エンジニアのリスキリングに「院進」は正しい選択か。 46歳の院生・栗林健太郎が語る就学の意義

2023年11月13日

GMOペパボ株式会社 取締役CTO

栗林 健太郎

GMOペパボ株式会社取締役CTO、日本CTO協会理事。情報処理安全確保支援士(登録番号:013258)。東京都立大学法学部政治学科卒業後、奄美市役所勤務を経て、2008年より株式会社はてなでソフトウェアエンジニアとして勤務。2012年よりGMOペパボ株式会社勤務。現在、同社取締役CTO。技術経営および新技術の研究開発・事業創出に取り組む。2020年より北陸先端科学技術大学院大学に在学する社会人学生としても活動。

はじめに

こんにちは、作家の栗林健太郎です。作家活動のかたわら、GMOペパボ株式会社取締役CTOや一般社団法人日本CTO協会理事を務めています。連載2回目の本コラムでは、私のもうひとつの活動形態である社会人大学院生としての側面について書いていきます。

社会人大学院生になった経緯

はじめに、私が社会人大学院生として就学している経緯について、簡単に触れておきましょう。

北陸先端科学技術大学院大学に入学したのは2020年4月、44歳の年でした。2022年3月に修士号を取得し、同年4月にそのまま博士後期課程に進学しました。現在は、博士後期課程の2年目です。この原稿の執筆時期と国際会議での発表とが重なっており、先日発表を終えたので、ようやくこちらを書き始めているという状況です。

なぜその歳になって社会人大学院生になったのかというと、「学び直し」がしたかったわけでも学位がほしかったわけでもなく、職務上の必要からでした。

というのも、私は、勤務先のGMOペパボ株式会社で「ペパボ研究所」という企業内研究所を所長として主宰しています。事業成長のための研究開発とアカデミックなアウトプットを両立するという困難な方針を、あえて採っていますメンバーがどんどん成長していき、アカデミックな面でも高いレベルのアウトプットを出せるようになってきました。

そんな中で「長である自分になんの研究経験もないと、根本的なところでボトルネックになるだろう」と思ったのです。私は文系学士ですし、卒業に卒論も必要なかったので、そもそも「研究」にたずさわったことがありません。前回のコラムで述べたように、いろいろやってるうちにこの業界でエンジニアとしてやってきたというだけです。

そこで、自分でもその「研究」というのをやってみようじゃないか、ということになったわけです。大学院に行かなくても研究活動自体はできるのですが、自分に必要なのは活動そのものの成果ではなく、一定程度のハードルをクリアすることで、世間的な意味での研究という営みを肌身で知ることです。そのため、学位取得を目標に大学院へ進学したのでした。

「学び直し」をしたいなら

社会人大学院生をやっていると、「自分も検討している」という方からご相談をいただいたり、イベントへの登壇依頼があったり、このコラムのように社会人大学院生活について書いてくれという執筆依頼があったりします。大変ありがたいことです。私のような者がお役に立てる可能性があるのであれば、力を尽くしたいと思います。なんでもおたずねください。

ところで、そんな時に気になるのが「学び直し」という言葉が出てくるということです。現政権が「リスキリング」を推していることは承知していますし、ますます変化が激しくなり先の見通しがききづらくなっている現代において、自らの立ち位置を改めて見直し、将来必要になるだろう知識やスキルを身につけることは、とても素晴らしいことです。

そういう意味において「学び直し」をしたいという動機はよく理解できます。ただし、そのために大学院への進学を検討しているのだとすると、慎重に検討し直すのが良いかもしれません。大学院とは、第一義的には研究者の養成のための機関であって、普通に想像される意味での「学び直し」のための場所ではないからです。

「情報系以外の出自からエンジニアとして経験を積んできたが、コンピュータサイエンスを体系的に学び直したい」というのが、「学び直し」をしたい典型的な動機でしょう。ならば、普通に情報系の学部に行くほうが適切でしょう。夜間や土日に通える学部を持つ大学や、放送大学のようにリモートで受講できる教育機関があります。がんばってください。

なぜそれでも院進したいのか

そういわれて「なるほどそうか」と納得するならば、それで話は終わりです。しかし、何かモヤモヤするところが残る人もいるかもしれません。たとえばそれは、学部ではなく大学院に進学することが自分の将来にとってより適切な選択であるという直感に基づくものであるかもしれません。なぜそう思うのでしょうか?

「学び直し」はさておき、社会人が大学院へ進学しようという場合、たとえば情報系の学位を持っていると海外への転職に有利だからという理由を耳にすることがあります。私はその辺の事情についてまったく知らないのですが、ビザが発行されやすいということがあったりもするようです。海外へ行きたい将来像がある場合、大学院進学は合理的なのでしょう。

何らかの事情により研究にまつわる活動にたずさわるようになった場合、学位が必要になることがあり得ます。たとえば企業研究所に勤めていて、博士号の取得が必要になるといったことがその典型です。私のように先述した通り、たまたまそういう状況になるということもあるでしょう。職務上必要だから、というのは進学にとって自然な理由でしょう。

一方で、そうした必要性はないが「学び直し」のために、学部ではなく大学院に行きたいのだという場合、端的にいうとその理由は「学歴コンプレックス」なのではないでしょうか?もちろん、学び直したいという動機もあるのでしょうけれども、それに加えて学位もあるとかっこいいとか、箔がつくとかそういう期待もあるのでないかということです。

それはそれで、大学院への進学を検討する上で、立派な動機だろうと思います。コンプレックスがあるということは、現状の自分に満足せず、自分があるべきだと考える姿とのギャップを認識しているということなのですから。その気持ちを大事にして、コンプレックスの解消を原動力に学位取得へ向けて邁進したら良いのだろうと思います。

社会人大学院生活の実際

さて、ここからは私の経験に基づき、社会人大学院生活において心がけていることについて述べていきます。まず前提として、私は何かすごい研究をしてやろうという目的でやっているというよりは(もちろんすごい研究はしたいのですが……)、前述のように社会人として一定の条件をクリアすることを目的としていますので、合理的にことを進めていくという態度で取り組んでいます。

社会人大学院生というと、定義上当然ですが就労をしているのでとにかく時間がありませんこの点については、私はある意味でタイミングがよく、入学した2020年以降は授業がリモートになったのでキャンパスに行くことはほぼありませんでした。もし物理的に通う必要があったとしたら、かなり大変だったろうと思います。

社会人大学院生、それも必要に駆られて通っている私のような学生にとっては、交流よりも効率です。もちろん、リアルで人々と会って議論したり飲みに行ったりというのも有意義なことですし、実際いつもSlackでばかり話していた学友と「オフ会」をしたのは楽しかったです。しかし、効率のためにはできる限りリモートで行けるところにしましょう

つい先日国際会議で発表してきたのですが、その投稿論文を書く前後で、子供が生まれました。その当時は、日中はいつも通り仕事をして、深夜から明け方にかけて3時間ごとにミルクを与えながらコードを書いたり論文を書いたりというサイクルで、だいたい3〜4時間睡眠で2ヶ月ほど過ごしていました。もはや、いまではほとんど記憶がありません。

別に苦労話をしたいわけではなく、そういうことは普通にあるので、やるしかないということです(いつ論文ネタが降ってくるかわからないので)。ただ、その後しばらくして体がボコボコになってしまったので、緩やかにできるならそれに越したことはないでしょう。一方で、そこで踏み込んで活動した結果として、研究がだいぶ進捗したのは確かです。

企業でのエンジニアリングとの違い

社会人大学院生としての生活を送る上で、注意しておくと良い点についてもうひとつ述べておきます。この文章の読者は、ソフトウェアエンジニアリング近辺の職種に就いている人々が主でしょう。実務家として経験を積んだ人が研究活動に足を踏み入れた時に、アンラーニングするべきことがあるのではないかと思います。どういうことでしょうか。

私は、前述の通り卒論すら書いたことがなく、研究所を始めるまで研究という営みについてまったくわかっていませんでした。今もわかっているとはいえませんが、以前よりは見えてきたことも少しはあります。それは、他のカテゴリがそうであるのと同じく、研究にはそれ自体の自律した基準があるということです。

たとえば、インターネットのサービス開発にたずさわるエンジニアとしての自分は、もちろん技術的な研鑽はするわけですが、そのことは基本的にはより良いサービスをつくるためであって技術がすごかろうとすごくなかろうと、サービスにユーザがつかなければ何もないも同然です。実務における技術とは、そのような有用性と結果の無情の中にあるわけです。

一方で、研究においてはどうでしょうか。何かすごく便利なものをつくったとします。OSSにして喜ばれるということもあるかもしれません。しかし、それだけでは研究になりません。その成果の新規性・有効性・信頼性・了解性を持って論述できなければなりません。「超便利だし、その証拠にユーザーもたくさんいる!」といっても、しかたないわけです。

ここではわかりやすさのために、かなり単純化して戯画的に述べました。コードを書いたりする等の手段において似ている面があったとしても、エンジニアの普段の活動と研究活動とは、かなり異なる営みです。全然違うといっても過言ではないでしょう。といってもまあ、やってみないと実感はしづらいとは思いますが……。

研究活動をしたことがある人からすると「何を当たり前のことを……」という話だろうとは思いますが、自分自身も含めて、そのあたりの違いを世間の人々は本当に全然知らないものなのです。この産学のギャップでつまづいている人はかなり多いんじゃないかと推測します。あらかじめ念頭には置いておく方が良いでしょう。

おわりに

第2回目の本コラムでは、キャリア構築のひとつの選択肢としての社会人大学院進学について、自分の経験から書いてみました。そもそも論ですが、私自身、まだ博士号の学位を取得できていませんし、現時点においても取得できない可能性の方ができる可能性より高いと思います(博論を書くのがキツすぎて諦めてしまう等で)。そんな人間のいうことをまともに聞いても仕方がありません。羽ばたいていきましょう。

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