「茨城の人は1Gbps分の帯域を使えないままだ」――東京科学大学 教授の藤井輝也氏はそう嘆く。一部の衛星通信と携帯電話の電波が重なる課題は、長年にわたって業界を悩ませてきた。
この根深い課題を一気に解決できそうなのが、東京科学大学とソフトバンクが共同開発した「システム間連携与干渉キャンセラー」だ。本来はまったく別々に運用されてきた衛星通信と携帯電話という2つのシステムをあえて“連携”させる新しい発想によって、周波数干渉の問題を根本から解決しようとしている。
携帯基地局が使う5Gのサブ6周波数帯の一部、いわゆる「Cバンド」は、衛星通信の周波数帯と重なっている部分がある。その結果、地球局(大型のパラボラアンテナを備えた衛星通信の拠点)で受信品質が大きく損なわれる恐れが生じ、携帯キャリアは基地局の出力を大幅に落とすか、少なくとも地球局から50kmも離れた場所にしか設置できないという厳しい条件を課せられてきた。
日本には茨城県と山口県に主要な衛星地球局があり、中でも茨城の施設は首都圏にほど近い。もともと1Gbps級の高速通信を提供できるはずのエリアでありながら、衛星との干渉を恐れるあまり、通信事業者が持つ帯域を十分に活用できない状況が続いている。
システム間連携与干渉キャンセラーのポイントは「カンニング信号」と呼ばれる携帯電波の“写し”を、事前に光ファイバーを通じて衛星の地球局へ送っておくところにある。地球局側では、実際に受信した“混ざった電波”に含まれる不要な部分を、このカンニング信号とぶつけ合って相殺し、衛星通信に余計なダメージを与えないようにする。
2023年時点の室内実験では、干渉を20デシベル(100分の1)抑制できる性能を確認していたが、その後、FIR(Finite Impulse Response)フィルターの導入などによって波形の補正技術を高めた結果、屋外実証では30デシベル(1000分の1)まで干渉を低減することに成功。これまで何十キロも離さなければならなかった基地局と地球局の距離を1.5km程度まで縮められる可能性が出てきたという。
2025年1月には、東京科学大学の大岡山キャンパスで屋外実証が行われた。送信側に携帯基地局を模擬した装置と衛星通信の信号発生器を設置し、その間にパラボラアンテナを置いて意図的に電波の干渉状態を作り出す。
通常なら映像伝送が乱れたり途切れたりするが、カンニング信号を活用した干渉キャンセラーをオンにすると、衛星の映像が即座に回復した。複数の反射(マルチパス)を発生させたり、三つの基地局から同時に電波を飛ばしても、キャンセラーがそれぞれを検知して打ち消し、安定して映像を受信できることも確認された。
衛星側は一般的に、単一局からの干渉影響だけでなく、複数の局から合成される総干渉電力や実運用確率などを段階的に評価して、「ここまでなら許容できる」という上限を決めている。そのため、地球局周辺で干渉レベルが下がれば、都市部、とりわけ東京に近いエリアの基地局も増設しやすくなる。
さらに、衛星事業者にとっては地上側の電波を監視する手間が大きく削減されるメリットもある。かつて横浜にあった衛星地球局を移設するため、携帯各社が多大な時間と費用を投じた事例があるが、今回の技術が実用化されれば、大規模な移転を伴わずとも衛星通信と5Gの“共存”が可能になる見通しが高い。
同じ周波数帯を共存させるには、携帯側が基地局からカンニング信号を分岐して光ファイバーに乗せる必要がある。近年は既存のダークファイバーを流用し、10km程度の距離なら問題なく送れる見込みがある。
また、地球局側に大がかりな改修は要さず、キャンセラー装置を追加するだけで済むため、衛星通信事業者と携帯事業者がコスト配分やルールをすり合わせれば、実用化は十分に現実的だ。かつて横浜にあった衛星地球局を移設するため、携帯電話各社が多大な時間と資金を投じた事例があるが、この技術が導入されれば大規模な移転を行わずに済む可能性は高い。
とりわけ大きな恩恵を受けそうなのが、茨城県の地球局周辺だ。東京に近いエリアで、高速な5Gを本格展開しようにも、衛星通信との干渉を恐れて携帯出力を落とす必要があった。しかし干渉キャンセラーの効果で数キロメートルの距離でも通信が問題なくなるのなら、「茨城の人は1Gbps分の帯域を使えないまま」という現状からの脱却が見えてくる。山口県の地球局付近でも同様に、携帯会社が安心して基地局を配置でき、広域カバーの拡大につながるだろう。
周波数は有限な資源だが、5GやBeyond 5G(6G)に向けた需要はますます高まっている。この干渉キャンセラー技術は、総務省やNICT(情報通信研究機構)の研究開発助成にも採択されており、数年後には実際のネットワークへ導入されるシナリオも見えてきた。衛星通信も災害対策や遠隔医療、宇宙ビジネスなどで不可欠な存在となり、周波数の衝突を避ける手段は今後ますます重要になる。
「周波数というのはもう限られている。でも協力して使えば、十分に生かすことができる」と、藤井氏は語る。かつて横浜で地球局を移転しなければならなかったようなケースが、もう二度と起こらない時代が来るかもしれない。日本の通信インフラにとっては、衛星と携帯が手を携えることで広がる新たな可能性が、いよいよ現実味を帯びてきた。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)