田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は、宮崎県延岡市出身の元騎手調教助手

田島日出雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県延岡市
生年月日 (1941-06-22) 1941年6月22日(83歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 阪神・武輔彦(1959 - 1968)
阪神→栗東二分久男(1968 - 1970)
栗東・柏谷富衛(1970 - 1971)
栗東・フリー(1971 - 1972)
栗東・島崎宏(1972 - 1984)
初免許年 1959年10月3日
免許区分 平地(初期には障害免許も保持)
騎手引退日 1984年2月26日
重賞勝利 8勝
通算勝利 411勝
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元騎手・調教助手の田島裕和は子。

来歴

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中学の先輩には矢野一博、後輩には大崎昭一安田伊佐夫がいる。

1959年10月3日阪神・武輔彦[1]厩舎からデビューし、京都第8競走4歳以上20万下・ビガラス(7頭中3着)で初騎乗を果たす。11月1日の阪神第8競走4歳以上50〜60万下・バアムランドで初勝利を挙げ、菊花賞でも同馬に騎乗し、1年目にして八大競走及びGI級レース初騎乗を果たす。1年目の同年は初騎乗が遅いこともあり3勝に終わるが、2年目の1960年には6勝、3年目の1961年には初の2桁で20勝台となる23勝(平地17勝, 障害6勝)を挙げる。1961年から1975年まで15年連続2桁勝利を記録し、1966年から1969年には4年連続30勝台をマーク。息子の裕和が誕生した1966年には31勝を挙げたほか、タイギヨウで暮れの阪神3歳ステークスをレコードで制す。管理する武平三調教師は師匠・武輔彦の弟であり、甥の武邦彦が同厩のアトラスを選択したことで田島に出番が回り、重賞初制覇をGI級レースで挙げる。

1967年からは平地の騎乗に専念し、自己最多の35勝を挙げる。1968年には二分久男厩舎に移籍し、アラブ大賞典(秋)・クモムラサキで2年ぶりの重賞勝ちをマーク。1969年には札幌記念リキエイカンマーチスに1/2馬身差迫ると同時にフイニイメジロタイヨウに先着する2着、同馬では1971年函館記念でもメジロムサシの2着に入った。1970年には柏谷富衛厩舎に移籍し、きさらぎ賞では7頭中7番人気のコマツオーでタニノムーティエの2着に入った。1971年には柏谷の死去によりフリーとなり、同年の京都記念(秋)では10頭中9番人気のヤマニブルームで軽量49kgを活かし2着に入った。

1972年には島崎宏厩舎所属となり、1973年からは1年間の休養から復帰したタニノチカラ主戦騎手となる。1年8ヶ月ぶりの出走となった1973年7月7日札幌第6競走4歳以上200万下で初コンビを組むが、2着馬に4馬身差の楽勝[2]であった。続く積丹特別(200万下)が5馬身、昇級初戦の利尻特別(400万下)を4馬身と、持ったままの3連勝[2]を飾る。北海道に出張していた関東のトラックマンが「秋の天皇賞有馬記念は決まったな」と会話を交わすほど、東西交流のほとんど無い時代、北海道で初めて接する関西馬が度肝を抜かせた[2]。帰厩後は朝日チャレンジカップで重賞初制覇に導くと、続くハリウッドターフクラブ賞も制して重賞を連勝。天皇賞(秋)では追い込んできたミリオンパラに3馬身差を付けて八大競走初制覇を果たすが、有馬記念ではハイセイコーを最後までマークして、先行したストロングエイトニットウチドリの逃げ残りを許した4着[2]に終わる。1974年の有馬記念では同じ過ちを犯さず、マイペースで先頭を走り抜け、2着争いを繰り広げるハイセイコー・タケホープに5馬身差を付けて制覇している[2]1977年には4歳牝馬特別(西)キシュウローレルの妹メイショウローレルを2着に逃げ粘らせ、桜花賞本番でも逃げた。1978年から1980年には3年連続2桁勝利を記録するが、1981年9勝→1982年4勝と減少。1983年には自身初の0勝に終わり、5月22日の阪神第8競走5歳以上400万下・バンブーオリオン(17頭中13着)を最後に騎乗も無くなる。1984年2月25日の阪神第1競走4歳以上300万下・トリハヤで久々に騎乗し、2年ぶりの勝利を挙げたのが最後の勝利となった。翌26日の阪神第9競走クロッカス賞・ダドリアバンブー(14頭中6着)が最後の騎乗となり、28日に騎手免許を更新せず引退[3]

引退後は調教助手。

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 397 441 436 2745 4019 .099 .209
障害 14 21 15 66 116 .121 .302
411 462 451 2811 4135 .099 .211

主な騎乗馬

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その他

脚注

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  1. ^ 武邦彦の叔父。
  2. ^ a b c d e タニノチカラ - 日刊競馬
  3. ^ 優駿』1984年4月号、p.153
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