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なぜお笑い芸人の多くは、批評を嫌う傾向があるか

お笑いと批評の関係性

私は以前から、お笑い芸人さんの多くが自分の漫才やコントを批評されることに拒否反応を示す傾向があるのではないか、という印象を持っていました。そのことについてSNSに投稿をしてみたところ、いくつか反応をいただいたので、今回この疑問についてもう少し深く考えてみます。なお私は、芸人さんのラジオは好きで、わりと聞いていますが、賞レースやテレビのお笑い番組を軽く見るていどで、お笑いファンとしてはかなり薄い部類です。一応ライターをしていますが、お笑い批評をやってみたいという気持ちはないです(お笑い芸人さんの本の書評は、仕事で一度したことがあります)。

批評されるのがイヤだという芸人さんの気持ちは、心情としてはとてもよくわかります。そんなことされたらやりにくいよと思うでしょうし、ただ笑ってくれればそれで十分だという気持ちもあるはずです。そりゃそうですよね。こっちは人を笑わせようとして舞台に出てきてるのに、客がいきなり小難しいことを言い出しても困る、という芸人さん側の気持ちは理解できます。私は「芸人は批評を受け入れよ」と言いたいわけでは全くないし、拒否している相手にむりやり批評を押しつけるのも違う気がする。

ただし、映画や小説といったジャンルの作り手で、ここまで批評を嫌う傾向はありません。たいていの作り手は、無反応がいちばんつらい。昨今、商業媒体上で酷評が出ることはまずありませんが、それでも「どんな批評でもないよりはマシだ」と思うのが、映画や文芸の作り手です。映画雑誌、文芸誌では、創作と批評がうまく共存できています。では、他ジャンルとお笑いとの差は何か? という点にはとても興味があります。この部分には、確実に差異があるのです。そこを正確に言語化してみたいとは思っています。

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本題に入る前に

まずは2点、前提となる確認をしておきます。

1、「芸人さんの多くが批評に拒否反応を示す」という前提は本当か
これについては、THE W ファイナリストの芸人さんが、ラジオ番組で「お笑いについて書くライターをあまりよく思っていない」「感想を持つのはいいことだし、芸人を育てる場合もあるが、芸人に嫌われたくなければ、SNSでおおっぴらに話すのはやめた方がいい」と話していたのが、今回の件を考えるきっかけになっています。また過去のM-1ファイナリストの芸人さんが、ライブレポート(お笑いライブの開催後に、商業媒体が、あるいは来ていた観客が個人的に、その内容をまとめてネット上に挙げる)は嫌いだという主旨のブログを書いていたのも読みました。また、芸人さんとお笑い関連のライターの方がSNS上で揉めていたのも見かけたことがあります。

くわえて、先述したSNS投稿に対して、現役で活動されている芸人さん(レッドブルつばささん、エル・カブキのエル上田さん)*1 からリアクションをいただいたりもしました。おふたりとも「芸人さんの多くが批評に拒否反応を示す」という基本の前提については同意されています。もちろん批評を歓迎する芸人さんもいるとは思いますが、全体的な傾向として、芸人さんの多くは批評されたくないと感じているだろうと考えた根拠は上記です。

2、そもそも「批評」とは何か
まずは「批評」の意味を具体的に定義する必要があります。そのために「批評」と「感想」の違いについてはっきりさせてみましょう。感想とはだいたいこのようなものです。「おもしろかった」「つまらなかった」「今日出てきたコンビでいちばん笑えた」「ツッコミの人がうるさくてニガテ」「全体的にノレなかった」など。感想は、特に具体的な理由が書かれていないことがいちばんの特徴です。なぜおもしろかったか、なぜノレなかったを自分の言葉で考え始めると、少しずつ批評に近づいていきます。

では批評とは何か。たとえば「ツッコミのテンポが速い。去年見た時はもう少し間を取っていた」は批評ですね。テクニカルな部分を語っている。「テーマが性差別的で、現代的なジェンダー観に逆行している」「漫才の内容が、○○(別のお笑い芸人)からの影響を感じさせる」も批評です。時代性や漫才史への視座を持つためです。何らかの見立てや独自の視点があること、構造に着目するような意見は批評的といえます。こうした意見のうち、否定的な感想、否定的な批評が嫌がられるのは当然だと思いますが、「肯定的な批評もやめてほしい」というのがいちばんのポイントだと私は思っています。芸人さんの多くは、肯定的な感想だけがほしい。ほめるとしても、あくまで「感想として」ほめてほしいと思っているのではないか、というのが私の見立てです。

いただいた意見

SNS上でいただいた意見について考えてみました。返信くださった方ありがとうございます。どの考えもかなり的を得ていると感じました。

◆演芸の歴史を踏まえた批評が少ない
努力されている書き手もいるとは思いますが、指摘としては正しいと感じます。映画や文学の批評も同じで、映画史、文学史を知らないままだと批評は難しい。もう少し前提を踏まえるべき、という点には同意です。

◆野暮だから、無粋だから
ニュアンスとしてはとてもよくわかります。確かにお笑い批評って、野暮ったい感じがどうしても出ちゃうんですよね。ただし、なぜ野暮なのかはより論理的に言語化したいところ。

◆構造をバラされると、次から笑いが減る。分析が笑いを消してしまう
この指摘についても納得する部分が多く、ネタバレされるとやりにくいというのは大いにあり得る話です。確かにその通りなのですが、ここで疑問なのは、海外ではコメディ映画もさかんに批評されていることです。コメディ映画はまさしく構造が重要なのですが、たとえばメル・ブルックス作品の構造を批評としたとして、次の映画が笑えなくなるかというと、特にそんなこともなくて、わかっていても笑ってしまう。こうした差異がなぜ起こるのか。

◆芸人さんは現場で観客のリアクションを直接受ける立場にいるから
これも確かに重要で、私はこの視点が欠けていました。芸人さんにとってはつねに「現場」がある。一方、小説や映画には現場がない。映画館はある種の現場ですが、そこで映画監督や俳優が直接リアクションを感じるわけではないし、仮に観客がブーイングしたとしても、映画は完成品をただ映写するだけなので、観客の反応によって映画が変化するわけではない。しかしお笑いの場合は、笑いの量を含めて、観客からの影響を直接受けるしかないので、批評がその後のパフォーマンスに響いてしまう可能性があります。

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複製芸術とオリジナル

私にいちばん欠けていたのは、最後に指摘のあった「芸人さんは、現場で直接観客のリアクションを受ける立場にいる」という視点でした。確かにこれは大きい。考えてみると、私が好きなのは、オリジナルや本物と呼べるものの存在しない表現が多いです。小説や映画がそうですが、複製されたものを見ている。どこにも明確なオリジナルが存在しない表現です。書店にある本は全部がコピーですが、それを1冊手に取って読めば原典(オリジナル)に触れたことになる。音楽の場合はライブがありますが、レコードやCDなどの音源はそれ自体が作品として完結しているし、音源とライブは別物です。考えてみると、私はあきらかに「複製芸術が好きだ」という自覚があります。

その一方で、たとえば絵画の場合、家で画集や図録を眺めることと、美術館で本物の絵を見ることは別で、そこではオリジナルの概念が重要になってくる。観客は「本物を見たい」と思うわけです。演劇やバレエなども、DVDで見るのと、実際に会場へ出かけて見ることにはまったく違う意味があります。お笑いもまた、芸人さんが現場で声や身体を使って表現することが重要なジャンルです。映像で芸を見るのはあくまで代替的な手段で、実質的にお笑いは現場からしか発信されないし、そこで緊張しながら観客と対峙するというのは、演者にとっては怖い経験だと思います。だからこそ批評に対してナーバスになってしまうのは非常によくわかる。これは芸人のエル上田さんからの指摘がきっかけで気づきました。

でも芸人さんどうしの批評はある

しかし、芸人さんどうしなら批評はOKなのです。これはなぜでしょうか。賞レースの後、芸人さんたちはこぞって批評をします。賞レースに出ていた当事者たち、過去に出ていたベテラン勢、みながラジオ番組やYouTubeで批評をする。これらは「感想」ではなく、あきらかにプロ目線のテクニカルな「批評」です。そして芸人さんによるお笑い批評は、誰からも決して嫌われないし、たくさんの人が聞きたがり、聞いた人はなるほどと納得する。それは同じ専門家として信頼できるからであり、芸人さんどうしなので思いやりもあるし、あまり厳しい批評はせず、根本に愛情があるからというような理由があるからと推測されます。芸人さんのYouTubeでも、賞レース批評の回はあきらかに再生回数が多い。同時に、ここで大事なのは、見ているたくさんの人が「お笑い批評は楽しい」という事実に気づいてしまったことです。

賞レースがあるたびに、これほど楽しそうに批評に興じる芸人さんの姿を見せられたら、誰だってマネしたくなりますよね。批評を聞いた人は、自分もお笑いを見ておもしろいと思った気持ちをうまく表現してみたい、と考えるようになります。それを止めることはできないし、感想ではなく批評的な言葉を使う人は確実に増えていくと思います。アニメを見た子どもが自由帳にロボットの絵を描いてしまうように、おもしろいお笑いを見たファンは、自分の言葉で批評を始めてしまう。その衝動を止めるのはむりだし、止めるのはちょっとかわいそうかな、という気もしています。

まとめ

あれこれと書いてきましたが、まだ明確な答えはでてきていません。自分でも気づいていなかった、生身で観客と対峙するプレッシャーについて考えるきっかけができたのは本当によかった。批評に思わず拒否反応を示してしまう芸人さんの気持ちはよくわかる一方、お笑いと批評がうまく共存できたらおもしろいのではないか、という気持ちも同じようにあります。批評って楽しいですからね。もしお笑い芸人さんで、批評に関してどう感じているか、批評とどう接しているか、ご意見いただける方がいればSNSなどで教えていただけるとありがたいです。

*1 現役芸人さんからのご意見
レッドブルつばささん

エル上田さん(エル・カブキ)


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