忠実屋
二代目シンボルマーク | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
|
略称 | 忠実屋 |
本社所在地 |
日本 〒160 東京都新宿区歌舞伎町二丁目1番11号 林原第2ビル |
本店所在地 |
〒193 東京都八王子市初沢町1227番地4 (高尾店) |
設立 | 1954年(昭和29年)8月4日[1][2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケットの経営 |
代表者 |
代表取締役会長 越智 琢一 代表取締役社長 谷島 茂之 |
資本金 | 125億9,400万8,607円 |
発行済株式総数 | 9,038万8,698株 |
売上高 | 321,912百万円(1993年度) |
決算期 | 2月28日[5] |
主要株主 |
ダイエー マルエツ |
関係する人物 |
高木国勝(第1次創業者) 高木夏子(第1次創業者の妻) 高木吉友(第2次創業者) 高木シン子(第2次創業者の妻、株保有者) |
特記事項:このデータは最終となる1994年分のデータを表記している。 |
株式会社忠実屋(ちゅうじつや、英: Chujitsuya Co., Ltd.)は、かつて首都圏を中心にスーパーマーケット等を展開していた日本の企業。東京都八王子市を発祥の地とし、東京多摩地域を中心に東京23区・埼玉県・神奈川県などに出店していた。
1994年(平成6年)3月1日にダイエーに吸収合併され、消滅した。
歴史
[編集]創業からスーパーマーケットのチェーンへ
[編集]1933年(昭和8年)10月に[6]高木国勝が八王子市本町10番地で[7]、「いろは屋」の屋号を借りて同店が製造した漬物や佃煮などを中心とする食料品店を開店したのがはじまりである[8]。
創業から2年ほどしたころから漬物などの一部を自店で製造するようになったこともあり、「いろは屋」の屋号の使用停止を求められた[8]。
そこで、クリスチャンであった高木国勝は、1937年(昭和12年)に新約聖書のヨハネの黙示録の2章10節「汝、死に至るまで忠実なれ。さらばわれ汝に生命の冠を与えん。」という一節から啓示を受け、「忠実屋」の屋号を用いることとした[8]。
1943年(昭和18年)に高木国勝が死去したことから妻の高木夏子が営業を継承した[7]。
1945年(昭和20年)10月に八王子市八幡町に店舗を移転[6]。
高木夏子は妹であった新子を養女とし、その婿養子として、戦友とコンニャク製造業を営んでいた旧姓・伊藤吉友を迎え、高木吉友とした[9]。
この高木吉友は、1947年(昭和22年)に家業の「忠実屋」を継承[8]。 1948年(昭和23年)8月に[10]資本金15万円で有限会社忠実屋に改組して法人化し[11]、社長に就任した[10]。
1959年(昭和34年)4月に横山町に支店を開設し[8]、翌年・1960年(昭和35年)9月1日に同支店をスーパーマーケットとした[12]。 1961年(昭和36年)6月に増築して新装開店した本店を含め、以降スーパーマーケットのチェーン展開を進めた[6]。
ダイエー傘下に 4社合併で消滅へ
[編集]大手スーパーのダイエーは、1980年代初めにも当社に提携・合併を打診していた[13]。
バブル崩壊後は売り上げが下落傾向にあった忠実屋だったが、1989年(平成元年)に秀和が忠実屋の株を大量に買い占める事件(忠実屋・いなげや事件)が発生した。後がなくなった忠実屋は、創業者の吉友の「自主独立を貫く」という強い意志を尊重するべく、他社との連携は一切していなかった。
1991年(平成3年)6月に吉友が心不全で死去すると事態は一変した。吉友の子息であり長男の高木國夫(当時副社長)が父の吉友の意思とは逆に、現実的な路線として他社との連携を取ることを認め、同年12月に大手スーパーのダイエーと資本・業務で提携することに合意した。ダイエーの中内㓛(当時)は「忠実屋から提携の申し入れがあり、すぐに決定した」と語った。
しかし過半数の忠実屋株を秀和が所有していたため、ダイエーは時期を見て同グループのマルエツと共に同社株の公開買い付け (TOB) を行って成功し、1992年(平成4年)3月1日に正式にダイエーの系列会社となった。筆頭株主はダイエーではなく、1772万7000株を取得したマルエツだった。これにより一連の事件は事実上の終焉を迎えた。
ダイエーの系列会社になったとはいえ、創業者の吉友が語っていた「自主独立を貫く」という方針で忠実屋は様々な対策を取るも、1993年2月期の利益は大幅減益という惨憺たる結果になり、社長の谷島は株主・社員に迷惑は掛けられないと、1993年6月にダイエーの中内に合併話を持ちかけた。ダイエーは当時、長期に渡り合併を模索していた九州のユニードダイエーと、沖縄で単独勢力で継続してきたダイナハとの3社合併を1994年に実行することを計画していた。ダイエーは、忠実屋も加えた4社での合併を決定。1994年3月1日に施行することを決定した。
合併の準備として、ダイエーのクレジットカード「OMCカード」を忠実屋でも使用可能にし、情報・店舗等の組織コードをダイエー基準に統一、物流センターの統一と配送地域の見直し、そして商号を忠実屋からダイエーへ変更する作業を行った。また、高木一族が所有する忠実屋株をダイエー側が取得し、ダイエーグループのサカエ(のちのグルメシティ近畿)に売却するなど、合併準備が着々と進んでいった。
合併まで約1ヶ月と迫った1994年(平成6年)2月3日に、忠実屋が長らく家電製品の取引を松下電器産業(現:パナソニック)と行っていたため、合併により存続することとなるダイエーが、松下電器産業の子会社であった東京松下ライフエレクトロニクス(現:パナソニック コンシューマーマーケティング)と取引契約に調印した[14]。 ダイエーと松下電器との間では、ダイエーが松下製品のテレビを破壊的な価格で販売する事にパナソニック創業者である松下幸之助が強く反発し、ダイエーもそれに反発する形で松下電器の製品を不買する運動を続けた過去があった(ダイエー・松下戦争)。この調印で約29年に渡る対立に終わりを告げ、両社和解となった。その後はダイエーグループでも段階的ではあるが松下製品を店頭に並べることとなり、忠実屋は両社の和解の仲立ちをしたこととなった。
1994年(平成6年)3月1日、ダイエーにユニードダイエー、ダイナハと共に吸収合併[15]。約59年の歴史に幕を下ろした。1993年(平成5年)12月の店舗数は73店舗であった[16]。合併後に忠実屋の系列会社はダイエーの系列会社に統廃合され完全独立した。
1996年(平成8年)3月1日にダイエーが松下電器産業(パナソニック)の製品の正式な取引を再開し、旧忠実屋以外の総合スーパーなどでの販売も行われるようになった[17]。
忠実屋が発行した商品券は現在でもダイエーの店舗で使用でき、ダイエーがイオングループ入りしたあとはイオンの店舗でも使用できる[18]。
その後、ダイエーが経営不振に陥り多くの店舗が閉鎖になる中で、忠実屋の1号店である八幡町店はダイエーからグルメシティに業態転換し、長い間営業を続けていたが、建物と店舗設備の老朽化により2019年2月28日をもって閉店し、八幡町店は約65年の歴史に幕を下ろした[19]。閉店に先立ち2016年には、地元八幡町の商店会と多摩美術大学の学生により「忠実屋八幡町店」時代の店舗を再現したジオラマも製作された[19]。
沿革
[編集]- 1933年(昭和8年)10月 - 高木国勝が、漬物店「いろは屋」から暖簾を借りる形で八王子市で創業[8][6]。
- 1937年(昭和12年)5月 - 漬物店「いろは屋」に暖簾を返上。忠実屋の商号を使用開始。
- 1943年(昭和18年)11月12日 - 高木国勝が肺結核で死去。高木夏子が経営を継承し、商売を継続。
- 1946年(昭和21年)10月 - 八王子市八幡町に商店を開設。戦争により中断していた商売を再開。
- 1948年(昭和23年)
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)7月 - 天ぷら、鮮魚、中央(加工食品)、菓子、乾物の5部門を設立。
- 1959年(昭和34年)4月 - 化粧品・日用雑貨・衣料品の取扱いを開始[21]。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1965年(昭和40年)
- 1967年(昭和42年)
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)2月 - 八王子市椚田町に「コープ・ミート株式会社」を設立[24]。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)11月15日 - 株式会社ラルブロを設立[34]。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
主な自社プライベートブランド
[編集]- 忠実選品 - 食品のプライベートブランド[73]。
- 生活スタジオ - 1985年(昭和60年)10月15日発売開始[74]。基本的な機能を重視し、合理性を追求したプライベートブランド[75]。
- くらしの実 - 1985年(昭和60年)10月15日発売開始[74]。「こころによく効く、生活の空気」をキャッチコピーとした高品質でハイセンスなプライベートブランド[74]。家庭用品でスタートし、1986年(昭和61年)に食品が追加発売された[76]。
- 自然徳品 - 天然素材を主体とした自然な色合いのシンプルな商品のプライベートブランド[77]。
- エコノミープライス商品 - 食品や家庭用品などの低価格のプライベートブランド[78]。
- 素顔活菜 - 有機栽培・野菜のプライベートブランド[79]
- フランツ - 1980年(昭和55年)3月発売開始[80]。紳士肌着・アウターのプライベートブランド[80]。
- マーガレット - 1980年(昭和55年)3月発売開始[80]。婦人肌着・アウターのプライベートブランド[80]。
店舗ブランド
[編集]- 忠実屋 - SM(スーパーマーケット)・GMS(総合スーパー)業態。
- 忠実屋名店センター - ションピングセンター[81][82]
- ザ・プレイス - 忠実屋店舗より高級スーパーSM業態。販売革新
- 忠実屋フランツ - 忠実屋店舗よりハイグレードなGMS業態[83]。ロゴマークの製作は原田進が担当。
- DISPA(ディスパ) - ディスカウント業態[84]。吸収合併後、大半の店舗はDマートやトポスへと継承された。
- ナイス - コンビニエンスストア(30坪から40坪)とミニスーパー(75坪から150坪)で、フランチャイズチェーンを目指していた[85]。
- 生活自遊館ベネ - 園芸・ペットショップで、1986年(昭和61年)7月26日に1号店として伊勢原店を開設[62]。
- プラザ21 - DC系メンズショップ[86]
- スペース209 - ティーンズショップ[86]
- クランベリーハウス - ヤングレディスショップ[87]
- アンサンテ - 婦人服店[87]
- ラルブロ - 35から50歳を対象とする婦人服店として展開していたが、1986年(昭和61年)2月までに全店がクランベリーハウスへ業態転換して消滅することになった[61]。
- hobbyshop宝島
かつて存在した忠実屋店舗
[編集]東京都
[編集]八王子市
[編集]- FAM(八王子市横山町18-5[93]、1987年(昭和62年)3月27日[94] - 1994年(平成6年))
- 売場面積12,000m2[95]。
- 1985年(昭和60年)に閉店した八王子大丸[96](八王子市横山町)の建物を使用し、忠実屋子会社(サイドウォーク→ファム)が運営していたファッションビル。FAMは「FAMILY AFFECTION MARKET」の略。
- 80のインショップで構成された生活提案型の百貨店を標榜した店舗として開業した[94]。
- ヤング向け主体の品揃えで開業したが、開業初年度の売上が目標の100億円を大きく下回る約60億円に留まるなど、当初から業績不振に陥って主婦向けの品揃えへ転換することになった[94]。
- 1994年(平成6年)[96]、ダイエーへの吸収合併に伴い閉鎖。その後は長年空きビルとなっており、当時の黒須隆一八王子市長からも商店街衰退の象徴として問題視する発言がなされた[96]。2001年(平成13年)2月9日にダイエーが本館と別館の土地・建物を日本中央地所とセントラル地所に売却[97]。
- 叶谷店(八王子市叶谷町876-3[117]、1975年(昭和50年)10月[117][118]25日 - 2014年1月31日)
- 大和田店(八王子市大和田町6-13-3[117]、1975年(昭和50年)11月[117]16日 - )
- 高尾店(八王子市東浅川町1227-4[111]、1978年(昭和53年)11月2日[119] - )
その他都内
[編集]多摩地域
[編集]- 三鷹市
- 調布市
- 府中市
- 中河原店(府中市住吉町1-33-2[117]、1974年(昭和49年)11月[117]27日 - 1994年(平成6年)2月15日)
- 売場面積1,490m2[136]
- 売上高(1976年(昭和51年)度)13億4155万円[91]
- 現在は、366リハビリテーション病院。[要出典]
- 町田市
- 日野市
- 東大和市
- 小金井市
- 稲城市
- 国立市
- 羽村市
東京23区
[編集]- 下北沢店(東京都世田谷区北沢2—20—17[152]、1971年(昭和46年)3月26日[152] - 2008年(平成20年)1月13日)
- 売場面積2,421m2[136]
- 売上高(1976年(昭和51年)度)27億494万円[109]
- ダイエー下北沢店→グルメシティ下北沢店→フーディアム下北沢店
- 赤羽店(東京都北区神谷3-12[154]、1982年(昭和57年)3月25日[154][155] - 2016年(平成28年)2月29日)→DISPA!赤羽店→Dマート赤羽店→ダイエー赤羽北本通り店→イオン赤羽北本通り店(2016年3月1日 - 2020年5月31日)
- 大崎店(1987年(昭和62年)2月1日[94][160] - 1991年(平成3年)5月1日営業譲受 - 2008年(平成20年)10月31日)
- フランツ東大島店(東京都江東区大島7-38-30[162]、1989年(平成元年)2月28日[163] - )
神奈川県
[編集]横浜市
[編集]- 三ツ境店(横浜市瀬谷区三ツ境7-1[169][170]、1977年(昭和52年)11月24日[169][171] - ?)
- 敷地面積約3,530m2[169]、鉄筋コンクリート造地下2階・地上2階建て[169]、延べ床面積約17,145m2[169]、店舗面積約10,991m2[169](直営約店舗面積7,730m2[169])、駐車台数約390台[169]。
- ジャスコと共同で「ジェーシータウン(株)」を設立して出店する計画であったが[172]、地元商店街の反対運動の結果として当社単独での出店となった[173]。
- 三ツ境駅から徒歩1分の住宅街に立地する駅前型ショッピングセンター「露木コミュニティーランド」(延べ床面積17,613m2、駐車台数約380台)の核店舗として出店した[170]。
- 売上高(1978年(昭和53年)度)63億4500万円[174]
- ダイエー三ツ境店→イオンフードスタイル三ツ境店
相模原市
[編集]- 淵野辺山王店[104][209] → 淵野辺本町店[195](相模原市渕野辺本町2-15-21[195](旧・淵野辺山王平912-2[104][209])、1975年(昭和50年)12月[104][210] - )
- 売場面積約1,444m2[104]。
- →グルメシティ淵野辺本町店
- 津久井店(津久井郡津久井町中野997-1[178]、1974年(昭和49年)11月21日 - 2011年(平成23年)5月8日)
- ナイス城山店(1988年(昭和63年)4月?日 - 2011年(平成23年)1月5日)
- →シヅオカヤ城山店→プライスセーバー城山店→グルメシティ城山店
座間市
[編集]平塚市
[編集]大和市
[編集]秦野市
[編集]その他
[編集]- 鴨宮店(小田原市鴨宮字宝町636-1[146]、1978年(昭和53年)4月12日[233] - 2015年(平成27年)1月25日)
- 売場面積1,250m2[146]
- →ダイエー鴨宮店→グルメシティ鴨宮店
- 敷地面積9,219m2[236]、地下1階・地上5階建て[236]、店舗面積13,355m2[236]、駐車台数約800台[236]
- 伊勢原駅から西へ約1.5㎞離れた国道247号沿いの鈴川工業団地の一角に開設された郊外型ショッピングセンターであった[237]。
- 室内プールやテニスコートなどを備えたスポーツ施設「マーガレットスポーツガーデン」を併設しており、東海大学系の東海体育指導に業務委託したスポーツ教室も運営していた[237]。
- →ダイエー伊勢原店→イオン伊勢原店(2024年(令和6年)1月31日閉店)[238]
埼玉県
[編集]さいたま市
[編集]- グルメシティ東浦和店→イオンフードスタイル東浦和店
- 北与野ショッピングセンターの店舗面積7,474m2[246]
- 北与野駅前北口第一種市街地再開発事業で建設された再開発ビル「アルーサ北与野」の核店舗として出店した[248]。
- 再開発ビル「アルーサ北与野B棟」は地下2階・地上8階建てで、敷地面積3,456m2、延べ床面積24,353m2[248]。
- ダイエーが合併で継承したが、1995年(平成7年)2月に撤退[249]。
川口市
[編集]- 敷地面積約10,575m2[250]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[250]、延べ床面積約12,139m2[250]、店舗面積約16,835m2[250](直営店舗面積約9,478m2[250])、駐車台数約400台[250]。
- 1994年(平成6年)3月1日にダイエー川口店として新装開店した[252]。ミエルかわぐち[要出典]
- グルメシティ東川口店→ダイエー東川口店
その他
[編集]- 売場面積9,300m2[260]
- ダイエー鶴ヶ島店→POPOLA鶴ヶ島
- 延べ床面積12,751m2[145]、売場面積8,788m2[243]、売場面積8,788m2[243]、駐車台数約1,000台[111]。
- ダイエー狭山店となった[261]旧店舗建物改装後、2003年、キャッツアイ&レジャスポ狭山店が開店。[要出典]2022年8月31日閉店[262][263][264]→老朽化のため建物解体[要出典]
- 敷地面積約9,454m2[265]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋2階[265]、延べ床面積約12,139m2[265]、店舗面積約7,524m2[265](直営店舗面積約6,740m2[265])、駐車台数約500台[265]。
- ダイエー草加店
- 敷地面積8,584m2[268]、延べ床面積16,480m2[268]、売場面積7,633m2[146]、駐車台数約800台[111]。
- 松本商会がボウリング場跡地に建設した松本ビルへ出店していた[268]。鶴瀬駅西口から約500m西へ行った場所にあった[269]。
- 売上高(1978年(昭和53年)度)46億3200万円[270]
- 1994年(平成6年)3月1日にダイエー三芳店となった[271]
- 久喜駅前西口第一種市街地再開発事業で建設された再開発ビル「サリア」の核店舗として出店した[277]。
- 敷地面積約3,324.06m2[278]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階・地上6階建て塔屋2階[278]、延べ床面積20,651.224m2[278]、店舗面積10,500m2[279]、駐車台数約63台[278]。
- ダイエー久喜店[280]→クッキープラザ
千葉県
[編集]- Dマート木更津店
売場面積11,857m2[266]
- 店舗面積11,187m2[246]
- ダイエー五香店
山梨県
[編集]静岡県
[編集]- 清水店(清水市)
- ダイエー清水店となった[311]
海外店舗
[編集]実現しなかった店舗
[編集]東京都
[編集]埼玉県
[編集]千葉県
[編集]茨城県
[編集]海外店舗
[編集]合併後の旧忠実屋店舗
[編集]事業所
[編集]グループ企業
[編集]一部を列挙。社名は当時のもの。
スーパー
[編集]- 株式会社ナイス(新宿区歌舞伎町2-1-11[26]、1964年(昭和39年) - 1991年(平成3年)9月、シズオカヤに店舗経営譲渡) 新宿区
- 神奈川・鎌倉が発祥で、野村不動産の子会社として首都圏を中心に展開していた小型の食品スーパーマーケット野村ストアー。野村不動産が開発したマンションや住宅に出店をするも無理な出店が響き経営赤字となり、1983年に経営再建に協力してきた忠実屋が同社の株式を全て取得し傘下とした。
- 通常のスーパーよりも店舗面積が狭く大手スーパーに対抗できない為、店舗の運営が難しく、1991年9月1日に、赤字会社として整理されることとなりシズオカヤと統合し、当年度内に清算された。
- 荻原商事株式会社 → 株式会社シズオカヤ(新宿区歌舞伎町2-1-11[26]、1984年(昭和59年) - 2000年(平成12年)3月、セイフーと合併) 新宿区
- 詳しくは「グルメシティ関東」を参照。
- 新宿駅前の販売店が発祥で主に首都圏を中心に展開していたスーパーマーケット。拡大策が裏目に出て経営赤字となり忠実屋傘下に入った。忠実屋がダイエーと合併してからは単独勢力となるも2000年にセイフーと合併し消滅した。
- 株式会社 忠実屋静岡(1975年(昭和50年)12月[331] - 1980年(昭和55年)9月)
- 忠実屋の御殿場店と清水店を展開していた会社。
- 合弁会社チュウジツ・スーパーストア(1986年(昭和61年)[332] - ?)
- 株式会社サイドウォーク(八王子市横山町18-51984年(昭和59年) - 2000年(平成12年)3月、セイフーと合併) 新宿区? - 1991年(平成3年)2月に経営不振により清算[71])
- 八王子の百貨店「ファム」と東京・大崎の高級スーパー「ザ・プレイス」を運営していた会社。1991年度の整理会社の対象となり、百貨店のファムは閉店し、専門店ビル「ファム」として同名の会社が設立され運営にあたっていた。ザ・プレイスについては同年5月に忠実屋が吸収し忠実屋に業態転換された。
- 株式会社ファム(1991年(平成3年) - ?)
- 専門店ビル「ファム」を運営・管理をしていた会社。
- マーガレット商事株式会社 → 株式会社 忠実屋(1951年(昭和26年)2月17日[333] - 1976年(昭和51年)3月[333])
- 額面変更のために(初代)株式会社 忠実屋を吸収合併した(2代目)株式会社 忠実屋[333]。
専門店運営
[編集]- 株式会社サンロベール(? - 1994年(平成6年)(平成6年)9月にボンテと合併[335])
- 店内でパン屋を運営していた会社[336]。忠実屋がダイエーと合併したことによりダイエーグループで同業のボンテと合併し消滅した。
- 首都圏地域スパー本部(1983年5月 - 1989年7月、カスミ系の関東地域スパー本部に営業権を譲渡)
- コンビニエンスストア部としてスパーを運営していた会社。その後、地価高騰の煽りでチェーン組の拡大が難しいと見て、1989年7月1日付けで忠実屋と同じ中堅スーパーでカスミ系の関東地域スパー本部に営業権を譲渡した。
- 株式会社マーガレットシューズ → 株式会社アクセル(新宿区歌舞伎町2-1-2[26]、1983年(昭和58年)9月[334] - 1994年(平成6年)12月1日にロベリアを吸収合併し、社名を「ロベリア」に変更[339])
- 株式会社バビロ(? - 1994年(平成6年)9月にアシーネに吸収合併[340])
- CD・書籍を取り扱っていた会社。忠実屋がダイエーと合併したことによりダイエーグループで同業のアシーネ(後に未来屋書店に吸収され同社のブランドとなる)と合併し消滅した。
- 株式会社 忠実屋電器(? - ?)
- 「電器担当部」を設置して、忠実屋本体に業務が移管された[341]。
食品・外食
[編集]- 株式会社ロイヤルクック(? - ?)
- 株式会社日本シーフード(? - 1991年(平成3年)2月に経営不振により清算[71])
- 海鮮料理の「タイガーシーフードレストラン」の4店を運営していた店舗。営業不振により1991年(平成3年)1月末で店舗自体の営業を全て終了。同年2月末で会社も清算された。
印刷・企画・ディベロッパー
[編集]金融
[編集]レジャー
[編集]- 株式会社 御幸興業
関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 東京信用交換所、1967年9月15日。pp1367
- ^ a b c d “新規上場企業紹介 忠実屋”. 証券 1977年11月号 (東京証券取引所総務部) (1977年11月).pp74
- ^ a b “事業短信”. オール大衆 1980年9月号 (経済通信社) (1980年9月).pp236
- ^ a b “本所の掲示等(平成6年2月中)”. 証券 1994年4月号 (東京証券取引所総務部) (1994年4月).pp74
- ^ “忠実屋 地域社会と共に歩む店”. 証券アナリストジャーナル 1977年12月号 (日本証券アナリスト協会) (1977年12月).pp57
- ^ a b c d 『会社履歴総覧 会社四季報長期データ版 創刊 1992年版』 東洋経済新報社、1991年10月。pp874-875
- ^ a b “忠実屋 生え抜きと大物スカウトの組み合せで陣営の強化に努める”. 激流 1988年6月号 (国際商業出版) (1988年6月).pp70-73
- ^ a b c d e f g h “忠実屋 地域社会と共に歩む店”. 証券アナリストジャーナル 1977年12月号 (日本証券アナリスト協会) (1977年12月).pp56
- ^ “忠実屋 旺盛な事業意欲に追いつかなかった内部固め”. 激流 1989年10月号 (国際商業出版) (1989年10月).pp26-29
- ^ a b c d “〈チェーンめぐり〉急速成長で中堅チェーンの仲間入りした忠実屋”. 販売革新 1966年1月号 (アール・アイ・シー) (1966年1月).pp119-121
- ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 1969年版』 東京信用交換所、1968年9月15日。pp1127
- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp108
- ^ “流通業界に再々編成の大波”. 野田経済 1981年3月4日号 (野田経済研究所) (1981年3月4日).pp13
- ^ 山下剛 “30年戦争に終止符松下・ダイエー関係修復の舞台裏”. 激流 1994年4月号 (国際商業出版) (1994年4月).pp56-60
- ^ a b “逆風続く量販店市場”. 酒類食品統計月報 1995年5月号 (日刊経済通信社) (1995年4月).pp70-82
- ^ “県内経済トピックス(1月を中心として)”. 山梨中央銀行調査月報 1994年3月 No.239 (山梨中央銀行) (1994年3月).pp8
- ^ “系列店専門化を促す、攻めの販売追求 森下洋一松下電器産業社長”. ニューウェーブ 1996年4月号 (エム・アイ通信社) (1996年4月1日).pp18
- ^ ご利用いただけるクレジット・商品券のご案内
- ^ a b c “「グルメシティ八幡町店」閉店へ 「忠実屋」1号店から65年の歴史に幕”. 八王子経済新聞. (2019年1月11日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp225
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “新規上場企業紹介 忠実屋”. 証券 1977年11月号 (東京証券取引所総務部) (1977年11月).pp76
- ^ 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパートニューズ社、1968年5月15日。pp104
- ^ 『イトーヨーカドーのすべて 人とシステムの調和を求めて』 国際商業出版、1978年9月10日。pp171-172
- ^ a b 『食糧経済年鑑 昭和55年版』 食糧経済新聞社、1979年11月25日。pp850
- ^ “53年度加盟組合の福祉関係調査結果(1)”. 月刊ゼンセン 1979年1月号 (ゼンセン同盟) (1979年1月1日).pp17
- ^ a b c d e “2月、3月の常執・中執”. 月刊ゼンセン 1990年5月号 (ゼンセン同盟) (1990年5月1日).pp76
- ^ a b 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp280
- ^ 『大阪経済年鑑 昭和48年版』 大阪商工会議所、1972年11月25日。pp850
- ^ a b c d e f g h “PDの動き 荷主”. 荷役と機械 1978年8月号 (荷役研究所) (1978年8月).pp5
- ^ a b 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp298
- ^ “流通年事表”. 流通情報 財団設立15周年記念特集号 (流通経済研究所) (1980年5月).pp78
- ^ a b c d e f 『物流要覧 1978 下巻』 カーゴ・ジャパン、1976年11月27日。pp277
- ^ 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp294
- ^ a b c 『全国繊維小売総覧 東日本篇 1986』 東京信用交換所、1985年11月30日。pp467
- ^ 『顧客組織化システム 友の会・自社カード・互助会・会員制ビジネスの現状』 工業市場研究所出版部、1985年12月7日。pp338
- ^ 吉田貞雄 『商魂 小売のロマンに賭ける男たち』 ダイヤモンド社、1984年3月25日。pp249
- ^ a b c “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1979年4月号 (総合食品研究所) (1979年4月).pp161
- ^ “スーパー研究シリーズ(3)PB政策 浮上策はあるのか!量販店PB戦略を解明する”. 総合食品 1978年12月号 (総合食品研究所) (1978年12月).pp110
- ^ “流通経済日誌”. 流通情報 1980年10月号 (流通経済研究所) (1980年10月).pp24
- ^ “大型店の展開が鍵をにぎる忠実屋の成長力”. 激流 1979年4月号 (国際商業出版) (1979年4月).pp44-46
- ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp113
- ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 1986年版』 東京信用交換所、1986年1月1日。pp1627
- ^ a b 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp56
- ^ 『21世紀に挑む食品界』 食品新聞社、1981年11月25日。pp409
- ^ 『繊維年鑑 昭和58年版』 日本繊維新聞社、1983年1月10日。pp55
- ^ 『食糧年鑑 1983年版』 日本食糧新聞社、1983年6月20日。pp9
- ^ 『食糧年鑑 1983年版』 日本食糧新聞社、1983年6月20日。pp37-38
- ^ a b 『食糧年鑑 1983年版』 日本食糧新聞社、1983年6月20日。pp137
- ^ “流通動向”. 商店界 1983年9月号 (誠文堂新光社) (1983年9月).pp111-114
- ^ 『流通会社年鑑 1986年版』 日本経済新聞社、1985年11月11日。pp245
- ^ 三好隆雄 “株式市場で認められる産業に”. 食の科学 1983年12月号 (光琳) (1996年1月).pp106-109
- ^ a b “缶詰短信”. 缶詰時報 1983年12月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1983年12月1日).pp48
- ^ a b “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1984年1月号 (総合食品研究所) (1984年1月).pp161
- ^ a b “PDスポット”. 荷役と機械 1984年5月号 (荷役研究所) (1984年5月).pp45
- ^ a b 浜口清次 “挫折した忠実屋の海外進出 マレーシア出店中止のウラの事情”. 総合食品 1984年9月号 (総合食品研究所) (1984年9月).pp33
- ^ a b 宮崎友一郎 “本格的に動きだしたJAN・POS 中小スーパー等で稼動相次ぐ”. 流通とシステム 1984年春季号 (流通システム開発センター) (1984年3月).pp55
- ^ “流通経済日誌”. 流通情報 1984年5月号 (流通経済研究所) (1984年5月).pp35
- ^ a b c “石油系、メーカー系、流通系カード会社のプロフィール”. 月刊消費者信用 1992年9月号 (金融財政事情研究会) (1992年9月).pp90
- ^ “流通経済日誌”. 流通情報 1985年7月号 (流通経済研究所) (1985年7月).pp29
- ^ 神奈川新聞 1985年6月17日 17面 レジと銀行直結カードで勘定 銀行POSサービス、9月メドに実施へ 横浜銀行 忠実屋三ツ境店より
- ^ a b “若返り図る婦人服専門店 忠実屋”. 総合食品 1985年11月号 (総合食品研究所) (1985年11月).pp133
- ^ a b “忠実屋が生活自遊館と名付け園芸·ペットショップを開発”. 激流 1986年11月号 (国際商業出版) (1986年11月).pp9
- ^ “流通年事表 昭和61年のできごと”. 流通情報 1987年4月号 (流通経済研究所) (1987年4月).pp20
- ^ a b c d “次の時代を展望し、大型の業態開発に力入れる忠実屋”. 激流 1999年9月号 (国際商業出版) (1999年7月).pp48-49
- ^ “ストア・ニュース”. 総合食品 1987年5月号 (総合食品研究所) (1987年5月).pp118-119
- ^ “情報関連サービス データベース事業, 望まれる日本情報の充実”. 産業動向 1989年9月号 (国民経済研究協会) (1989年9月).pp8
- ^ “ストアこユース”. 総合食品 1989年7月号 (総合食品研究所) (1989年7月).pp99
- ^ a b c d e 上村淳三 “流通業の国際化と日本的取引--急増続ける小売業の海外出店”. 日本経済研究センター会報 1992年6月1日号 (日本経済研究センター) (1992年6月1日).pp37
- ^ “.共同仕入会社エイビック設立”. 缶詰時報 1989年9月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1989年9月1日).pp62-63
- ^ “ストアニュース”. 総合食品 1990年3月号 (総合食品研究所) (1990年3月1日).pp131
- ^ a b c “ダイエー・中内の思惑に激しく抵抗する忠実屋”. 実業往来 1991年12月号 (実業往来社) (1991年12月).pp36-37
- ^ “ダイエー、マルエツ、忠実屋との流通再編成シナリオを読む”. 2020 AIM 1992年4月号 (オフィス2020) (1992年4月).pp78
- ^ “土壌改良と糸のセレクトに始まる商品づくり”. ショッピングセンター 1986年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1986年12月1日).pp24
- ^ a b c “(4) 忠実屋のコンセプトブランドくらしの実、生活スタジオ発売”. 販売革新 1985年11月号 (アール・アイ・シー) (1985年11月).pp98
- ^ “流通トピックス”. 激流 1985年12月号 (国際商業出版) (1985年12月).pp90-91
- ^ “食品PB91種を追加 忠実屋”. 総合食品 1986年8月号 (総合食品研究所) (1986年8月).pp127
- ^ “忠実屋衣料事業部婦人衣料担当部ショップコーナー担当アシスタントバイヤー 高階昭子 川下志向の商品開発で生活達人ショップを確立する”. 激流 1987年1月号 (国際商業出版) (1987年1月).pp90-91
- ^ “低価格商品の増強方針 忠実屋”. 総合食品 1980年8月号 (総合食品研究所) (1980年8月).pp154
- ^ 城戸宏史 “九州における都市農村交流”. 九州経済調査月報 1994年3月号 (九州経済調査協会) (1994年3月).pp21
- ^ a b c d “生活提案型コンセプトショップの出店攻勢 DC対応型からLサイズ・ティーンズ・フォーマルなど加熱する業態ショップ開発”. ヤノニュース 1987年9月25日号 (矢野経済研究所) (1987年9月25日).pp18
- ^ a b c d 山内惣市 真弓弥彦 川崎進一 『ションピングセンターの研究(商業経営研究会共同研究)』 東洋大学経済経営研究所研究報告 1964年版 No.3 (東洋大学経済経営研究所) (1970年3月31日)。pp112
- ^ 奥住正道 “わが国におけるショッピングセンターの発展方向と出店策”. 商工金融 1974年11月号 (商工総合研究所) (1971年2月1日).pp3
- ^ 小口牧通 “ニューGMSの話題作忠実屋Franz”. 販売革新 1987年6月号 (アール・アイ・シー) (1987年6月).pp81-86
- ^ a b 波形克彦 “バブル崩壊後の消費不況の深層を探る――主要小売業態の生き残り戦略”. 流通とシステム 1993年6月号 (流通システム開発センター) (1993年6月).pp8
- ^ 毛利謙三 “スーパーのFC戦略に可能性はあるのか 忠実屋のCVSナイスの安易さ”. 総合食品 1982年2月号 (総合食品研究所) (1982年2月).pp152-156
- ^ a b “生活提案型コンセプトショップの出店攻勢 DC対応型からLサイズ・ティーンズ・フォーマルなど加熱する業態ショップ開発”. ヤノニュース 1987年9月25日号 (矢野経済研究所) (1987年9月25日).pp10
- ^ a b “生活提案型コンセプトショップの出店攻勢 DC対応型からLサイズ・ティーンズ・フォーマルなど加熱する業態ショップ開発”. ヤノニュース 1987年9月25日号 (矢野経済研究所) (1987年9月25日).pp13
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1962年版』 商業界、1962年。pp62
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1967年9月15日。pp223
- ^ a b “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1975年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年1月1日).pp76
- ^ a b c d “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp15
- ^ a b c d e 杉村暢二 “八王子市の市街化と中心商業地の動向”. 不動産研究 1975年10月1日号 (日本不動産研究所) (1993年1月1日).pp16
- ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。pp501
- ^ a b c d “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1988年11月号 (総合食品研究所) (1988年11月).pp172
- ^ “ストアニュース”. 総合食品 1986年8月号 (総合食品研究所) (1986年8月).pp128
- ^ a b c 高野誠二「都市整備事業の実施をめぐる都市内の政治権力構造 八王子市における旧中心商店街の活性化」『地理学評論』第78巻第11号、日本地理学会、2005年、661-687頁、doi:10.4157/grj.78.661、2020年3月27日閲覧。
- ^ 日本食糧新聞Archived 2015年5月5日, at the Wayback Machine.
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp107
- ^ a b c d e f g h 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp562
- ^ a b “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp13
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp217
- ^ 市川新 『多摩川における汚濁物質の収支と流下過程』 助成集報 vol.11(1984年) 〔4〕 (とうきゅう環境浄化財団研究助成) (1988年3月)。pp115
- ^ a b c d “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp16
- ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。 pp160
- ^ a b c d e 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp278
- ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年7月1日).pp8
- ^ a b c d e 『自動車部品・用品名鑑 1987年版』 自動車産業通信社、1986年12月25日。pp748
- ^ “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp19
- ^ a b c d “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp14
- ^ a b c d e f “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1975年10月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年10月1日).pp9
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『自動車部品・用品名鑑 1983年版』 自動車産業通信社、1983年2月10日。pp901
- ^ a b “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年5月5日/15日号 (矢野経済研究所) (1980年5月5日).pp41
- ^ “フランツ北野店の見どころ”. 販売革新 1988年12月号 (アール・アイ・シー) (1988年12月).pp159-163
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。pp502-503
- ^ a b c “八王子に「フランツ」出店”. 総合食品 1988年12月号 (総合食品研究所) (1988年12月).pp40
- ^ a b “流通ニュース”. いっとじゅっけん 1988年10月号 (経済産業調査会) (1988年10月).pp65
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『会員名簿 1981年』 日本セルフ・サービス協会、1980年12月25日。pp118
- ^ “小売業の地殻変動はここまで進んでいる!(立地編) 商業立地は時代とともに変動する”. 商店界 1977年5月号 (誠文堂新光社) (1977年5月).pp51-75
- ^ 西村宏 “本格的な進出の前に生鮮弱体企業の打撃は壊滅的 事前に商圏を徹底的に洗い直してできるだけ有効な対抗策を”. 食品商業 1979年6月号 (商業界) (1979年6月).pp129-135
- ^ a b c d “大型店の比重を高め商圏の拡大図る忠実屋”. 総合食品 1978年11月号 (総合食品研究所) (1978年11月).pp132
- ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年5月5日/15日号 (矢野経済研究所) (1980年5月5日).pp43
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp507
- ^ 『大型店舗計画 昭和56年版 東日本版』 産業計画センター、1980年10月20日。 pp203
- ^ 総理府統計局 『会社企業名鑑 昭和40年版』 日本統計協会、1965年12月。pp1128
- ^ a b “スーパーはなぜ潰れるか”. 経済展望 1964年4月号 (経済展望社) (1964年4月1日).pp66
- ^ “スーパーはなぜ潰れるか”. 経済展望 1964年4月号 (経済展望社) (1964年4月).pp64
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp100
- ^ 「高層マンション建設反対問題のその後」『調布市議会50年史』(PDF)2006年、229頁 。2020年3月27日閲覧。 (オンライン版、調布市公式ウェブサイト)
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp524
- ^ a b “業界再編 百貨店・スーパー相克図 冷えきった個人消費 それ故に深刻なサバイバル。”. 政経人 1993年3月号 (政経社) (1993年3月1日).pp42
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp521
- ^ 高山邦輔 “〈緊急提言〉古い常識で生まれた「大型店舗」に明日はない!?”. 販売革新 1992年4月号 (アール・アイ・シー) (1992年4月).pp102-105
- ^ 宮沢章夫 “私の遊園地(2)--忠実屋の屋上で観覧車は回転する。”. 東京人 1997年8月号 (都市出版) (1997年8月).pp72-75
- ^ “スポット”. アミューズメント産業 1992年12月号 (アミューズメント産業出版) (1992年12月1日).pp94
- ^ まちづくり府中 (2018年2月20日). “昔は忠実屋、今はさくら三番館となっている建物は取り壊し後、新たな建物となる予定で、お店の閉店が始まりました。pic.twitter.com/ufe0H4AeN7”. @machi_fuchu. Twitter. 2020年3月26日閲覧。
- ^ a b “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp18
- ^ a b c d 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp565
- ^ a b c d e f g h i j k 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp167
- ^ a b 石原靖曠 “ビッグストアの空白を衝いて成功 大手チェーンが注目する「スーパー三和森野店」ノンフッド部門のアソートメントを見る”. 販売革新 1976年11月号 (アール・アイ・シー) (1976年11月).pp201-205
- ^ a b 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年7月号 (食品と科学社) (1972年7月).pp58-61
- ^ “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp17
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp533
- ^ “開店情報”. ショッピングセンター 1975年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年8月1日).pp61
- ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年5月5日/15日号 (矢野経済研究所) (1980年5月5日).pp39
- ^ a b c d e f “業界展望 流通業界の新しい動きと問題点を探る”. 商店界 1976年11月号 (誠文堂新光社) (1976年11月).pp44-49
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『会員名簿 1981年』 日本セルフ・サービス協会、1980年12月25日。pp119
- ^ “ダイエーグルメシティ稲城店、2024年6月30日閉店-稲城長沼駅前の旧忠実屋、徒歩圏内で自社競合も”. 都市商業研究所 (2024年6月11日). 2024年9月9日閲覧。
- ^ a b c d “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年5月5日/15日号 (矢野経済研究所) (1980年5月5日).pp42
- ^ a b c “会社短信”. 実業界 1977年12月15日号 (実業界) (1977年12月15日).pp93
- ^ “ショッピング施設における車利用の消費者行動 車客需要のためのショッピング行動調査 多摩支所”. 商工指導 1980年6月号 (東京都商工指導所) (1980年6月).pp23
- ^ 『日本会社録 第6版』 交詢社出版局、1968年11月20日。pp374
- ^ a b 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp561
- ^ “地域別大規模小売店売上高、効率ランキングNo.2東京編”. ヤノニュース 1977年9月5日号 (矢野経済研究所) (1977年9月5日).pp20
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp491
- ^ 関山昇 “"店はお客のためにある"というけれど 未だ克服されざる基本的問題点を現場から探る”. 商業界 1982年8月号 (商業界) (1982年8月).pp222-223
- ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp494
- ^ a b c “日本のSC 光が丘ライフステーション「イマ」”. ショッピングセンター 1987年7月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年7月1日).pp8
- ^ “日本のSC 光が丘ライフステーション「イマ」”. ショッピングセンター 1987年7月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年7月1日).pp6-7
- ^ “光が丘IMAの飲食ゾーンの現状”. ショッピングセンター 1995年8月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年8月1日).pp48
- ^ a b 河内正人 “大崎ニューシティの誕生で始まった忠実屋VS東急の熾烈な戦い”. 激流 1989年3月号 (国際商業出版) (1989年3月).pp36-40
- ^ “オープン情報=ライフコーポレーション「ライフ大崎ニューシティ店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年5月25日)pp4
- ^ “業態別・エリア別必見店舗リスト”. 販売革新 1989年4月号 (アール・アイ・シー) (1989年4月).pp231
- ^ 『食料年鑑 1990年版』 日本食糧新聞社、1990年6月29日。pp48
- ^ “今年中に大型GMS3店忠実屋”. 総合食品 1987年6月号 (総合食品研究所) (1987年6月).pp61
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp503
- ^ “施工例グラビア”. セメント工業 (170) 1981年11月号 (日本セメント) (1981年11月).pp巻頭グラビア
- ^ 『大型店舗計画 昭和56年版 東日本版』 産業計画センター、1980年10月20日。 pp202
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。pp548
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp584
- ^ a b “日本のSC 露木コミュニティーランド”. ショッピングセンター 1978年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年8月1日).pp7
- ^ “日本のSC 露木コミュニティーランド”. ショッピングセンター 1978年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年8月1日).pp3
- ^ “業界展望 流通業界の新しい動きと問題点を探る”. 商店界 1975年11月号 (誠文堂新光社) (1975年11月).pp44-49
- ^ “流通日誌(6月21日~7月2日)”. 流通情報 1976年7月号 (流通経済研究所) (1976年7月).pp47
- ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.3)”. ヤノニュース 1980年5月25日号 (矢野経済研究所) (1980年5月25日).pp28
- ^ “流通ニュース”. いっとじゅっけん 1986年4月号 (経済産業調査会) (1986年4月1日).pp46
- ^ “大手スーパー一〇社の六一年八月中間決算実績分析”. 激流 1987年1月号 (国際商業出版) (1987年1月).pp70-79
- ^ “三ヵ年計画の実施で新たな展開はかる忠実屋”. 激流 1986年4月号 (国際商業出版) (1986年4月).pp38-40
- ^ a b c d e f g h i j k l 『自動車部品・用品名鑑 1983年版』 自動車産業通信社、1983年2月10日。pp902
- ^ 『横浜市地域防災計画 資料編 昭和54年度修正』 横浜市防災会議、1979年。pp252
- ^ a b c 緑区史編集委員会『横浜緑区史 通史編』 緑区史刊行委員会、1993年2月28日。pp849
- ^ “(2)リージョナルチェーンをめざす忠実屋の新店・鴨居店 お客の幅広いニーズに対応した店づくり”. 販売革新 1978年5月号 (アール・アイ・シー) (1978年5月).pp72-73
- ^ a b c d e “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.3)”. ヤノニュース 1980年5月25日号 (矢野経済研究所) (1980年5月25日).pp29
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp260
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1976年度版』 日本ショッピングセンター協会、1976年4月30日。pp210
- ^ “専門店の新出店戦略”. 流通情報 1968年10月号 (流通経済研究所) (1968年10月).pp39
- ^ “旧忠実屋をリフレッシュして相模原ポポロがオープン”. 商業界 1980年6月号 (商業界) (1980年6月).pp172
- ^ “二極化に直面する相模原市内主要エリアは頂点に到達”. 遊技通信 1997年3月号 (遊技通信社) (1997年3月).pp53
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp618
- ^ “相模原店オープン<忠実屋>”. オール大衆 1979年12月号 (経済通信社) (1979年12月).pp69
- ^ a b c d e “地域別大規模小売店売上、効率ランキング(No.4 神奈川・山梨編)”. ヤノニュース 1977年9月25日号 (矢野経済研究所) (1977年9月25日).pp13
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。pp622
- ^ 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp284
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp614
- ^ a b 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1973年1月号 (食品と科学社) (1973年1月).pp49-51
- ^ a b c 外益三 “商業施設開発の理論と実際(13)三つの商業集積地域と国道16号沿いSC開発 相模原商戦は来年秋以降か!?”. 月刊レジャー産業資料 1992年6月号 (綜合ユニコム) (1992年6月).pp199-204
- ^ a b c “グルメシティ跡に小型ザ・ビッグ相模原二本松店開業”. 流通スーパーニュース (2017年6月27日). 2023年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.3)”. ヤノニュース 1980年5月25日号 (矢野経済研究所) (1980年5月25日).pp30
- ^ “ザ・ビッグ二本松店 地域からの「愛」に感謝 昨年末 惜しまれつつ閉店”. タウンニュース (2023年1月12日). 2023年11月5日閲覧。
- ^ “相模原二本松店”. サンドラッグ. 2023年11月5日閲覧。
- ^ “サンドラッグ相模原二本松店オープン”. サンドラッグ (2023年3月31日). 2023年11月5日閲覧。[出典無効]
- ^ a b c “施工例グラビア”. セメント工業 (199) 1986年11月号 (日本セメント) (1986年11月).pp巻頭グラビア
- ^ a b c d e f 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp616
- ^ 松橋寛 “東阪リージョナルチェーンの最新動向”. 企業と広告 1986年7月号 (チャネル) (1986年7月).pp69
- ^ “東急ストア、「橋本東急ストア」開店、生鮮の調理加工を強化、健食コーナー導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年6月6日)
- ^ a b c d 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp292
- ^ 丸井博 『3.相模原市における商業地の階層構造』 帝京大学文学部紀要 教育学 No.16 (帝京大学文学部教育学科) (1991年2月28日)。pp48
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp258
- ^ a b c “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.3)”. ヤノニュース 1980年5月25日号 (矢野経済研究所) (1980年5月25日).pp32
- ^ a b 『全国薬局薬店名鑑 1978-79年版』 薬事日報社、1978年11月20日。pp535
- ^ “半径5km超過密商圏「相模原・町田」マップ”. 販売革新 1993年10月号 (アール・アイ・シー) (1993年10月).pp32-35
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1976年度版』 日本ショッピングセンター協会、1976年4月30日。pp219
- ^ 『日本職員録 第14版 中』 人事興信所、1972年。ppち49
- ^ a b c d e f g h 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年7月号 (食品と科学社) (1972年7月).pp62-65
- ^ a b 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp166
- ^ 平塚商工名鑑1977年版(平塚商工会議所刊)より
- ^ a b “アサノジプカル使用建築物例”. セメント工業 (151) 1978年3月号 (日本セメント) (1987年3月).pp12
- ^ “年商1億円突破へみごとに変身した大友屋 ショッピングセンターの客をごっそりいただく作戦”. 食品商業 1977年6月号 (商業界) (1977年6月).pp50-51
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1976年度版』 日本ショッピングセンター協会、1976年4月30日。pp218
- ^ a b “相鉄ローゼン、ダイクマ核に、大和市のSM地図急変”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年10月27日).pp4
- ^ 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp287
- ^ 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年8月号 (食品と科学社) (1972年8月).pp64-66
- ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年5月5日/15日号 (矢野経済研究所) (1980年5月5日).pp40
- ^ a b “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年11月1日).pp9
- ^ a b 『秦野市史 本編』 秦野市、1990年3月。pp86
- ^ “業態別・エリア別必見店舗リスト”. 販売革新 1996年9月号 (アール・アイ・シー) (1996年9月).pp106
- ^ a b c d e f 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年5月20日。pp570
- ^ a b c 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp290
- ^ “既存店伸び率110%の異色ローカルSMチェーン「すえひろ」の企業文化創造戦略”. 2020 AIM 1999年5月号 (オフィス2020) (1999年5月).pp49
- ^ 西部実 “銀行との出店協調で成功した機能の拡大”. 近代セールス 1980年4月15日号 (近代セールス社) (1980年4月15日).pp10-12
- ^ “忠実屋 五千億円企業の目標に向かって湛准”. 実業界 1981年4月1日号 (実業界) (1981年4月1日).pp35
- ^ 瀬沼克彰 “厚木飛行場周辺における"人づくり""まちづくり"に関する調査研究報告書”. 調和 基地と住民 創刊号 (防衛施設周辺整備協会) (1981年9月1日).pp41
- ^ “ダイエー跡地に「ドンキ」 オープンは12月中旬頃 | 綾瀬”. タウンニュース (2015年10月23日). 2024年3月2日閲覧。
- ^ 『小田原地方商工業史 昭和二十年まで』 小田原商工会議所、1989年8月。pp14
- ^ “お客の要望に応えて大賑わい! 忠実屋湘南台店がオープン”. 販売革新 1979年3月号 (アール・アイ・シー) (1979年3月).pp57
- ^ 椎塚武 “都市をおおう過剰店舗時代の衝撃--藤沢・津田沼にみる小売商業の激突と繊維流通のゆくえ”. 化繊月報 1979年7月号 (繊維総合研究所資料頒布会) (1979年7月).pp10
- ^ a b c d e f “日本のSC 忠実屋伊勢原店”. ショッピングセンター 1982年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1982年11月1日).pp47
- ^ a b “日本のSC 忠実屋伊勢原店”. ショッピングセンター 1982年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1982年11月1日).pp46
- ^ “イオン伊勢原店、2024年1月31日閉店-旧忠実屋・ダイエー、老朽化で建替えの方針” (2021年1月14日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “AOU平成4年度・模範優良表彰店”. アミューズメント産業 1992年10月号 (アミューズメント産業出版) (1992年10月1日).pp201
- ^ a b 『全国薬局薬店名鑑 1992~93年版』 薬事日報社、1992年11月16日。pp343
- ^ a b c d e f g h i 『埼玉年鑑 昭和60年版 本編』 埼玉新聞社、1984年11月1日。pp509
- ^ a b c d e f g h 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp950
- ^ a b c d e 『埼玉県議会史 第14巻 本編』 埼玉県議会、1995年3月26日。pp91
- ^ a b 小松崎雅晴 “遊牧民的売場づくりでお客の魅力をつくれ”. 販売革新 1997年4月号 (アール・アイ・シー) (1997年4月).pp49-52
- ^ “高効率経営の推進で体質改革を加速する忠実屋”. 激流 1988年4月号 (国際商業出版) (1988年4月).pp44-45
- ^ a b c d “1992年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1992年12月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年12月1日).pp76
- ^ a b “ダイエー新生への挑戦の軌跡 (第1回)ダイエーの大量店舗閉鎖の裏に隠された事実”. 2020 AIM 1995年2月号 (オフィス2020) (1995年2月).pp13
- ^ a b 佐々木隆一 “「アルーサ北与野」完成 北与野駅北口第一種市街地再開発事業 北与野駅南口第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第37号 (再開発コーディネーター協会 (1992年5月).pp9
- ^ “SCスクラップ”. ショッピングセンター 1996年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1996年2月1日).pp88-89
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp290
- ^ "ダイエー 閉鎖54店舗確定". 読売新聞 (読売新聞社). (2005年9月30日)
- ^ “ダイエー、3月1日「忠実屋川口店」を「ダイエー川口店」にDS連携でオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年2月23日).pp4
- ^ 『埼玉年鑑 昭和61年版 本編』 埼玉新聞社、1984年11月1日。pp518
- ^ “特別企画 六〇年二月・三月期決算 上場スーパー1社の内実と今期見通しを総括”. 総合食品 1985年6月号 (総合食品研究所) (1985年6月).pp86
- ^ “トピックス ニュース ジャーナル 専門店、百貨店、スーパーマーケット、ビッグストア”. 商業界 1978年6月号 (商業界) (1978年6月).pp51-60
- ^ 『埼玉年鑑 昭和53年版 本編』 埼玉新聞社、1977年10月20日。pp302
- ^ “地域別大規模小売店売上、効率ランキングNo.3 埼玉、千葉、茨城編”. ヤノニュース 1977年9月15日号 (矢野経済研究所) (1977年9月15日).pp14
- ^ Template:Ref news
- ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp146
- ^ a b 『埼玉県議会史 第15巻 本編』 埼玉県議会、1999年3月20日。pp111
- ^ “ワーナー・ブラザース・スタジオ・ストア新宿店坂本克己 「アメリカの感動を日本の店にも持ち込みたい」”. 激流 1996年8月号 (国際商業出版) (1996年8月).pp86-87
- ^ 【閉店】キャッツアイ狭山店2022年7月16日 開店閉店.com.
- ^ キャッツアイ狭山店 店舗情報北東商事株式会社
- ^ レジャスポ狭山店北東商事株式会社
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp317
- ^ a b c 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp951
- ^ “ヤオコー/埼玉県北本市「イオン北本店」跡地に出店”. 流通ニュース (2018年10月12日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ a b c “企業ウォッチ(第33回)(株)松本商会〕”. 月刊不動産流通 1995年3月号 (不動産流通研究所) (1995年3月).pp96
- ^ 日野彰生『東武東上線歴史散歩 史跡をたずねて各駅停車』 鷹書房、1986年10月20日。ISBN:978-4803403022 pp100
- ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年4月25日号 (矢野経済研究所) (1980年4月25日).pp32
- ^ 高橋堅造 “三芳町巡検について”. 地図の友 第36巻 第4号 (地図協会) (1994年3月25日).pp15
- ^ 松山徳之 “特集 有力スーパー一〇社の冷凍食品販売戦略を問う--低迷打開を模策するスーパーの冷食販売の実相”. 総合食品 1983年12月号 (総合食品研究所) (1983年12月).pp23
- ^ 『大型店舗計画 昭和56年版 東日本版』 産業計画センター、1980年10月20日。 pp134
- ^ 高桑隆 “ホットプレイス訪問(15)『絵里香』 ファッション苦戦時代に全店で前年売上20%以上伸ばし続ける婦人服チェーン”. 専門店 1996年2月号 (日本専門店会連盟) (1996年2月).pp31
- ^ 鬼島竜一 “二部活況のカゲにうごめく快情報 珍情報”. 野田経済 1979年10月3日号 (野田経済研究所) (1979年10月3日).pp25
- ^ “ハナマサ、DS掲げて「久喜店」開店 北関東進出への試金石”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年7月25日). pp4
- ^ a b 町田安章 “『サリア』オープン 久喜駅前西口第一種市街地再開発事業”. 再開発コーディネーター 第29号 (再開発コーディネーター協会 (1991年1月15日).pp18
- ^ a b c d “サリア 久喜駅前西口再開発ビル「サリア」をリポート(間組JV)”. 開発往来 1991年3月号 (開発行政懇話会) (1991年3月1日).pp72
- ^ “大型店の新増設動向(下) 「アメとムチ」の規制緩和策 調整短縮の代償は面積削減 結審済み第1種大型店の全国一覧表”. 日経地域情報 1991年6月17日号 (日経産業消費研究所) (1991年6月17日).pp11
- ^ 小河原啓 “「風の見える街…人間性豊かな田園文化都市」の創造をめざして”. いっとじゅっけん 1994年5月号 (経済産業調査会) (1994年5月1日).pp35
- ^ 前田吉治 “忠実屋行田店 年商100億円の大部門に成長”. 販売革新 1990年3月号 (アール・アイ・シー) (1990年3月).pp210-214
- ^ a b “開店予定”. ショッピングセンター 1989年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (1989年10月1日).pp85
- ^ “タイトー新SCロケ展開にいよいよ着手!”. アミューズメント産業 1989年12月号 (アミューズメント産業出版) (1989年12月1日).pp60
- ^ “業態別・エリア別必見店舗リスト”. 販売革新 1989年4月号 (アール・アイ・シー) (1989年4月).pp226-239
- ^ 『千葉県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp183
- ^ a b 伊東清 “中堅ビッグが競争の弱さ"をインショップ&対面で切り抜けるあの忠実屋「市原店」のスケールアップ・ニュートライ”. 販売革新 1983年5月号 (アール・アイ・シー) (1983年5月).pp58-61
- ^ 五十嵐宅雄 “ダイエー市原店(売場面積2249坪、年商26・8億円) 売上高は最盛期の4分の3にダウン、ここ数ヵ月の全社的回復基調に乗れるか?”. 食品商業 1997年2月号 (商業界) (1997年2月).pp56-59
- ^ 『全国薬局薬店名鑑 1992~93年版』 薬事日報社、1992年11月16日。pp414
- ^ a b c d “千葉県に大型店をオープン 忠実屋”. 総合食品 1981年5月号 (総合食品研究所) (1981年5月).pp176
- ^ 『大型店舗計画 昭和56年版 東日本版』 産業計画センター、1980年10月20日。 pp174
- ^ “イオンタウン君津/旧ダイエー君津店跡地に、全21店のオープンモール”. (2018年3月5日) 2024年3月8日閲覧。
- ^ a b 桜井多恵子 “お客を呼び込む売場演出変更の手法と手順”. 販売革新 1990年1月号 (アール・アイ・シー) (1990年1月).pp148-151
- ^ a b “AMUSEMENT オープン TOPICS”. アミューズメント産業 1990年1月号 (アミューズメント産業出版) (1990年1月1日).pp33
- ^ “あすオープン 忠実屋木更津店”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1989年11月29日).pp26
- ^ “忠実屋あすオープン 地元商店会に不信、危機感 営業を特別監視”. 読売新聞(読売新聞社). (1989年11月29日).pp24
- ^ “届出情報”. ショッピングセンター 1988年3月号 (日本ショッピングセンター協会) (1988年3月1日).pp71
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp337
- ^ “開店ニュース”. 販売革新 1993年7月号 (アール・アイ・シー) (1993年7月).pp188
- ^ “忠実屋フランツ五香店(千葉/65億円・3390坪) 基本にかえった、ごく普通の店づくりに徹する”. 食品商業 1992年7月号 (商業界) (1992年7月).pp98-99
- ^ a b “大手ビッグ・HCで店計画一覧”. 販売革新 1990年2月号 (アール・アイ・シー) (1990年2月).pp75-77
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp305
- ^ a b c d “地域別大規模小売店売上、効率ランキング(No.4 神奈川・山梨編)”. ヤノニュース 1977年9月25日号 (矢野経済研究所) (1977年9月25日).pp14
- ^ 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1973年7月号 (食品と科学社) (1973年7月).pp51-53
- ^ 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp300
- ^ “新・日本列島縦断取材ルポ(16回)ビッグストア進出に揺れ動く甲州、信州盆地の小売業”. 商業界 1974年6月号 (商業界) (1974年6月).pp68-75
- ^ 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年12月号 (食品と科学社) (1972年12月).pp61-63
- ^ 『火災統計と消防の現況 昭和58年版』 静岡県、1984年9月。pp34
- ^ 『静岡年鑑 昭和51年度版』 静岡新聞社、1976年7月。pp354
- ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1975年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年8月1日).pp61
- ^ a b 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp959
- ^ “この時期に前年を上回った優良店のマル秘即効対策 全公開”. 商業界 1998年6月号 (商業界) (1998年6月).pp46-57
- ^ a b 中村久人 『アジアにおける日本の大規模小売店のグローバル化 「ヤオハン」のグローバル経営戦略と人材開発を中心として』 東北学院大学経理研究所紀要 第5号 (東北学院大学経理研究所) (1993年2月25日)。pp27
- ^ “ニューズ・スクラップ”. 食品商業 1976年9月号 (商業界) (1976年9月).pp107-109
- ^ 三戸勝美 “中堅スーパーに厳しい季節”. 激流 1976年11月号 (国際商業出版) (1976年11月).pp38-42
- ^ “試行錯誤で新しい方向を捜す大丸ピーコック”. 激流 1978年10月号 (国際商業出版) (1978年10月).pp67-69
- ^ a b c d “届出情報”. ショッピングセンター 1993年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (1993年9月1日).pp67
- ^ “川口市(埼玉県) 競争の二重構造とオーバーストアで小商圏化が進む”. 激流 1999年9月号 (国際商業出版) (1999年7月).pp74-79
- ^ a b c d “入間市再開発の核店舗に忠実屋”. 総合食品 1992年6月号 (総合食品研究所) (1992年6月).pp99
- ^ a b “ローカルスーパー(地元資本)は生き残れるか 激戦期八〇年代!!小売流通の現況と展望<千葉県>”. 総合食品 1980年4月号 (総合食品研究所) (1980年4月).pp126
- ^ a b c “流通ニュース”. いっとじゅっけん 1993年6月号 (経済産業調査会) (1993年6月1日).pp63
- ^ a b c d “届出情報”. ショッピングセンター 1989年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1989年7月1日).pp98
- ^ “流通ニュース”. いっとじゅっけん 1990年10月号 (経済産業調査会) (1990年10月1日).pp64
- ^ 松田剛 “開発トピックス 大ニュータウン出現で変貌する竜ヶ崎市(茨城県) ”. オール生活 1981年12月号 (実業之日本社) (1981年12月).pp58-63
- ^ 山根芳延 “忠実屋 40周年・兆円企業に向け"高密度経営の構築"に着手”. 激流 1990年5月号 (国際商業出版) (1990年5月).pp30-31
- ^ a b c d e 浜口清次 “挫折した忠実屋の海外進出 マレーシア出店中止のウラの事情”. 総合食品 1984年9月号 (総合食品研究所) (1984年9月).pp34
- ^ 『神奈川県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp379
- ^ 『埼玉県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp144
- ^ a b c d 『物流要覧 1982 下巻』 カーゴ・ジャパン、1980年10月15日。pp243
- ^ a b c d e f g h i j “チェーンストアの出店に対する行政指導で、大手スーパーの戦国図はどう変化するか”. ヤノニュース 1982年2月15日号 (矢野経済研究所) (1982年2月15日).pp27
- ^ a b c d e f g h i j k l “赤字子会社を清算 忠実屋”. 総合食品 1991年11月号 (総合食品研究所) (1991年11月).pp81-82
- ^ 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。 pp161
- ^ a b c “忠実屋、マレーシア出店へ再度アクック、パリーヌ・プランテーションズ社と合弁会社設立”. 総合食品 1986年1月号 (総合食品研究所) (1986年1月).pp17
- ^ a b c 『流通会社年鑑 1982年版』 日本経済新聞社、1981年9月30日。 pp135
- ^ a b c d e f g h “大手チェーンストア系専門店一覧”. ショッピングセンター 1986年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1986年11月1日).pp37
- ^ “大手ビッグストア 21世紀の流通革命の実現へ着々と体制を整える”. 販売革新 1994年11月号 (アール・アイ・シー) (1994年11月).pp32-35
- ^ 前田吉治 “有力チェーン6社 インストアベーカリー大作戦”. 食品商業 1990年10月号 (商業界) (1990年10月).pp129-140
- ^ “大手チェーンストア系専門店一覧”. ショッピングセンター 1986年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1986年11月1日).pp36
- ^ “新会社設立で衣料品を強化 忠実屋”. 総合食品 1986年8月号 (総合食品研究所) (1986年8月).pp127
- ^ a b “M&A取引レビュー”. M&A review 1986年11月号 (ポリグロットインターナショナル) (1994年7月1日).pp36-40
- ^ 林薫 “再始動する巨人ダイエーグループの全貌”. 販売革新 1997年4月号 (アール・アイ・シー) (1997年4月).pp28-32
- ^ “リージョナルチェーンの即戦的&実務型組織変更”. 販売革新 1990年4月号 (アール・アイ・シー) (1990年4月).pp63-67
- ^ “2月の常執・中執”. 月刊ゼンセン 1986年4月号 (ゼンセン同盟) (1986年4月1日).pp63
- ^ a b c d e f g h i “チェーンストアの出店に対する行政指導で、大手スーパーの戦国図はどう変化するか”. ヤノニュース 1982年2月15日号 (矢野経済研究所) (1982年2月15日).pp26
- ^ a b c “機関決定事項・内容”. 月刊ゼンセン 1996年6月号 (ゼンセン同盟) (1996年6月1日).pp64-65
- ^ a b c d e f “ダイエー 食品の中核子会社設立”. 総合食品 1995年5月号 (総合食品研究所) (1995年5月).pp64
- ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1982年9月号 (総合食品研究所) (1982年9月).pp209
- ^ “すし新商法アノ手コノ手の舞台裏”. 月刊食堂 1989年9月号 (柴田書店) (1989年9月).pp193-197
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp89
- ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1983年12月号 (総合食品研究所) (1983年12月).pp153-154
- ^ 江口俊夫 “商標随想(18)”. 工業所有権法研究 Vol.29-4 No.79 (萼工業所有権研究所出版部) (1983年12月20日).pp153-12
- ^ a b “ストアニュース”. 総合食品 1994年1月号 (総合食品研究所) (1994年1月).pp88
- ^ “特集 明確なビジョンが好業績を生む「印刷産業経営力調査」好業績企業の経営戦略”. JAGAT info 2000年7月号 (日本印刷技術協会) (2000年7月).pp14
- ^ a b c “全国有力ディスプレイ業者一覧 90年の市場規模は1兆8,000億円”. ヤノニュース 1991年2月15日号 (矢野経済研究所) (1991年2月15日).pp50-51
- ^ “金融子会社 活用の多様化進む”. 日経公社債情報 1989年3月27日号 (格付投資情報センター) (1989年3月27日).pp8
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp88
- ^ “ダイエー中内親子がひた隠す巨額借入金隠蔽法”. 実業往来 1997年11月号 (実業往来社) (1997年11月).pp8
広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ 『7月28日(金)「イオンスタイル赤羽」グランドオープン』(PDF)(プレスリリース)イオンリテール株式会社、2023年6月16日 。2023年12月31日閲覧。
- ^ “〜津久井地区最大級の商業施設として生まれ変わります〜『ダイエー津久井店』 のオープンについて”. 株式会社ダイエー 2024年3月8日閲覧。