先史時代の人々が海面上昇にどう対応したかを探るため、船員と科学者の国際チームが黒海で調査を行っていたところ、予想外のものを発見した。9~19世紀の千年間に沈んだ、極めて保存状態の良い41隻の沈没船だ。(参考記事:「沈没船から17世紀の王家のドレス見つかる」)
チームは約1万2000年前に起きた黒海の拡大について調べるため、ソナーと遠隔操作無人潜水機(ROV)で海底地形図を作成していた。沈没船が状態を維持できたのも、実はこの拡大のおかげだった。
英サウサンプトン大学海洋考古学センターの所長で、今回の研究を率いるジョン・アダムス氏は「約1万2000年前に最後の氷期が終わったとき、黒海はまだ“黒湖”でした」と話す。気温が上がり、海面が上昇すると、地中海の海水がボスポラス海峡の岩石層を乗り越えた。河川からの淡水で満たされていた湖に突然、海水が流れ込んだのだ。そして、酸素を多く含み塩分が少ない上層と、酸素のない塩分豊富な下層に分離した。「水深150メートルを境に、それより深いところの水には酸素がまったく含まれていません。有機物の保存には最適な環境です」とアダムス氏は説明する。(参考記事:「地中海で大量の沈没船が見つかる、ギリシャ沖」)
誰も見たことがない光景
海中ではほとんどの場合、木やロープが最初に朽ち果てる。しかし、黒海の他とは異なる水質のおかげで、有機物が崩壊する速度は劇的に低下した。沈没船の多くは水深150メートルより深いところで発見され、水深2200メートルの海底に横たわっていたものもある。
あまりに保存状態が良く、のみなどの道具で削った跡が確認できる木もあった。ロープ、ロープを接続する索具、かじ、かじの柄、さらには木彫りの装飾までが、数世紀のときを経てほぼそのまま残っていた。(参考記事:「19世紀に北極海に沈んだ探検船の内部が明らかに」)
「誰も目にしたことがない光景でした」とアダムス氏は話す。歴史的な文書や絵を見れば、さまざまな時代の商船の外見や工法について情報を得ることは可能だが、極めて保存状態の良い黒海の沈没船はそうした資料の検証に役立つはずだと、アダムス氏は期待する。(参考記事:「沈没船が明らかにする奴隷貿易の変遷」)
最も古い沈没船は800年代後半のものと推定されている。東ローマ帝国が一帯を支配していた時代だ。16~18世紀のオスマン帝国でつくられたと思われる船が多数、19世紀の船がいくつかあり、14世紀のものと推定される中世イタリアの船も1隻見つかった。「中世の黒海では、イタリア人が貿易で活躍していました。たとえその事実を知っていても、マルコ・ポーロの本に記されているような船を実際に見るというのはとても驚くべきことです」(参考記事:「南仏で発見 古代ローマの沈没船」)
船がつくられた時代や地域は、船に積まれている陶磁器の様式やいかりの形、マストや索具の配置から分析できる。
沈没船のほとんどはワイン、穀物、金属、材木などを運ぶ商船だが、「コサックが略奪行為に使っていたオールでこぐ船」と思われるものもいくつか含まれていた。ただし、海賊の存在をにおわせるこれらの船も含め、すべての船が戦闘や襲撃ではなく嵐によって沈没したようだ。(参考記事:「300年前の沈没船から財宝、王室献上コインも」)
2017年にも調査を行う予定
英国、米国、ブルガリアの科学者で構成されるチームは調査船「ストリル・エクスプローラー(Stril Explorer)」で1カ月近くを過ごした。この船には、海底地形図を作成するための技術が満載されている。チームはソナーで海底の変則的な地形を特定してから、ミニバンくらいの大きさで、700万~800万ドルもするROVを2台投入。ROVは高解像度の画像や映像を撮影し、沈没船の大きさをレーザーで測定した。(参考記事:「大富豪はどうやって戦艦「武蔵」を発見したか」)
次に、さまざまな角度から撮影した何千枚もの静止画を写真測量ソフトで合成し、研究に使える完全な3次元デジタルモデルを作成した。研究者たちはできるだけ広範囲の海底を調べるため、船上の指令センターから24時間体制でROVを操作し続けた。41隻の沈没船はおよそ2000平方キロメートルの範囲に沈んでいた。
海底にドリルで穴を開け、堆積物のコア試料も採取した。海面が上昇したときに、黒海の底に沈んでしまった地域に住んでいた先史時代の人々は環境の変化にどう対応したのかというのが本来の研究テーマだが、この試料が謎の解明に役立つはずだ。試料の分析には1年ほどかかるが、黒海の水面はいつ、どれくらいの速さで上昇したのかという論争も決着するだろう。
アダムス氏らは2017年に再び、3度目となる最後の調査を行う。しかし、少なくとも今は、海に沈んだ41隻の船の史劇に関心が移っている。(参考記事:「タイタニック 沈没の真実」)