石川 道成(いしかわ の みちなり、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・周防守。
従五位下に叙爵の後、延暦18年(799年)左京亮に任官する。桓武朝末の延暦25年(806年)上総介として地方官に遷るが、任期中に上総大掾千葉国造・大私部善人とともに犯罪を犯したとして位記を没収される。平城朝末の大同4年(809年)永年に亘って官人として勤めてきた功績を憐れんで、道成は従五位下、大私部善人は外従五位下の本位を授けられた。
弘仁元年(810年)薬子の変終結後に周防守に任ぜられている。
『日本後紀』による。