不撓不屈 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 制作は1969年。
出典
編集- ^ a b c “映画監督の森川時久さん死去 ドラマ「若者たち」、映画三部作も:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年9月5日). 2023年12月10日閲覧。
- ^ a b c “森川時久さん死去 映画監督:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年12月10日閲覧。
- ^ 広島でロケが行われた映画 広島フィルム・コミッション