Colaboの「仕事ではなく活動」という価値観について

前回の記事で私は、

10/19にColabo副代表・稲葉氏に
「我々とは少し考えが違うかもしれない、そのような状態で採用をしてもお互いのためにならない、もう一度よく考えて」というようなことを言われた

と書きました。

稲葉氏の主張をまとめると
「Colaboは『仕事』ではなく『活動』というスタンスでやっている。
『仕事の枠組みの中で』何かをしようという人は合わない可能性が高い」
というものでした。

そもそもなぜこのようなことを言われたのか、
また、こういった価値観の下行われているColaboの活動について、実際に見て気になった点
を、この記事でまとめていきます。

■ 事の発端

10/14にメールで送られてきた「活動契約書」ではわからなかったことを、10/18にメールで質問しました。

送った質問の一部(個人情報に関わる部分を隠し、部分的な公開とさせていただきます)↓

公開していない部分も含め、すべて勤務するにあたって知っておきたい種々の規則についての質問でした。

このメールは労務の方に送ったのですが、翌日(10/19)になって稲葉氏より電話が来て、冒頭の部分の内容を伝えられました(電話で伝えられたため正確な言い回しは覚えていません。メールにしてほしかった…)。

その指摘に対して私は、翌日メールで回答しました。
全文はとても長いので(A4用紙3枚分)、個人情報に関わる部分を省略したうえで、一部を抜粋して載せます。

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昨日お電話でご指摘いただいた件につきまして、ご説明させていただきます。
先日お送りした「雇用条件等に関する質問」があのような内容になったこと、また面接でも雇用条件を気にした発言が多かったことに関しましては、大きく分けて二つの理由がございます。
一つ目は、「来月からどのような生活を送ることになるのか、より詳細にイメージをしたかったから」です。(中略)
二つ目ですが、おそらくこちらの理由のほうがご指摘いただいた点の回答としてはより重要かと思われます。長くなってしまうかと思われますが、目を通していただければ幸いです。(中略)
「世の中お金がすべてではない」、これは間違ってはいないと思います。しかし、この格差社会、資本主義社会では、お金がなければ、何もできません。「一人一人の人間にはお金に代えられない価値がある」、ということを私自身も信じていますが、どうしてもこの世の中では、自分の価値が労働という形を経てお金に還元されてしまう。そのお金が少額だと、心が蝕まれます。心はもう限界を迎えているのに、「自分の労働の対価」とされる雀の涙ほどのお金を手に入れるために、もっともっと心をすり減らして、働き続けなければならない。このような負の連鎖の中では、自分の生活に精一杯で、視野を広げ世の中を見つめる余裕がなくなってしまいます。他者のためにと動けば動くほど、自分が限界に近づいていきます。(中略)
長くなってしまいましたが、こういった自身の経験から私は「自分の生活がしっかり保障されていないと、周りに目を向ける余裕がなくなってしまう」ことに気が付きました。
(中略)
自分の生活がある程度安定していることは、精神の安定に繋がります。これからも、自分のベストで他者と向き合いたいと考えていることに変わりはありません。しかし、その結果自分が擦り減ってしまい壊れてしまうのでは、元も子もありません。私自身も、この社会を生き抜くために、自分の生活を守る必要があります。そういった観点から、スタッフとして採用される以上、待遇をきちんと確認しておきたいと考えたのです。
 以上がご指摘いただいた点に対する私の回答となります。

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こういった内容を送った後、稲葉氏より電話が来て
「スタッフ全員で内容を吟味したところ、やはり厳しいのではないかと」「今回の件は白紙に」
と伝えられ、採用取り消しとなりました。

なお、本題からは逸れますが、もう一点指摘されたことがあります。
最終面接の際、夜の新宿の街歩きをした感想を求められ、
「過去の自分のトラウマもあるので、正直怖かった」
と伝えたことに対して、
「Colaboでの活動は自分のトラウマと向き合うようなことや危険が常につきまとう。つらい思いをたくさんすることになってしまうかもしれない」
というようなことを言われました。
この点に関しては、
「恐怖心は確かにある。でも、だからこそ、この現状に見て見ぬふりをせず、皆さんと一緒に立ち向かっていきたい」
と思っていることを、最終面接でも文面でも伝えたので
こちらの指摘はあまり採用取り消しの原因とはなっていないような気がしています。

■ 「仕事」ではなく「活動」?

Colaboの側としては、私が「仕事ではなく活動である」という価値観を持っていない、だから採用できない、という判断になったのだと考えます。

ですが、私がした「雇用条件等に関する質問」の内容を見て「仕事ではなく活動だから」といった返答をしてくるのは少しおかしいのではないかと思います。

私が質問した内容は、新たな職場に勤めることが決まった人なら、誰もが勤務開始前に確認しておきたいと思うことなのではないでしょうか。
実際、10/13に採用の旨を伝えられ、質問事項があればメールで、という話になった後、Colabo側から補足の説明が入るようなことはなく、メールでも退職についての話が済んだ後「それでは11月1日にお待ちしています」と言われ、自分から質問をしないと就労規則の詳細な点はわからないという状況でした。

Colaboの側がどう考えていたとしても、「有償で社員を雇う」という点で、「仕事」であるという事実は変わりません。
「活動」という名称を掲げていたとしても、「仕事」であるという事実も認め、雇用主として労働者に求められた質問には答える義務があるはずです。

また、「決められた枠組みの中で何かをする」という団体ではない、という発言も気になりました。

「決められた枠組み」というのは、既定の労働時間のことを指しており、そういった規則に関係なく動こうという意思のある人が欲しい、と言っているのではないでしょうか。
女の子に求められたら何が何でもすぐに動ける人が欲しい、と。
気持ちは理解できます。
ただ、それではスタッフの方々はいつ休めるのでしょう?
女の子たちのためにいつでも動こうとする姿勢は素晴らしいものだと思いますが、それがスタッフの方々の労働力を搾取して成り立っているのなら、その点は何らかの改善が必要なのではないでしょうか。

本来「労働者」に求める条件として不適切なことであっても「活動」の名目で求めることで黙認されているという現状は、「女の子たちのため」という目的があったとしても、良くないと思います。

■ バスカフェボランティアの無償労働?

Colaboの「仕事ではなく活動」という価値観が反映されていたのが、バスカフェです。

私は10/5に、バスカフェの見学に行っています。

見学にあたって事務局から来たメール↓

21時過ぎ~最後の片付けまで参加しますと返信(仕事の都合上早くても到着が21時過ぎになってしまうため、また今後自分も参加することになる可能性があり、最後までいて雰囲気をつかんでおくべきだと考えたため、この時間に決めました)。

実際に行って驚いたのが、ボランティアの方々がColaboのスタッフの方々と同じかそれ以上にいらっしゃったことです。
皆さん準備片付けや町にいる女の子への声かけなど、てきぱきと、また積極的に取り組んでいらっしゃいました。

私はというと、その日は準備を手伝い、その後街歩きで夜の新宿の現状を視察、バスカフェに戻り女の子たちの様子を目立たないところから見学、時々物品の整理などの手伝い、翌2時にカフェが閉まると、片付けを最後まで行い、すべてが終わったのは翌3時半ごろだったと思います。

この日気になったことが、
「ボランティアの方々には報酬が支払われていないのでは」
ということでした。

ボランティアの方々は、Colaboの正職員ではないので、翌日の仕事などにあわせてか途中で帰宅されていました。
また、最後の片付けまですべて終わった後、タイムカードを押していたのは正職員の方々のみでした。
なお、正式な採用前だった私は、机やいすの片付け、物品を入れていた衣装ケースの運搬、テントをたたむ作業、それらを事務所に運ぶ作業などを他の皆さんと同じように行いましたが、報酬などは特に出ていません。重いものを運んで行ったり来たりするのは、肉体労働と呼んで差し支えないものでした。
普段からボランティアの方々にも報酬を支払っているような団体であれば、私に対しても数時間分の報酬を出そうとするはずです。しかしそれがないということは、普段からボランティアの方々にも報酬を支払っていないということではないでしょうか。

ボランティアの方々は、自ら進んで活動に従事しており、報酬は望んでいないのかもしれません。
しかし、雇用主はそれに甘えてはいけないと思います。
実際、ボランティアの方々と正職員の方々とで活動内容に違いはありませんでしたし、時間と労働力を提供してくれているのだから、パートタイムとして扱うなどの対応が必要なのではないでしょうか。

■ 「無償労働の常態化」によって支えられている活動

以上のことから私は、次のように考えました。

・Colaboの活動は数人の正職員+正職員と同じように動く無償ボランティアで運営されている
・活動があまりオープンにならないので、「ボランティアによる無償労働の常態化」という問題点が指摘されることなく続いてきた
・そんな中、新たに採用を決めた正職員(私)が、雇用条件をやたらと気にするような人間だった
・雇用条件に関する質問が多いね、Colaboの活動を「仕事」だと捉えてる?→じゃあ合わないね→採用取り消し

雇用条件を気にする私は、Colaboにとって当たり前の「活動(女の子たち)への献身」をするように見えなかったから合わない、ということにされたのではないでしょうか。

そもそも、私が「活動契約書」で雇用条件の詳細を確認したのは採用を伝えられた後です。
ホームページの募集要項には簡単な情報しか掲載されていないので、もっと早い段階で詳細を伝える必要があると考えます。
これはColaboに限らず全ての雇用主に言えることですが、どれだけ活動や仕事内容に魅力を感じても、待遇によって自分の生活がままならなくなる可能性があれば、誰だって応募はできません。
私はそのことを指摘し、Colaboが運営の方向性を再検討してくれることを望んでいたのですが、採用取り消しという形で、私の意見は否定されてしまいました。

■ 最後に

今回の採用取り消しが私の想像通り、
「雇用条件を気にする私から善意や誠意が感じられない」「対価を求めるような姿勢ではだめだ」
ということが原因で起こったのであれば、やはりColaboの側が間違っていると思います。

どんな理由があれ、「採用取り消し」という行為を軽々しく行ったことからもわかるように、
Colaboの側には雇用主としての責任感が足りていません。

Colaboが正職員やボランティアの方々への待遇を改善することを望みます。

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