矢内原勝
日本の経済学者
矢内原 勝(やないはら かつ、1926年3月13日 - 2003年11月27日)[1][2]は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1926年3月13日 日本 東京都大田区大森 |
死没 |
2003年11月27日(77歳没) 日本 東京都 |
出身校 |
慶應義塾大学 学士 (1950年) 慶應義塾大学 博士 (1966年) |
学問 | |
研究分野 | 国際経済学 |
研究機関 |
慶應義塾大学 浜松大学 作新学院大学 |
指導教員 | 山本登 |
称号 | 慶應義塾大学名誉教授 |
影響を受けた人物 |
船田元 大山道広 |
主な受賞歴 | 福澤賞(1980年) |
来歴
編集矢内原忠雄の三男として1926年に東京都大田区大森に生まれる[1]。哲学者の矢内原伊作は兄。東京府立第一中学校、慶應義塾大学経済学部予科を経て[2]、1947年に慶應義塾大学経済学部に入学[1]。山本登に師事する。1950年に卒業し、副手として開発経済学の研究に着手[1]。1952年に助手に、1957年に助教授に、1966年に教授に昇任する[1]。1954年から1955年まではロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに、1976年から1978年までパリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学に留学した。1991年に慶應義塾大学を定年退官し、名誉教授となる[1]。同年、浜松大学国際経済学部に教授として着任し、その後作新学院大学学長を務める。2003年に心不全のため逝去した[2]。2006年には、『アフリカとアジア:開発と貧困削減の展望』(慶応義塾大学出版会)という題目の追悼論文集が発刊されている[3]。
東京大学経済学部に入る学力はあったが、父の忠雄と東京大学との関係の悪化により慶應義塾大学へ進学した。船田元は、矢内原の下で学んだ。敬虔な無教会のクリスチャン。多くの弟子を育て上げた。国際経済学会、日本アフリカ学会、日本経済政策学会で要職に就いた[2]。
著書
編集単著
編集- 『低開発国の輸出と経済開発』(東洋経済新報社、1965年)
- 『金融的従属と輸出経済(慶應義塾経済学会経済学研究叢書)』(日本評論社、1966年)
- 『近代化の条件 日本の立場・低開発国の立場(ダイヤモンド社、1970年)
- 『世界経済 歴史・理論・現状』(文眞堂、1994年)
- 『国際貿易論』(慶應義塾大学出版会、1994年)
共著
編集- (細見真也)『ココア経済』(日本国際問題研究所、1969年)
- (山形辰史)『アジアの国際労働移動』(アジア経済研究所、1992年)
- (小田英郎)『アフリカ・ラテンアメリカ関係の史的展開』(平凡社、1989年)
編著
編集- 『発展途上国問題を考える』(勁草書房、1996年)
出典
編集- ^ a b c d e f 「矢内原勝教授略歴」『三田学会雑誌』第83巻特別号-II、慶應義塾経済学会、1991年、263頁、ISSN 0026-6760、NAID 120005354348。
- ^ a b c d 高梨和紘「追悼文: 矢内原勝先生のご逝去を悼んで」『アジア研究』第50巻第2号、アジア政経学会、2004年、1-2頁、doi:10.11479/asianstudies.50.2_1、ISSN 0044-9237、NAID 130004689976。
- ^ 高梨和紘『アフリカとアジア : 開発と貧困削減の展望』慶應義塾大学出版会、2006年。ISBN 4766412427。 NCID BA76533546。全国書誌番号:21146448 。
関連項目
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